月別アーカイブ / 2017年07月

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井田城跡   酒井忠次 誕生地
愛知県岡崎市井田町 井田公園

徳川家康の初期の筆頭家臣、酒井忠次は、先祖をたどると行き着くのが松平宗家初代の松平親氏に当たり、しかも家康の祖父 松平清康の娘 碓井姫を妻としている忠次は、家康とは縁戚にあたる間柄となり、家康が幼少の頃 駿府の今川義元の人質となっていた時は、共に三河の宿無しと蔑まれた日々を過ごしました。

桶狭間の戦い後、独立の道を歩んだ家康に全幅の信頼を受けていた忠次は、戦場でも実力を発揮し、東三河を解放した後には、要衝の吉田城を任せられました。




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大樹寺 多宝塔

多宝塔は、1535年天文4年に松平清康が建立しました。山門、本堂が火災で再建されたものに対し、多宝塔は唯一の室町時代の建築物です。

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松平宗家初代  松平親氏 墓所
初代 親氏は、もとは上野(こうづけ)現在の群馬県地方の新田氏の出身とされ、室町時代、足利幕府に反して敗れて父、弟と流浪の旅に出ました。
やがて三河の松平郷(現在の愛知県豊田市松平)にたどり着きました。
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松平宗家二代  松平泰親 墓所
泰親は、初代 親氏の弟で、親氏実子の信光が成長するまで名代となりました。
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松平宗家 三代  松平信光 墓所
初代 親氏の実子の信光は、親氏が治めた松平郷から肥沃な三河平野へと進出する戦いを起こします。また子宝にも恵まれ、子供らは庶子分家して三河地方各地に出ました。
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松平宗家 四代 松平親忠 墓所
親忠は、二度にわたる井田野合戦に勝って三河を守りぬきました。
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松平宗家 五代 松平長親 墓所
長親の代になると、三河には隣国 駿河の今川氏の侵攻を度々悩まされました。
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松平宗家 六代 松平信忠 墓所
信忠は仁義礼節を軽んじ、神社 仏門の祭礼すら行うのを嫌う松平宗家きっての暗君と伝わり、一門から排除、隠居に追い込まれました。
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松平宗家 七代 松平清康 墓所
清康は先代 信忠とは違って器量抜群の当主として経営、戦いにも勝って活躍し、三河一国を平定に、さらに支配を西の尾張、織田氏に向けた矢先、家臣に斬殺されるという悲劇的な最期となりました。


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松平宗家 八代 松平広忠 墓所
広忠は、英雄と謳われながらも悲劇的な最期を遂げた松平清康の跡を継ぎました。急速に衰えゆく松平宗家の生き残りを図りました。
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松平宗家九代、徳川宗家初代  徳川家康 墓所
徳川家康の墓所は遺言により駿河の久能山に埋葬されましたが、父祖歴代の横に新たに墓所が建立されました。

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