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さぁー今一番危険な地雷タイトルが出て参りました。
何書いてもめちゃくちゃ言われるだろうねこれ。


観てきましたよ。


前提を先に言えば、本当久方ぶりに「羨ましい」と思った作品です。
「ああーこういうのやりたい!!」と思った作品です。
そして、少なくとも今は、この映画を超える絵を、1カットたりとも作れる自信が僕にはない。


それでも不満はあったし、怒りもわいた。
これは負け惜しみ。


『ほしのこえ』で初めて新海さんを観て、当時まだ駆け出しの演出だった僕は、「わぁー凄い人が出てきた!俺は追いつくのかなぁ?」と、口を開けっ放しで涎垂らして観ていた。

あれから約15年、差は縮まるどころか、大きく離された。
それはしょうがない。実力の差なのだろう。
僕は分相応の作品を作るしかない。そう決めて、今もいる。




ちょっとこれを引用しよう。

新海誠「君の名は。」に抱く違和感 過去作の価値観を全否定している
震災の経験を昇華する「君の名は。」

いちばん毒気のある部分はこの記事に語ってもらおう(笑)。


はぁー・・・。


この作品は新海誠の集大成である、まずはそう言い切ります。
ようやく新海さんも「物量戦」ができるようになった。
もの凄い厚い層のスタッフで、圧倒的なクオリティで、「横綱相撲」であったとも言える。


でも一点だけ、些細な批判になってしまって、大炎上を期待している人には申し訳ないけれど、彼の「作画コンプレックス」にだけは、一言言及しておいていいと思う。


彼は、アニメーターとしては最優秀ではない。
『ほしのこえ』からずっと、彼はその「作画力」に苦しんできた。
それを補うに余りある、背景美術(と撮影)の力、言わば「背景力」で、彼は伸し上がり、名声を得た。
「新海節」とはイコール「背景力」、それは誰もが認めるだろう。

ただ、彼の「背景」への注力と「作画(芝居)」への敬遠ぶりは、誰の目から見ても明らかだったはずだ。


その彼の「コンプレックス」が、一気に解消された。
田中将賀と安藤雅司、これ以上ない「作画力」が、彼のもとに集まったのだ。


僕はこの作品は、彼がようやっと「ジブリに追いついた」作品だとも捉える。
追いついたも何も、「ジブリ」の力を思いっきり借りているのだから当然の話だが。


それは素直に、単純に「羨ましい」。


しかしその「作画力」を、十分にコントロールできていたかは、ちょっと疑わしい。


僕も絵が描けない人間なので、作画リソースにはいつもやきもきする。
そして時に優秀な作画スタッフが参加してくれると、わ!やった!とはしゃぎすぎて、どーぞどーぞ、思うがままに描いてください!とチェックが甘くなる(特に最近)。


京アニ時代は、みんな勝手知ったる仲間だったので、そう言った遠慮はなかったんだけどね。


この作品で一番新海さんに言いたいのは、作画に対する「遠慮」はなかったのか?ということ。
それだけは、どうも怪しい。


三葉の走りは、そりゃ女の子走りでリアル極まりなかったんだけど、それで三葉の、いや新海さんの必死な想いは届けられたのか?とかね。
その割に地面の割れ目に足を取られてずっこけるところはえらい豪快でしたよ?とかね。

おっぱいとチンコを触るところはみんな想いをひとつに一致団結して描いたと思うけど、なんでもないリアクションとか振り返りとか、そういうところはどうでしたか?とか。


もうそういうのはプロの目線になってしまうので、一般人が観る分にはどうでもいいんですけどね。


「泣く」という芝居にも、無頓着な映画だったと思います。
でっかい涙をボローっと出しとけば泣きの芝居だろう、と。


そういった芝居の細部を、ひとつひとつ、積み重ねる余裕は、今の新海さんにはなかったんだなぁ、と思います。


もちろん、今僕が新海さんに生まれ変わって、この作品をやるとなったら、同じ結果かも知れません。
でも、新海さんへの期待と希望を込めて、僕は新海さんに、言わば宮崎駿さんみたく「この涙じゃないんだよぉ!!!」と怒鳴る姿を、見てみたい。


そんなところでしょうか。
僕はこの作品を新海さんの集大成と認めると同時に、まだ伸びしろがある、と不躾極まりない物言いながら、でも絶対その可能性を秘めた才能なんだと、期待しています。


偉大な大先輩にエールを。