僕がどうやってドラムと出会って今に至ったのか。なかなか話す事もないので書いてみます。

小さいときは母親のギターで遊んだり、自分の声を録音して遊んだりと音で遊ぶのは好きだった。しかしその頃の夢は車の整備士やプロ野球選手。車も野球も大好きな子供だった。でもそんな夢も小学校卒業の頃にはすっかり頭からなくなっていた。飽きっぽいのだ。

小学生の頃からバンドをやるということに少し興味を持っていた自分だったのだが、当初はギターを志望。しかし弾ける気がまったくせず挫折。
そんな中、中学の吹奏楽部の仮入部で初めてドラムと出会う。上級生のお姉様部員達に導かれ叩いてみなよと案内される。5分くらいで8ビートが叩けた。なんだこれは楽しすぎる。ずっと叩いていたい。素直に思った。完全に吹奏楽部に入ってドラムを叩くことに心が支配されていた。
しかし、運動部に入った方がいいでしょという意見に踊らされ、軟式テニス部と迷う。結果、友達に流され軟式テニス部へ入部。この時吹奏楽部に入っていたらどんな風になっていただろうと今でも思う。
入った軟式テニス部は超絶ハード。休みはほぼなし。日焼けで麦茶のごとく黒くなったが目立った成績は残せず散々だった。

軟式テニスに没頭する中でも、バンドをやりたい熱は冷めず、中学3年くらいになってとうとう友達とバンドをやる事になった。もちろん僕はドラムである。
楽器屋で特価150円の真っ赤なスティックをビクビクしながら買い、家で数学のドリルを学習机の引き出しに置いて叩くことで練習していた。
その後は公民館で楽器が借りれる事を知り、そこで実際に音を鳴らした。初めてコピーしたのはLUNA SEAのTRUE BLUE。そしてL'Arc〜en〜Ciel、TRICERATOPSと続く。下手ながらも初めて感じたみんなで音を鳴らす事の楽しさは尋常じゃなかった。

高校生になり新たな仲間とともバンドを組み、三年間文化祭ライブに出演。この頃はGOING STEDYを中心にBRAHMAN、Hi-STANDARD、B-DASH、SNAILRAMP等をコピーしまくる。メロコアをコピーしたおかげで少しずつ鍛え上がってくる。コーラスもこの頃からやった。
3年生の時、枠の少ない後夜祭ライブ出演権をかけた投票で、イケメンサッカー部バンドに勝利して1位になった事は今でも忘れない。ちなみに僕はバドミントン部。

大学生になり、バンドサークルに入りうまい先輩に格の差を見せつけられながらも、洋楽邦楽様々な曲をコピーして精進する。毎日毎日バンドの事ばっかり考える日々が続き、その中でオリジナルのバンドをいくつか始めるも、うまく続かず解散を繰り返す。ここら辺で一度しばらく一切バンドをやらなくなる。
もう諦めよう、やらなくていいだろ音楽なんて別にいいでしょとしまい込む事ににした。
しかし、ふとした時に蘇ってくる大きな会場でライブをしたい、野外のフェスに出たい等の想いに苦しめられる。

そんな時、荒川ケンタウロスという素晴らしいバンドに出会う。ライブを見て音楽に対する熱い想いが更に蘇ってしまう。
僕の大学の先輩であるベースの土田に冗談で「あっしも荒川ケンタウロスに入れてくださいよー」等とウダウダ言っていたところ、前のドラマーが偶然辞めてしまう事になり気づいたら二代目ドラマーとして荒川ケンタウロスに入っていた。そして今に至る。

飽きっぽい自分の性格で、唯一今も続いているのが音楽である。
しかし、どんなに好きな事でも嫌になってしまう事もあった。そんな時、無理するのはよくないのは承知しているが、こういう時こそ忍耐。無理やりにでも続けて目の前に立ちふさがっている壁をぶち破ってやるんだって思って続けてきた。
結果的にその繰り返しで必ずいい方向に落ち着くような結果を得てきていると思っている。そうして僕は今日も明日もその先も音楽と向き合うつもりだ。

新しいMVを公開しました!

image


というわけで今回は「重力列車」について。


重力列車とは、理論上ではどんな長距離でもすぐに行けてしまう乗り物のこと。


春を別れの季節とするならば、それまでの一緒に過ごせる残りの時間。
冬と春のあいだ、「梅春」を思い出す曲になりました。


ちなみに、サビの「例え許されない…」「今は悲しみに…」という歌詞は当初なかったものでして、元々の歌詞はちょっと誤解を与えかねないかなということで変更しました。

昔のライブではその歌詞で歌ってるんですけどね。もし観ていた方がいたらびっくり!



そしてこの曲、実は知人の結婚式からの帰りにできたというのはここだけの話にしておきます(笑えない!笑)


https://youtu.be/lhV4kDGwNpk

MVたくさん観てね!

面白い出会いがあったのでここに記しておきます。


先日近所に住む80歳代のおばあさまと色々ありまして出会いました(いかがわしくありませんよ)

色々あった話は長いので割愛させていただきますけど、話してるうちにそのおばあさまが趣味でアゲハチョウの羽化をしている、と。
そしてその羽化の内容を事細かに写真に撮って記録している、と。

聞くとアゲハが毎年卵を産みに来るようでかれこれ15年程毎年やっている、と嬉々とした表情で語ってくれました。
…15年!!


「あの蛹からこんな大きなアゲハが出てくるなんてほんとにすごいわよね〜」
と小学校時代に抱いた感想とまったく同じまま、ブレてない。
すごい。

そしてアゲハのイモムシは柑橘系の葉っぱが好きだそうで
柑橘系の鉢も昔からたくさん育てている、そう全てはアゲハのために。
「15年もやってると、葉っぱから育てるのよね〜」
「花が咲くと部屋中いい香りなのよ」

安心〜!
いやはや脱帽で、内心深々と頭を垂れさせていただきました。

羽化するときはもうずっと興奮して寝れずに毎時間、毎分とかかさず羽化する瞬間を逃さないためにほとんど寝ないんだとか。
あらやだ、この人カル・リプケン。


今年はクロアゲハが卵を産みに来てくれたそうでその独特なフォルム、艶、深海のような、藍染のような、漆黒の藍色。
模様は橙でこれまたキレイな着物の織模様の様相。
キレイなクロアゲハで何枚ものカットの写真を見せていただきました。

思わず私も見惚れてしまい
「ごちそうさまでした」
の純粋な一言が口からこぼれ落ちました。


腰の曲がった80歳のおばあさまがそんな情熱を持って敢行しているアゲハの記録。
周りからは「イモムシなんて育てて気持ち悪い」など評判はあまりよくないそうですがそのアゲハの話をしているときのおばあさまの目の輝き。
尋常じゃないです。
モノづくりをする人と同じ目の輝きじゃありませんか。

年を重ねても好きなことに一生懸命になっているその姿、実に美しい!


 
おばあさま、どうもありがとう。
また来年お会いしましょう。

↑このページのトップへ