先日、とある経済事情系の記事をメインに書いているジャーナリスト氏たちと話していて、どうしようもなく打診が下手で腹の立つ若手の編集者がいるという話題になりまして。

 私も「ああ、あの人かな」と思っていたら、同席していた別のジャーナリスト氏も「あいつは酷い」「メールでただ一言『次回原稿は○○日です』とだけ送られてきた」「メールも酷いけど、会って話しても何も面白くもない」ということで話の華が咲いたわけですよ。 もちろん、まともに返してくれることも多いんです。あくまで、酷いときはこうだ、というだけの話ですけど。むきたてのジャガイモが眼鏡かけたみたいな顔をしているんで、特定方面で「ジャガ」といえば彼だとみな分かるでしょう。凄い狭い世界ではありますが。

 で、何を隠そう、いまの私のある仕事の担当者がその本人なんですよね。だから、あの突き放したようなろくでもないコミュニケーションの取り方は疑問があるし、電話は用件だけ伝えてガチャ切りするしで、まあ何様なんだって雰囲気を漂わせることが彼にとってマイナスなんだと伝えてはいるんですけど。

 実際、彼とかかわりのあるネット系の好事家が集まって、彼にまともな話をさせる会というテーマの、人権無視の会合というか宴会を企画しました。そうしたところ、どこをどう察知したのか本人がSMSで一言「多忙なので行けなくなりました」とドタキャンしたわけです。あのさあ。ある意味で、鳥を罠にかけようとしたら、頭上に糞を落とされた的な不快感だけが残るのです。

 でも、彼の周りに人が集まっているのは、やっぱり読む力、直す力があるからなんですよ。本を書こうとするじゃないですか。そうすると、校閲に入るまでにあれやこれや編集者とやり取りして物事を作り込んでいく過程ってのがあるんですけど、そこで展開されるのは、赤や青のペンでびっしりと書かれたコメントや直しの箇所や直し案や表現の重複、場所の入れ替えなどなど。隅々まで読み切ったからこそ、そこまで書けるんだろうなあと言うぐらいに、しっかりと書き込んであるわけです。

 それは、数千字程度の記事であっても同様です。こちらが依頼され執筆した内容を上回る精緻さで、文章を完璧に仕上げて折り返してくる。それならお前が調べて書けばいいじゃないかと思うわけなんですが、彼は取材をしたり、誰かに話を聞いたりすることが絶望的に駄目だ、悲しいほどに口下手だという自覚があるんだそうな。でも、編集者や校閲に関しては天職だという。まあ、そうなのかも知れん。

 真っ赤に手を入れられて、書き手としてはがっくりくるだろうし、この若造がと思うところはあるけれど、本や記事の最初の読み手である彼のことは、やっぱり特段に秀でていると思うのです。ああ、彼は本物の読み手であり編集者なんだなと。すべての意味で、彼と知り合えて良かったなと。一緒に仕事を続けていきたいなあと。そう思うわけであります。

 そんな彼が、結婚をしたというので驚きました。そして、披露宴に呼ばれて先日いってきました。彼らしい、ささやかな会でした。 両家ご家族と一握りの関係者で、ひとしきりエピソード交換していたのですが、新婦も、まあ、彼と似たような、それでいて素敵な雰囲気を持った女性だったので安心した次第であります。夫婦の馴れ初めも、どっちが誘うでもなく、デートもお互い本を喫茶店に持ち込んで、テーブルの上に積んで、黙々とお互いの持ってきた本を読んで帰るという… それでいて、楽しかったね、という… そうですか。でも、そういう心の繋がり方もあっていいんじゃないかと思いました。

 式の最後に、彼の亡き父親のメッセージが流れたとき、彼は泣いておりました。静かに、ただ静かに眼鏡をずらして目の周りを彼が拭っているのを見て、なんだ、コミュ障と言われてても、ちゃんと奥深くにはしっかりと感情の奔流があって、単に表に出てこないだけじゃないかと。式の最後に、彼は「父のような、父になります」と一言、宣言しました。彼らしい、簡潔な決意表明でした。彼には二次会を仕切る友達はなく、披露宴を持って解散になるわけですけど、お返しがペン立てなんですよね。

 ペン立て台にはデーンと「沈黙は金なり」。おい。他に彫るべき文字があるだろ…。 
 ともあれ、おめでとう。心より祝福申し上げます。この物静かなる夫婦が、どうか賑やかな温かみを抱き、末永く幸せでありますように。