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きのうコントを観てきました。
弱い人たちコント公演『強くなりたい』
さまざまな種類の「弱い」人たちを主役にしたコント集。

たとえば、募金活動をする中学生や、働かずに子供にザリガニ釣りばっかり教えてる大人、みたいな人たちだ。
こまかいセリフがいちいちおもしろくて、しかもそれは「ここがおもしろかった」と書くと全く伝わらないおもしろさだった。言わなくて良いセリフに必然性があって、そんなに的確な間違え方があるかよ、という感じで妙に腑に落ちてしまう。

公演中には「無職」「童貞」といったワードがけっこう出てきた。そのことを僕は観劇前に予期していて、むしろ出てくることを少し危惧してすらいた。なぜかといえば、「無職」「童貞」は、「弱い人」を記号的に表す言葉として非常にポップであり、むしろ使いやすすぎることによって、「弱い人」という言葉を不必要に一般化してしまう一面があるからだ。「弱い」というポジションが、単なる居場所を求める人達の社交場のようになっていくのを、僕はあまりよいこととは思っていない。
でも、この『強くなりたい』は、そういうワードを登場させつつも、その言葉のパワーをねじ伏せるほどの強い「弱さ」を、関係性で示していたのがすばらしかった。「弱い人」は、人々の中に脅威を勝手に見つけ出し、勝手に怯え、みっともない姿を晒す。誰もが経験することだと思う。そのフレキシブルな弱さが目の前に現れたとき、僕は強い共感をおぼえて嬉しくなった。

それをもっとも強烈に感じたのが中盤の山場になるコントだ。童貞の中学生3人と大人1人が、カンザキというネジのはずれた男にひたすら翻弄される。カンザキの狂いっぷりはもはや童貞や中学生という枠組みを超えた脅威で、そこで僕は中学生たちと同じように「弱さ」を感じることができた。
あくまで個人の問題として「弱さ」を描きながら、言葉やシチュエーションの端々に「みんなの弱さ」が織り込まれている。その優しさがとても良い余韻を残すコントだった。


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これでひとまず終わりであります。でも続きを書きたいぞ。こういう方向性で読みたいとか意見があったらお気軽にコメントください。「お前はネタに詰まったらこういう方向性のギャグに逃げる傾向がある」みたいなあんまり的確すぎる指摘はやめてください。



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