小さい頃、テレビを録画したドラえもんの映画を繰り返し観ていたような頃。
(CMの間に考えていたのをよく覚えている)
眠りに落ちる瞬間というのをつかまえたくて仕方がなかった。
蛍光色のしっぽがしゅるんと逃げるように眠りの中に駆け込んで行く姿が見えた。
眠りの入り口は、眠ってしまうと見失うけれど眠らないと現れない。
哲学みたいだ。
(なんでも哲学と言えば賢そうになる)
だからつかまえたい気持ちをもちながらも、これはつかまえられないものなんだろうと思っていた。
お姫様にはなれない、みたいな。
ドラえもんは現れない、みたいな。
そういうもの。

しかし、時間が経ってみないとわからないこともあるもんだ。
いまわたしは眠りの入り口を知っている。
考えていたことや頭の中の風景人物が自分の手を離れて勝手に動き出したら、そこからが眠りへのスロープ。
眠る前に夢は始まる。現実とトレーシングペーパーのように重なる。そしてフェードイン。
移行しきらないうちに「あれ?」と意識をもってしまうと現実に戻る。そんなときは、眠りそびれる。
きのうは夜の森の中で大きな船がそっと動いたのが夢の入り口だった。

違ったこれは一昨日見た夢だ!
日毎夜毎に境がなくなる
と歌ったのは、CD「一昨日見た夢」に入っている「消えた物語」。

昨日観た映画、一昨日観たタランティーノの映画のばりばりインスパイアものでびっくりしたな。
偶然、ぴったりな順番で観てしまった。よく順番失敗するからラッキー。
と思いながら渋谷駅のエスカレーターを降りている途中で、
いや、一昨日タランティーノを観たのは現実だけど、昨日観た映画は全然別ジャンルだ。インスパイアな箇所なんてあるはずがない。
と思い直して記憶を精査したら「タランティーノのインスパイアものの」という部分のみ夢だった。らしい。
記憶と夢は、映画を観ていた部屋も姿勢も同じ。
そういうときはタチが悪い。

そして帰ってお風呂に入りながら「今日は家にいて何にもしなかったな」と思ったけれど、
昼間表参道の美容院に行ってそのあと渋谷まで歩いてクリスピークリームドーナツを買って帰ったのは今日の出来事だ。
その渋谷駅のエスカレーターで考えたのがさっきの映画のくだりじゃないか。
3日前くらいの出来事として頭の中におかれていた。

ああむつかしい。ああいやになってしまう。
時空もゆがんで境目もあいまいでわたしの記憶はもうゆらゆらのぐらぐらだよ。
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そう、髪の毛を切りました。
だから写真や記録は、なるべく残すことにしている。


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ごはんを食べるということはたのしいことなので、友達に「完全に人呼んでるテンションの飯」と呼ばれてるソロ晩酌セットと一緒に晩酌しています。

野生のあまもりは自分が作ったごはんを人が食べるということをなぜか「とられた!」と認識してしまって非常に不機嫌になるので、
(二、三人前作ったら明日も食べられるはずなのに、一食でなくなるなんて信じられない…となる)
自分が食べたいものを自分で作って自分で食べるがいちばん落ち着くし幸せだなあとこのごろは思います。
(時間がなくてくたくたで腹ペコのぼろぼろで「誰かごはん作っておくれよ!」という気持ちになることはあるけれども)

「食べてくれる人がいないと作る気がしない!」
って言う人に会うと、何がどうなってそうなるんだ、となる。
むしろ、わたしは何がどうなってこうなってしまったんだろう、となる。
一人っ子で横取りされることもなく、ケーキのメレンゲも一切れ多いお肉も全部ほしいと言えば手に入ってきたはずなのに。
前世が飢饉だったのかもしれない。
おお、どうか安らかに。
いつかその魂が浄化されて「おいしいって言ってもらえることが幸せ」って言えるようになるといいね。

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ピザパーティーとかタコパとか鍋パはよいなあと思います。
きのうはじめてイートインでドミノピザを食べたらおいしくってびっくりした。
宅配ピザってふだんあつあつで食べることないもんなあ。


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絶対インスパイアされてないもんな。
うーん、ポスターの色合いのせいかなあ。うーん。
こじらせてきたなあ。蝶々でも自分でも不具合なくゆきたいもんです。