わたしのサングラスを奪って、ひとこと。「なんかハチミツかかったみたい」だって。たまんねえなあ。


好きなものいろいろ。今日のビビットはオリンピックのため1時間の短縮放送です🏅


のぶみさんが作詞した「わたしおかあさんだから」という歌詞を読みました。(歌は、朝と夕方のピンチヒッター・だいすけおにいさん)

「おかあさんになってたくさんのこと諦めたけど、それでもおかあさんになれてよかったよ」といった内容。賛否あるみたい。誰かの理想の母親像や、子育ての正解を押し付けられたみたいで、苦しく感じた人も少なくないようです。もちろんのぶみさんにそんなつもりはなく、おかあさんたちを応援したくて書いたそう。

で…ここからはわたしの勝手な意見🙇🏻‍♂️

わたしたちおかあさんって、ひとくくりにして勝手に共感されるのをすごく嫌がる性質があると思ってます。そう、こんな風に「わたしたちおかあさん」とか言われた時点で、わたしはちょっと、引いてしまう笑 まあおかあさんに限らず、だと思うけど。

子育ての正解っぽいことや先人の知恵はいろんなところに書いてある。でも、目の前のこの子やわたしにはどうも違うようだ。超手探りでやってみる。自信持ててきたと思ったら一瞬でぶち壊される。思い出そうとしてもどうやったかわからんぐらい必死な時間を過ぎてみたら、なるほどこれが自分のやり方かとふと見つけられたりして。そのプロセスはマジで泥くさくオリジナル、人には理解出来なかったりする。

だから、子育てに共感なんかないんじゃないかと思う。「何はともあれ讃えあおうぞ同士よ…!」という気持ちだけだと思う。

というわけで、のぶみさんの歌詞も、「へーこんなおかあさんもいるもんだな、おつかれ!」と思っただけで、共感も批判もあんまりなかったのが正直なところ。

この歌詞では、母親に強いられる我慢や諦めが正当化されてる、と言われてる。たしかにそうかもしれないけど、

この歌詞で描かれてるおかあさんにとっては、そうやって我慢したり諦めたりすることで人生の変化を楽しめてるんだよ、いいじゃないか。ちょっとMなんだよ!(なんだそれ)

たとえばスーパーで、知らない人に、「「おかあさんだから」の歌詞のようなおかあさんになりなさい」とかって言われたとしても、わたしは平気。この人はきっと自分を犠牲にして頑張ってきた人なんだな、おつかれ!と心の中で勝手に乾杯するから🍺

我慢するもしないも、諦めるも諦めないも、自分で決める。本当に好きなことは、一度諦めても、ある日また出来るようになる。誰にも邪魔されない部分を、心の中に強く持っておきたいなと思う。それって、おかあさんだからとか関係なく、誰にでもそうであってほしいなと思いました。

って、長!!!


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