昨日の続きを書こうと思ったんですが、気になるニュースがあったので。
(続きは明日書きますので、もうちょっと待っててくださいね)
資生堂:すべての動物実験を廃止
http://mainichi.jp/select/news/20130301k0000m040046000c.html
私も、以前は動物実験に心を痛めていた一人でしたが、今はもう本当にどうでもよいです。
どうでもよい、というと言葉が悪いですが、どっちでもいいです。
どっちにしても、動物たちは幸せなんです。
私たち人間が、どんな状況でも幸せであるように。
自分が、動物実験を望まないということは変わってません。
なので、「関心をもたない」という選択をしました。
この世は、自分が関心を持つものが現実化されちゃうんです。
なので、いい意味でもう諦めました。
そうしたら、このニュース!
私が諦めたら、資生堂さんも諦めてくれました。
ありがとう、嬉しいです。
資生堂さん、宇宙さん、神様、本当にありがとう。
この感謝は、また次の「感謝したくなるような現実」を引き寄せてくれるでしょう。
さてさて、もし「動物実験はけしからん、動物たちが可哀想」という怒りや憎しみや悲しみの感情を持ちつつ、このニュースを聞いたらどうでしょうか?
資生堂が動物実験をやめたことについてはとりあえずよかったと思うことでしょう。
でも「世の中にはまだまだ動物実験がはびこっている、なんとかせねば~」とすぐにまた怒りの方向へいってしまうのではないでしょうか?
あなたが、その気持ちを持ち続ける限り、動物実験はなくなりません。
動物実験をなんとかしたい → それには動物実験をしている会社が必要、という風に現実はつくられてしまうのです。
あなたが動物実験をしている会社を探し続ける限り、それはあなたの現実に存在します。
「資生堂が動物実験をやめた」
このニュースに対して、ただ感謝の気持ちで受け取ることもできるし、また怒りの方向へ持って行くこともできる。
そして、その抱いた感情に対して、また現実が返ってくる。
全ては自分次第です。
↓↓ ブログランキングに参加しております。
もしこのブログに共感していただいたり、何かのお役に立てましたら、ポチっとクリックお願いします。↓↓


↓↓ 読者様募集中です。読者登録お待ちしています。↓↓
↓↓ Twitterです。Followしてね!↓↓

(続きは明日書きますので、もうちょっと待っててくださいね)
資生堂:すべての動物実験を廃止
http://mainichi.jp/select/news/20130301k0000m040046000c.html
私も、以前は動物実験に心を痛めていた一人でしたが、今はもう本当にどうでもよいです。
どうでもよい、というと言葉が悪いですが、どっちでもいいです。
どっちにしても、動物たちは幸せなんです。
私たち人間が、どんな状況でも幸せであるように。
自分が、動物実験を望まないということは変わってません。
なので、「関心をもたない」という選択をしました。
この世は、自分が関心を持つものが現実化されちゃうんです。
なので、いい意味でもう諦めました。
そうしたら、このニュース!
私が諦めたら、資生堂さんも諦めてくれました。
ありがとう、嬉しいです。
資生堂さん、宇宙さん、神様、本当にありがとう。
この感謝は、また次の「感謝したくなるような現実」を引き寄せてくれるでしょう。
さてさて、もし「動物実験はけしからん、動物たちが可哀想」という怒りや憎しみや悲しみの感情を持ちつつ、このニュースを聞いたらどうでしょうか?
資生堂が動物実験をやめたことについてはとりあえずよかったと思うことでしょう。
でも「世の中にはまだまだ動物実験がはびこっている、なんとかせねば~」とすぐにまた怒りの方向へいってしまうのではないでしょうか?
あなたが、その気持ちを持ち続ける限り、動物実験はなくなりません。
動物実験をなんとかしたい → それには動物実験をしている会社が必要、という風に現実はつくられてしまうのです。
あなたが動物実験をしている会社を探し続ける限り、それはあなたの現実に存在します。
「資生堂が動物実験をやめた」
このニュースに対して、ただ感謝の気持ちで受け取ることもできるし、また怒りの方向へ持って行くこともできる。
そして、その抱いた感情に対して、また現実が返ってくる。
全ては自分次第です。
↓↓ ブログランキングに参加しております。
もしこのブログに共感していただいたり、何かのお役に立てましたら、ポチっとクリックお願いします。↓↓


↓↓ 読者様募集中です。読者登録お待ちしています。↓↓
↓↓ Twitterです。Followしてね!↓↓

コメント一覧
コメント一覧
これまでの常識的な考えでいけば、ねこひなさんの書いておられるとおりと思います。
お気持ちはよくわかります。
しかし、このブログは、「思考は現実化する」という観点で書いています。
現実が先にあるんじゃないんです。
思考があって、現実が創られるんです。
辛い現場に敢えて足を運ぶ、それは、自分が見たいから見ているということに他なりません。
自分が見たいと思うから、その現場が創られるんです。
つまり、自分でその(本当は見たくない)現実を強化しているということです。
意味がないとは言いませんが、それでは動物実験はなくなりません。
(自分で創造しておいて、やっぱ見たくないわ、の繰り返しになります)
今は、ご自分の信じる道を行かれて、それで良いと思います。
どのような選択をされるのも、全くの自由です。
>人が関心を持つことで、改善されていくことってあると思います。
改善策そのものに目を向ければ、改善されます。
(例えば、原発に意識を向けるのではなく、フリーエネルギー技術に関心を持つ、等)
しかし、問題に目を向ければ、その問題が強化されます。
資生堂が辞めたのはいいニュースです。 が理由は・・ やっぱり反対する人が多いし、というのもあったかもしれない。
そうなると、反対運動を頑張った人のおかげ、かもしれない。 反対意見を送った人たちの・・・。
みんなが無関心で、光のもとにさらされなければ 誰も知らないところで延々と続くことがある気がします。
知らなければ幸せ、って・・ それはどうなのかな、っていつも思う自分です。
どんな状況でも幸せ、と言い切られると・・
そうかな? 無理してないかな? と思えてしまう。
人間は思いようでそう思えるかもしれないけど
快と不快 安心と恐怖、など、ごくシンプルに作られている動物たちは、どうあったも幸せ?
人が関心を持つことで、改善されていくことってあると思います。 怒りに駆られてやっていてはいけないとは思うけど、、
辛い現場に、敢えて足を運んで・・というのが意味がないとは思えないんです。
お邪魔しました。失礼します。
ワタシも、「サラとソロモン」を読み、
幸せでいる事を選択しました
ただ、まだまだザルの目は細かいカモしれないと思ったりしています
現在はもう見る事はありませんが、
以前見た、動物実験の写真を思い出し、
確かに彼等はとても苦しそうにしていたな…
もし、自分の子供が同じように毒物を目に入れられる実験をされそれを見た時、
「彼は今、幸せなんだ」
とホントに心から思えるのかな…
なんて、ソロモンを失ったサラの気持ちでいるのも正直な所です
幸せを感じる方法は解っているつもりですが、
なかなか極められないのが現状のワタシです
これからも、素晴らしい記事を楽しみにしておりますね♪