やまもといちろう 公式ブログ

個人投資家、ブロガー、株式会社データビークル 取締役CFO 投資事業とコンテンツ事業がメインの20年選手。株式会社データビークル、東北楽天ゴールデンイーグルス、東京大学政策ビジョン研究センターなどで棲息。最近は仕事より育児の比重が高くなってきました… 一歩一歩頑張って登っていきます。

 というわけで、アローラさんが退任してしまいました。任期満了という形ですが、後継者指名しているのに退任とかいって、まあ事実上の解任、更迭だという話もあれば、ややこしい話があったのだということを言う人もいます。

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 個人的には、お互い方向性が違うことは理解したうえで円満に別れたのだということで、もしも何かあるのならばアローラさんは我慢せずに言う人でしょうし、時間が教えてくれるのではないかと思ったりもします。

ソフトバンク、ニケッシュ=アローラ副社長が電撃退任
ホウドウキョク

ということで、23時05分から生放送スタート。今夜もよろしくお願いします。
 

 無駄に顔の長い徳力基彦さんは話も長ければ原稿も長いので、私について触れておられるということでしたので読みにいきましたが「長ぇ… 長ぇ…」と思いながら完読しました。面白かったです、ありがとうございます。

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バカと暇人のものではないネット空間を作ることはできるのか


 ベースとなっているのは中川淳一郎さんの快著『ウェブはバカと暇人のもの』からですが、そこに梅田望夫さんの「ウェブは残念」 が紐解かれ、最終的にNewsPicksについて論考が重ねられております。

 この当たりの話は良く訊かれるので、私の考えを簡単にいうと「そもそも人はバカであり、書き込む人は例外なく暇人である」という結論になります。もしも、徳力さんのいう「ウェブをバカと暇人のもの」にしないのであれば、具体的な現象としては「理論的に、かつ責任の持てるものが、きちんと評価されてウェブの中で自由に閲覧される状況にする」という雰囲気でしょうか。これって、Googleが検索エンジンを作る際に考えたフォーミュラに近いような気がしますが、彼らの叡智をもってしても現状ではウェブは我々の期待値ほどには達することなく、いまなお残念であることは誰もが実感しているところです。

 問題は、この「誰でも発信できる」という平等と、「正しい発言が選別される」という評価とが並存しないことです。野球を観てヤクルト畠山が出てきて「デブだねあいつは」とネットに書くことは誰でも発信できるからこそ読まれるものですが、正しい発言ではありません。ただ、それに価値がないかというとそんなこともなく、その人のいままでの発言の傾向から属性が出て「ヤクルト」「畠山」「デブ」に関心があり、「ヤクルト」「畠山」に太っているというネガティブな感情を持っている人なのだ、そういう「デブ」の属性はどのくらいの傾向があるのか情報を更新しようという話になり、特定クラスタにおいて、いま時代はデブに向かって風が吹いていないという分析になるわけであります。

 そして、徳力さんが如何に優れた企業家であり、膨大な経常収益を上げる企業を経営し、日本のみならず世界のネット関連経営者がこぞって教えを乞いに行列ができて行列客向けに露店ができてドーナツが売られる存在であったとしても、森羅万象すべての物事について詳しく、感情的にならず知的で正しく価値のある発言をネット上でし続けられるのかと言われると、さすがの徳力さんといえども無理なわけです。やはり、条件が整えば一死一二塁で畠山が芸術的な遊ゴロ併殺打を放ったのを観て「こらデブ死ねやクソ野郎」ぐらいのことは仰るわけでして、おきている事案や現象に対して知識はなくとも正直な感想を平等に気軽に述べる環境が整うほどにS/N比が下がる、つまりはノイズが増えて、ウェブはどんどん残念な方向へ向かうのだ、ということになるでしょう。

 翻って、残念ではないウェブというのはフォーマルであり、発言に裏づけがあり、発言者がすべての責任を負って、もしも間違ったことを述べれば即座に官憲が飛んできて十字砲火で射殺される世界のことを意味します。そうなると、毎日のように残念な発言をした徳力さんの遺体が斎場に運び込まれることになるわけです。NewsPicksにせよ、Facebookにせよ、実名匿名論争の裏側には、せめて発言は責任の持てる内容にして欲しい、ノイズを減らして欲しいという要望が濃いからに他なりません。一方で、気軽に発言できるからSNSであり、ニュース記事の下のほうについたコメント欄であり、ピッカー同士が記事を挟んで殴り合う殺伐としたnewsPicksであることを考えると、やはり一定のノイズもまた、重要な代物なのだろうと思うわけであります。

 そこで、第三のベクトルとして、「平等」や「品質」とは別に「敬意」とか「配慮」とかがあるわけです。たとえば畠山が横っ飛びすっれば取れる当たりのゴロを左前打にしてしまった際に「デブ飛べや」と書かれるのではなく「ふくよかな御仁は快適な空の旅をお楽しみください」と表記されれば同じ意味であるにもかかわらず残念度は減るものと思われます。それは、場に対する敬意や、読む人への配慮、畠山への真心を意味するのであって、梅田望む夫的な残念なウェブの世界から少しは人の住むあるべき世の中にいくのかなあと思うんですよね。

 そのように考えると、正しいか正しくないかはともかく、ディスプレイやスマホの向こうにいるのも人なのだ、その人に向かってより良い言葉を投げ、適切な関係を築くようにするのだ、という啓蒙活動をすると良いのではないかと思いました。それゆえに、おそらくNewsPicksに限らず「機能のボタンを追加する」というよりは、もっと属人的なもの、たとえばコミュニティマネージャーを話題ごとやテーマごとに配置してモデレートしたり、専門分野でエスコートできる人に時事問題を語らせたり、畠山風の何かが必要だと考えます。 

 やはりNewsPicksをパリーグ感溢れるものとするためには、いまセガサミーの監督をしている初芝清さんを招聘したり、園川一美さんに開幕投手をお願いして格の違いを見せ付ける必要があるように思いました。ぜひご検討いただければ幸いです。引き続き、よろしくお願い申し上げます。 

先日、阿佐ヶ谷ロフトAで中川淳一郎さんと漆原直行さんとのイベントをやった際、中川さんが「しばき隊関連のまとめ」を出し物とされていて、これがなかなか面白かったんですよ。

 ただ、個人情報の塊であるのと、人によって、立場や考え方がいろいろあり、事件の経過を追うごとに経過や行動が明らかになっていって、事実関係に対していろんなお話が出てきまして興味深かったわけです。とはいえ、個人情報の塊ですので、どうしても法的アクションだ個人間の私信のやり取りだというのが挟まると、外部からは見えにくくなってしまいます。それでも、この長大なサーガに、綺羅星のごとき登場人物が殴りあったり論争したりしているさまは、実にソソるものがあります。

 その群像劇の中で、 北田暁大さんがおられました。

北田暁大さんの某事件に対するツイートを中心に
北田暁大氏のその後の連ツイと反響(その2)
http://togetter.com/li/982139 

 私はこの方面では浅学な人間ですが、北田さんの論考やエッセイは比較的拝読しているほうです。個人的な面識はありません。ただ、この人の知性は素晴らしいものがあり、私は北田さんでないとできない仕事があるんだろうなあとずっと思っています。いまでも。

 で、その北田さんに関しては、まあ要するにカウンター勢力とされるしばき隊方面に交友はあったわけです。別に、それ自体が良いも悪いもない。ただ、今回はリンチ事件とその隠蔽みたいな流れになってしまいました。立派に犯罪なんですよね。勇士である高島章先生が振り下ろす鉄槌の如く本件を計画的に暴露しなければ、関係者間で「その程度の暴力沙汰」で終わったであろう事件なのは間違いないでしょう。 

 すったもんだはTogetterその他にもまとまってますし、ご関心の向きはぜひそちらもご覧いただければと思うわけなんですが、この手の「活動」については、どうしても「理論」や「政治」に足を突っ込んでいる人たちが自分の主義主張を補完してくれるものだと勝手に協力したうえで美化してしまい、実際には「活動」の物凄い泥臭さや人間関係のややこしさなども相俟って自壊していったり、首謀者が突然一橋大学の社会人大学院に進学して他の無学な仲間たちを置き去りにしたりします。この手の「カネと組織と人間関係」がうまく扱えない奴らは最終的に「活動」を長続きさせられるノウハウを持っていないし、ちょっとした考え方の違いや疑心暗鬼が理由で殴り合いの内ゲバに発展するような人間だからこそ、実社会でまっとうな職業にも就かずこの手の「活動」に身を投じても失うものが少ないのだ、とも言えます。

 逆に、そういう世界に失うものを持つ人が入り込んで起こしたのがぱよぱよちーん騒動であり、新紙S氏であり、bcxxx氏だったと考えると、北田さんのような人がリスクを犯してまで肩入れをするほどの世界なのか、というのはどうしても心に残るものもあります。私が言うのも野暮ですが、北田さんにはもっと相応しい場所でしっかりとした活動をしていっていただきたいと願う次第です。

 ところで、世に倦む日日さんが公開した辛淑玉女史の直筆による『Mさんリンチ事件に関わった友人たちへ』という7ページにも及ぶ文書があります。取りまとめた世に倦む日日さんも大変だったろうなと思う一方、暴行を振るった側の保護者のような立場でもあった辛淑玉女史の沈痛な感情の波が表現されており、辛淑玉女史に対する情感もまた変わる一件でした。超えてはいけない何かを仲間が踏み抜いてしまい、取り返しのつかないことをしてしまった、そしてそれを止められなかったというのは、立場の違いを超えて感じるものはあります。
 ご関心のある方は、適当にググって、どうぞ。

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