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札幌市カントリーサイン

北海道地名由来史 1 札幌市

 

 

北海道は歴史という流れからいうと、人々が暮らす時間は、古くは日本列島の歴史からやや遅く、縄文時代の石器等が出土していたりして、細々としながらも続いて来ましたが、本格的に北海道全域に人々が住み始めたのは、やはり明治時代になってからです。

奇しくも今年は、明治2年~1869年8月15日の北海道命名の日から150年を迎えました。

北海道の地名の多くは、先住民族アイヌが呼んでいた山や川などの特徴だった発音を漢字にあてたもので、本州の地名とは異なるものが多いですが、入植した人々により、かつて暮らした土地の名前をあてた地名も存在し様々です。

まずは、道都 札幌市からです。

 

 

札幌市~サッポロシ~

サッポロ

お札に幌?
なんのこっちゃ?
と思いますよね。

サッポロは、江戸時代後期には幕府の役人 荒井金助が信濃出身の剣客、志村鐵一を誘い来道します。

その後、志村は人々の往来が増え始めた豊平川の渡し守を命じられ、次いで対岸には、同じく荒井に命じられた猟師の吉田茂八が宿場、駅逓を行う様になり、二人は親交を深めながら過ごしました。

北海道史では、志村鐵一と吉田茂八が札幌最初の住民と位置付けられています。

札幌の地名は、二人が守った豊平川から来ています。

アイヌ豊平川を呼ぶ際に、サッ、ポロ、ペッ、と呼びました。
これは、乾く~大きい~川、を意味すると言われ、当時の豊平川の特徴が、度々 洪水を起こすほどの大河でありながら、普段は乾いた砂利の川原となることから、この広い平地の名前をアイヌ語によるサッ~ポロ~ペッから札幌の字があてられました。

札幌の誕生です。

札幌の地は、古くは幕末期に松浦武四郎が通り、~この一面平地なり、ここに府を立てるべし~と記載。

後に南西部の円山から札幌を見下ろした明治新政府の開拓判官の島 義勇が札幌本府に決定する一助となりました。


6日未明の午前3時8分に北海道胆振地方で最大震度7の地震が発生しました。

ぼくの小樽市の実家では、震度5、兄弟の住む札幌市では震度5強を観測したとのことです。

幸いどちらもケガもなく、物損だけで済みました。


被害に遭われた皆様にはお見舞いを、また、
犠牲になられた方々のお悔やみを申し上げます。

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北海道庁旧本庁舎 【赤レンガ庁舎】

札幌市中央区 北3条西6丁目

札幌駅に近い北3条通りの一角は、現在の北海道庁本館ビルがありますが、道庁本庁舎前に豪華な赤レンガの建物が本庁舎を覆い隠す様にそびえています。

赤レンガの建物は、北海道庁旧本庁舎で、赤レンガの愛称で道民に親しまれてます。

この庁舎は、1879年 明治12年に火災により焼失してしまった開拓使札幌本庁に替わる建物として新たな庁舎の建設が計画されますが、明治15年に開拓使自体が廃止され、現在に続く地方自治体である北海道庁が明治19年に設置されたことにより着工され、建築資材に北海道産のレンガと硬石を使用し、高さ33メートル、現在の11階建てのビルに相当する豪華なネオバロック様式のレンガ造りで2年の歳月をかけて1888年 明治21年竣工しました。

道庁本庁舎の最大の特長は、赤レンガの偉容な建物に八角形の塔(八角塔)がまるで江戸時代の城郭の天守の様にそびえています。

これは、初代 北海道庁長官となった岩村通俊の鶴のひと声で付け加えられたもので、構造的に無理があり、一度は撤去されたものの、1968年
昭和43年、北海道開道100年を迎えたこの年、北海道庁の新庁舎が完成した記念に再建され、当時の偉容を取り戻しました。

以来半世紀、赤レンガ庁舎は、北海道開道の姿を残しています。


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