人が死ぬのは、基本的には無条件で悲しいことです。しかし、人の死ぬ物語が必ずしも悲しいわけではありません。だって、こんな2コマ漫画で悲しんでたら馬鹿みたいでしょう。
まあこれは極端な例ですが、でもフィクションで人が死ぬときって、あまりにも安っぽすぎて「え、本当に人が死んだの…?」と思ってしまうときがあります。それは別にフィクションだけじゃなくて、実際に人が死んだときも。そういうドキュメンタリーあるじゃないですか。
そんなとき、僕らは死ぬことの何を悲しんでいるんだろう。なんてことを、TVerで探偵ナイトスクープを見ながら考えていました。亡くなった奥さんの声を聞きたくて、9年前に取材に来た映像を見たいという男性の依頼。僕はほとんど泣かないのですが、そのVTRを見ながら泣きそうになってしまいました。感動したのでしょうか。そういうのを「感動した!」って言ってしまうのはあまり好きではないのですが、でも泣きそうになったのは事実。そこには、ほとんど物語なんてないのに。だって僕は、その男性のことも女性のことも知らないのです。
人が死ぬのは悲しい。それは根本的なことです。ただ、僕らがそれを悲しいと思うためには、そこに何かしらのリアリティが必要なのだと思います。それが今回は、「9年前にナイトスクープが取材に来たときのVTRを見たい」ということだったのかもしれません。また、その男性と女性というのが、こう言ってはなんですが本当に普通の人で、そこに「生きている」という感じを強く受けたのかもしれません。それがリアリティだったのかもしれません。
だから何だということは特にないのですが、物語を作る側として、一つ大切っぽいものに気づいたような気がします。