お芝居の腕を磨く為には誰かに
聞いてもらって、意見をもらって
新しい課題を見つけて取り組んでいく。

ずぅーっと、磨き続けるのであって
『上手い、下手』はないと思っている。
いや、あるかもしれないが
上手い、下手、で、判断されるのではなく

・役にあっているか
・自分(判断する人)の好み
で、決められることが多い。


実際、Aさんという役者さんを
上手いという人もいれば、下手だという人もいる
じゃあ下手だと評価する人が多いからと言って
仕事ない?そんなことはない。
上手いと評価する人が多いからと言って
売れっ子?そんなこともない。

だから、こっからここが上手い、下手なんて
測りようが無く、数値ができる事柄ではない。

もちろん、ボクも上手くなるように
こういうお仕事ができるようにと精進している。
が、本当に上手い人というのは

人生経験が豊富で、色んなお芝居(私生活の出来事)を経験して
どういう役(キャラクター)があっているか
また、役(キャラクター)にどう合わせていくか
の、作業が早い人だと思う。



養成所や演劇学校に通っていたとき
その担当している講師の方のやり方に
みんなが合わせている(向かっている)のが
どうも気持ちが悪くてしょうがなかった。

講師の方の考えやお芝居のやり方(役作りの仕方、声の出し方、どこに意識をしてお芝居をしているかなど)に
触れることはできるが、下手な指導者にあたると
受講者みんなにそのやり方をするように伝える

上手い指導者は、個々の得意ジャンル
また苦手ではあるけどやりたいジャンルがあり
それをどのようにしたらできるようになるか?
を、見極めて指導する。

ただ、受講するのが悪いわけではない
そんな書き方をしてしまっているが。

色んなお芝居のやり方、学び方に触れ
自分が伸びる!やりたいことができる!
と、感じたらその人の教えを乞うのは当たり前だ

でも、一番恐ろしいのはその
限定的な場所に居続けて
「居心地の良い空間(人)、評価」に慣れてしまうこと。

そうするともう伸びない
足りないから学ぼうとする
居心地が悪いから良い場所を探そうとする

満足してしまったら、そこで終わってしまう。

やり続けていくには、時にできることを捨ててでも
新しい場所へ動き続けることだと思っている。
多分、できることを捨てるのはもったいない
リスクが‥と、考えてしまいがちだが
ボクには命以外守るものはなく
リスクやもったいないなんてものがない
正確には、新しいこと、知らないこと(場所)へ
いくのは怖いは怖いし、ストレスもかかる

が。

守るものと言ったら、自分が傷つかない
嫌な思いをしたくないってことぐらいかな?
でも、そんな気持ちも無くなって
どんどん進まなきゃいきていけない思っている。



だから、腕を磨くには
ある特定の場所で特定の人から学ぶのではなく
(下手な指導者は自分の好むお芝居以外を否定するから)
・仲間に聞く
・お芝居を習っていない全く違うジャンルの人
(学生時代の友達とかバイト先の人とか)
に、聞く。

仲間や、友達はボクのアイデアや考えに
客観的な評価をしてくれる。
それは、それが失敗したところで
自分にはなんのリスクもないから。
だからこそ、きつい言葉や
優しい言葉いろんな言い方がある。

そこで、意識しているのは
きついことを言われたとしても
傷つかないように自分を守る言い訳を言わないこと。



とある方の

サーカスのパフォーマンスに関する研究で

『元パフォーマーの管理職が

パフォーマーの現場経験のない管理職と比べて

評価の精度が特にいいわけではなかった。』

という、結果が出ている。


役者を経験した講師の人

役者経験はないけど講師をしている人

教える、精度の評価に差はない。



もうこれは

『自分は誰から習いたいか』




だから、上手くなる為には

本を読んだり、映画を観たり、いろんな人と会ったり

場所はいったり、たくさんのことに触れて

『自分を知る』


(よく演技の引き出しを増やすなんて言い方をするけど)


でも、一番はこんな小手先のことではなく


『伝えること』






散々っぱらお芝居の上手い下手について

考えて、うまくなるにはどうしたら?

どうやったらお仕事につなげるかな?

なんてことを書いてきましたが、

これらをが全く関係なく、勝てないのは


『良い芝居』



ボクは、定義が曖昧な、そして

測りようのない『良い演技』をめざしているから

ふわふわぁ〜としているのかなぁ


たぶん、一番尊敬している人に

良くなったねと言ってもらいたくてなんだと思う。



まただらだらと長くなってしまった。


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