結局のところ、「あなたが他人のためにできることって何もない」んですね。
あなたが、他人の現実を変えることは絶対にできないんです。

だから、とにかく、自分のこと、自分の喜びに集中して欲しいんです!!

実は、最初っからこれが言いたかったのですが、いきなりこう言ってもかなりの人が抵抗を抱くだろうと思ったので、「他人」シリーズで長々と説明してきました。

他人を自分の都合の良い方へ変えられない、というのは、多くの方がわかってくださると思うのですが、これは、他人を、その人にとって良いと思われる方向へと変えることもできないんです。
その人にとって良いと思われることというのも、結局は自分がそう思うからであって、自分の都合なんですね。

つまり、「利他行為」そのものが存在しない、ということになります。


他人に、「良い影響」を与えることはできます。
あなたは、自分の喜びを追求することによってのみ、他人に良い影響を与えることができます
他人を援助しよう、という気持ちからでた行動は、真に他人の助けにはなりません


例えば、飢餓状態に陥っている人たち、というのを、日本に住んでいると目にすることはないと思いますが、そういった人たちが地球上にいるのは事実です。
そういった人たちを、なんとか助けたいと思ったとします。
しかし、その「飢餓で苦しんでいる人がいる」ということに自ら焦点を当てると、飢餓で苦しんでいる人っていうのは、絶対にいなくならないのです。

多くの団体や個人が、飢餓や貧困の撲滅のために援助に乗り出していますが、一向になくならない(むしろ増えている)のはそのためです。

あなたが、弱い人、可哀想な人だと思っていると、その人は本当に弱い可哀想な人になってしまうんです。
実のところは、誰もが素晴らしくパワフルな存在であるというのに。

援助しようという気持ちには、その相手が、自分より弱い立場だという前提があります。
しかし、人間は誰しも、等しく、愛と豊かさのエネルギー=ソースにつながる能力を持っています。
弱い人というのはいないのです。誰もが力強い存在です。例外はありません。

生まれながらにひどい状況に置かれているように見える人がいても、「すべてはうまくいっている」し、その人はその状況を選んで生まれてきています。
(もし、身近にそういう人がいたら簡単には割り切れない、という気持ちはわかりますが、ここでは、原則を説明しています。)


例えば、生まれながらに障害を持っている子供がいるとします。
その子供自身は、最初は自分で自分のことを可哀想だと思ったりしていませんよね。
しかし、もしあなたが、その子供を見て可哀想だと思ったとすると、その子供はあなたの中で可哀想な人になってしまうんです。
そしてもし、周囲の人間が可哀想、可哀想だと言い続けると、可哀想でなかった本人も「自分は可哀想なのだ」と思い込むようになってしまうかもしれません。
そして、可哀想な人間が出来上がってしまうのです。
実際はそうでないにもかかわらず。

この世には、可哀想な人も、弱い立場の人も、助けを必要としている人もいません

いるのは、自分自身の現実を、自分の思い通りに創造している人だけです。


自分の望む現実を見、自分の現実を創ること、そして、自分の喜びを追求すること

結局、この世であなたができるのはこれだけです。
他人のために何かできる、というのは幻想です。
あなたには、他人の現実は創れません。

他人はあるがままでよい。これは、どんな場面でも適用されます。
Aさんには適用されるけど、Bさんには適用されないってことはないんです。
C国に住む人には適用されるけど、D国に住む人には適用されないってことはないんです。


自分の喜びに、自分の現実の創造に集中してください



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