薬局で耳栓を売っていたので買った。そういえば、耳栓って買ったことないなあと思って買った。

いつもは仕事するときイヤホンで音楽を流しながらやっている。音楽を流すのはどちらかといえば外界の音を遮るためであって、本当に音楽を聴きたくて流しているわけではない。それはミュージシャンに対する態度としてどうなのか、と常々思っていた。口に犬糞が飛び込んできた人が慌ててフランス料理をかきこんで「中和された〜」とか言っていたらシェフは怒るだろう。怒るというか、怖がるだろう。そいつはおそらく狂ってるから。

で、そういう理由もあって耳栓を買った。無音の方が集中できると何かで読んだこともあるし。さっそくサイゼリヤで、耳の穴に黄色い耳栓をねじこんでみた。

音、ぜんぜん聴こえる。
遠くの席でミラノ風ドリアを持ってくるウエイターの声もバッチリ聴こえる。
窓の外を走る車の音も食器が擦れ合う音も、高音も低音もぜんぶ聴こえる。 

耳栓をしてないときとの違いは「耳に異物感があること」だけだ。

何かの間違いかと思った。たとえるなら、寿司屋でトロを頼んで口にしたら完全な「無味」だった、みたいな感じだ。そういうとき、人は自分の感覚の方がおかしいのではないかと疑う。もしかして自分は異常に聴覚が鋭いので、耳栓など突き抜けて音をキャッチしてしまうのではないか。僕は耳栓を外し、耳に指を突っ込んでみた。

音、聴こえない。

やっとわかった。ポンコツつかまされた。音を防げない耳栓、それはすすんで耳に詰められる異物である。ネットでレビューを見てみると、やはり非難轟々の商品だった。「そもそも耳にフィットしない」「効果なし」…

これが「おどり炊きできる厚釜炊飯ジャー」の「おどり炊きがぜんぜんおどり炊けない」とかだったらまだ許せる。米は炊けるわけだし。耳栓はそのコンセプト、フォルム、全てが「音を防ぐ」に集約する物体なのだ。その要件すら満たせないこいつはいったいなんなのか。なんのために生まれてなにをして生きるのか。

クレームの電話をかけてやろうか。

「もしもし? おたくの商品、不良品じゃないですか!」
「あ、すみません、耳栓してて聴こえませんでした」

聴こえてるだろ。


むりやりにでも日記書こう。手がなまる。
小説も実質不定期になっててすみません。


星新一のこと。

よく星新一は「透明な文体かつ、固有名詞の使用を極力避け、ずっと古びない作風を確立した」という評価をされている。実際それは正しいと思う。

一方で、「星新一を読んでみたけれど思ったほどおもしろくなかった」という意見もわりと見かける。とくに大人になってから初めて読んだ人に多い。どういう意味で面白くないかといえば、多くは「ありきたり」だとか「結末の予想がついてしまう」ということで、らしい。

なんでそうなるかといえば、星新一のショートショートのほとんどはアイデアで勝負しているからだ。たしかにクセのない文体や一般名詞の使用という防腐処理は十分に機能してるけれど、その核に詰まっているのは一発限りの火薬玉だ。作話の技法、発想。そういうものを読み手が知らないときにだけ炸裂して美しい色を見せる火薬が、星新一SSにはひとつだけ詰まっている。

アイデア勝負はむしろ、普遍性と対極にある戦法だ。当たり前だけども。
星新一もやっぱり古くなる。仕方ない。

ただ、星新一の短編が「腐る」ことはこれからもないだろう。当時の流行によりかかって書かれた昔の本からは、腐臭がすることがある。星新一SSの場合は、古くなった火薬は揮発してしまうので、なにも残らない。




 

オモコロ記事が公開されました。



漫画でわからない哲学入門 オモコロ

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いままでちょこちょこ貼っておりました漫画の総集編にくわえ
1ネタ描きおろしもあります。
あとまったくいらない蛇足のページもあります。


ひとまず用意していた分の漫画は終了したのですが、個人的にはもっとこのキャラを描いていきたいなと思っているので(絵を描くのはとりうみいたち先生ですが)、もし気に入ったらコメントしたりして頂けると幸いであります。





哲学=アイデア文房具

 


ニュースで北島康介が引退すると言っていた。

スポーツはほとんど知らないが北島康介は知っている。水泳のすごいメダリストだ。きっと泳ぎがうまいのだろう。背泳ぎで鼻に水が進入してきてフゴッとむせたりしないんだろう。

有名なセリフも知っている。「チョー気持ちいい」と「なんも言えねえ…」だ。泳いだばかりでびしょびしょなのにインタビューされて言っていた気がする。インタビュアーは体ふくまで待っていてほしい。それにしてもアスリートのいちばん有名なシーンが「インタビューされているところ」なのはどうなんだろうか、と思う。北島康介が泳いでいるシーンって思ったよりぜんぜんテレビに映ってない気がする。でもそれは水泳がテレビ的におもしろく映しにくいスポーツだからなのかもしれないと最近思い至った。

まず、早さを競うタイプのスポーツは絵的にあまりおもしろくない、というのがある。サッカーのようにボールを奪い合ったり、プロレスのように技をかけあったりするスポーツには随所にドラマがあるが、水泳や長距離走にはほとんどない。相手を追い抜くときに盛り上がるくらいだ。「高いクオリティでペースを保つ」ことが重要になる競技を楽しむには、高い共感能力がいる。

それと、「なにやってんだかよくわかんない」というのもある。水泳はルールは単純だけどみんなバシャバシャしぶきをたててるから誰が一位なのかよくわからない。特によくわかんないのが、ゴールのポジションで水面近くから選手を横並びに映すアングルだ。顔はよく見えるが距離感がつかめず誰がトップかまったくわからない。これは競馬中継でもよく思う。あと、選手がうまくやっている箇所、ミスってる箇所もわかりにくい。フィギュアスケートなんかは選手がいつミスるかハラハラしながら見るのが面白いのだが、水泳はみんなすごい勢いでバッシャンバッシャンやってるように見える。基本みんなすごい速いし。ひとりだけ素人を泳がせて欲しい。42歳の管理職が泳ぐレーンが欲しい。

そういうわけで水泳ニュースではインタビューばかり注目されてるのかもしれない。単に僕がインタビューばかり気にしてるだけかもしれない。でも水泳にレース後のインタビューがなかったら魅力半減だろう。たいていの視聴者は、泳ぐまえと泳いだあとのテンションの差を楽しんでるんじゃないだろうか。しかしスポーツなど本来はマニアックなものであって、エンタメとしてはそれでいいんだと思う。

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