わたしは真空である、無である、空である、
ということのわかりやすい例え話を思いつきました!

以前、バリで日本人の先生に陶芸を習っていた時期があったのですが、
例えば、その教室でコップを作ったとします。
教室では、粘土の大きな塊があって、それを切り分けてきて作品を作っていくのですが、
その粘土自体は、砂から作ります。
つまり、砂が粘土になって、コップになっていきます。

コップひとつ作るのに、何週間もかかって大変なのですが、
そのコップが出来上がった後、

そのコップは、コップであると同時に、

「このコップは砂である」

と言えますよね?

そして、そのコップは、ある一定の時間、コップであるけれど、
その本質は砂で、いつかは砂に戻りますよね。

つまり、
「コップは砂」ですよね?

「わたしは空である」というのは、
この「コップは砂である」
というのと同じことです。

宇宙の始まりは真空であり、
真空(空、無)というのは、目に見えない粒子で、その粒子が有を生み出すというのは
以前こちらをご紹介しましたが、

何もないはずの「真空」から「質量が生まれた」ってどういうこと?(山田 克哉)
南部陽一郎が導き、ピーター・ヒッグスが解明した 「質量の起源」の謎は、真空が握っていた! ヒッグス粒子誕生の秘密が一から理解できる。
gendai.ismedia.jp
(宇宙の始まりは真空だということは、その宇宙に存在するあなたも真空だったということです)

科学的にいうと、目に見えない粒子、であり真空だし、
それを仏教的にいうと、空だと言っている、ということです。

「わたしは空である」つまり、
「わたしは有を生み出す目に見えない粒子」なのです。


コップの例だと、砂からコップを形作る誰かの手と意思が必要になりますが、
そういう、神みたいなのは存在しません。
粒子そのものが意思です。

砂そのものに意思があって、ひとりでにコップを形づくっている、と考えてみてください(こわいですねw)

その意思とは、自分を思い出したい、という意思です。

そして、その砂そのものの意思が、コップに入り込んで、自分はコップだ、と思っているということ。
で、その意思のある砂は、コップひとつだけだと思い出しゲームが進まないから、
他にもいっぱいつくっとくか、ということで別のコップもつくったということ。
でも、その他のコップからみたら、そのコップこそが自分なのです。
(いくつもの自分が重なり合っているということ)

で、目覚めというのは、あ、自分は今とりあえずコップという形をとってコップ君になっているけど、ほんとは意思のある砂だったわと思い出す、そして、思い出しゲームに参加中だったんだわ、と思い出すということです。

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note では、宇宙のはじまり、世界のしくみ、わたしの実体について、詩的に感覚的にお伝えしています。