月別アーカイブ / 2019年05月

Domaniの撮影でした。たのしかった。待ちに待った金曜日!ビールの前にもうひと仕事!仕事も金曜日もビールも大好きだ!


Happy Mother’s Day.


わたしは、先月、母を亡くしました。


死亡届に書かれた死因は、「大動脈解離」。からだ中どこにも悪いところはなく、突然のことでした。


眠っているようにしか見えない母が、いつものようにいびきもかかず、鼻をつまんでもぴくりとも動かない。なにこの夢。目が覚めたら母に電話して「ねえ、ママが死ぬ夢みたよ。めっちゃリアルだった。」って、話さなきゃ。しばらくはその時を本気で待ちながら、夢か現実かわからぬ日々を過ごしましたが、少しづつ、どうやら覚めないらしいと、思い知っています。


冷静になって、まず思ったのは、バーバがいなくなっちゃったらこの子たちはどうするんだろう、ということ。3人の母親になっても未熟で不完全なわたしを余るほど補ってくれていたのは、母です。わたしが母に会えなくなることよりも、母に子どもたちのこれからを見せてあげられないことが、悲しくて仕方ないのです。


家族や友人たちが、こころからの言葉をかけてくれました。わたしの拠り所は母だけではないし、母の思い出はわたしだけのものではない、みんなの中に残り続けるんだと思うと、とても安心できたし、あたためられました。「どこを向いてもあなたを支える人がいるよ」と言ってくれた人がいて、本当にそのとおりだと思いました。でもね。申し訳ないけども、どこを向いても辛い。事情を知らないタクシーの運転手さんとの会話の中にすら、母を感じて辛い。


一向に暗くてごめんなさい。悲しんでいても何も変わらないことはわかっているのです。でも、悲しむことをやめてしまったら、母のいない毎日にしかわたしの居場所がなくなってしまうようで、こわい。こんなわたしを母は望んでいません。わたしを捕らえているのはなんなんだろう。困ったなあ。
 
誰かを傷付ける発言だとしたらごめんなさい。母を亡くして、災害や戦争で◯◯人死亡、と、数字だけで伝えられることの違和感を知りました。被害の大きさを伝える手段なのかもしれませんが、誰にもはかれないほどの悲しみを、まとめて何人分と言ってしまうことに、もう少しこころを添わせた伝え方はないのかなあと考えました。とくにそれが人の手によることならなおさら。もちろん、そんなこと、なくなってしまえば一番良い。
 
告別式が終わり、火葬場に向かう車に乗り込んだ瞬間、流れてきたのは、QWEENのBOHEMIAN RAPSODYでした。母が大好きで、上映中は8回も映画館に観に行ったほど。運転手の叔母がかけたのかと思って聞いたら、「え、なんのこと?ラジオやで?」と。昼過ぎの良い時間帯に、あの長い曲が、フルで1曲かかりました。どう考えても母の仕業。音楽って、目に見えない力の集結だと思ってきたけど、ことごとく思い知らされた瞬間でした。


さて。


母の日の日曜の夜、暗くて長くて、申し訳ない。でも、これからもきっと、わたしは、わたしという人間のどこかに、この誰にも救われない、埋められない暗くて出口のない場所をたずさえて、生きていくんだと思います。たまにそこにスポッと落ちて、光も音も反応もないけれど、母を感じとって力を帯びて、また這い上がって、生きていくんだと思います。母の分も、子どもたちや、世界に、愛を注げるように。


母の日。母には二度と伝えられないわたしからのラブを、みんなのおかあさん、ママに、かわりに届けてください!


前髪できました。青木先生あざす🙏🏼 @daisukeaoki


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