家内と散歩
久しぶりの丸一日休み
こんな休日には散歩である

普段の移動が自転車若しくは
電車タクシーバスのため
実は京都市内のことは疎か
上京区内のことさえも
実はよく知らないのである

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散歩の途中でご飯

最近見つけた
丸太町付近の蕎麦屋
非常にお気に入りの店へ

写真は鍋焼きうどん
蕎麦は食うたことがない
何やらかの有名な
河道屋の暖簾分けらしい

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帰り道
ハーブティのお店を発見
以前にお弟子さんから
いただいたことがあり
素通りせず入店

繊細そうなお兄さんの説明のもと
気になるティーを試飲して
好きなものをグラムで購入

散歩の途中  と
黄色の果実という種類を選ぶ

京都西陣の たま茶 というお店

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この日の夕食は
大好きなバナナケーキである
やっと私も大きな顔をして
ハッピーバレンタインと言えた

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先日より
六月に披きの予定である
「乱」(みだれ)の稽古が
本格的に始まった

先ずは先生に一から教えて頂き
不器用な私は一度で覚えられず
若宗家に手取り足取り…

「披(ひら)く」という事は
秘曲難曲を開曲することで、
お許し無しには舞えぬ曲を
演じことである

今回の乱の披きは
私の能楽師人生において
非常に大切な舞台となります

披きは一生に一度のみ

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乱の写真:祖父のサイトより転載

「乱」は能「猩々」の
特殊演出で乱れ足という
特別な足遣いで舞います

もとより能の歩みというのは
摺り足であることを前から
ブログに書いている

この乱の舞が特殊な点は
舞部分に摺り足で歩く箇所が
殆どないこと

波の上で舞う設定で
波を蹴立てて遊ぶ姿や
波に流されたりするところを
表現します

青海波という模様を
ご存知でしょうか

金剛流の足遣いは他流とも
少し異なり
青海波の如く波模様を
足で描いて蹴ります

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披き はお許しがなければ
舞うことのできない曲の
初演の時に使う言葉

その曲毎にある程度の力量が
認められなければ至らない
わけですが

本当に大切なことは恐らく
初演の披きに向けて

全身全霊を込めて稽古すること
なのだろうと思います

そうでなければ
披きの必要がないのだなあと
稽古をしながら思うたわけです

暖かくなる予定の本日京都は
雨が降り寒い
四月の自主企画の講演案内です
能を知らない人もご存知の方も
参加OKな企画でござります
宜しくお願いいたします
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能よりまなぶ <第1回 熊野>

場所:平成29年4月8日(土)
時間:14:00~15:30 
場所:龍宝館(多目的ホール菓仙堂) 
        京都市  俵屋吉富烏丸店北隣 3階
料金:1人3000円 (お呈茶席つき)
        30人限定予約制
内容:能楽を観るための基本講座
        能「熊野」の解説
講師:山田伊純

日々舞台に立つ役者の立場から、
春の能「熊野」の物語を解説する。
能の謡や動きを交えながら、
注目すべき言葉や歌を取り上げ、
その時代背景や主題となる
人々の感情などを説明する。
冒頭に能の基本的な予備知識を勉強する。

●予約・お問い合わせ 
山田伊純事務局
075-366-6698(TEL・FAX)
yamadaisumi@sj8.so-net.ne.jp
必ず<氏名、希望枚数、連絡先>
をお知らせください。


以下、「平なにがし」 や
「なんとか盛」 が苦手な人の為の
本当の書きくだし文である

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かの有名な平清盛の孫にあたる
平維盛(これもり)という人物がおった
今から大体800年以上前の話

平家がもう日本国では
やっていけなくなってしまい
苗字が平さんだっならば
いつ殺されるか分からない
恐ろしい時代でした

この時代は名前が後世に残る
ということが大事な世の中で
逆に言えば汚名は屈辱
維盛は誰だかわからないような
人に殺されるという屈辱を避けたい
それでも自殺は考えたくない

昔に父の部下だったという
滝口のお坊さんが高野山にいるのを
思い出して、お坊さんなら
何とかしてくれると思い
助けを求めにいきましたら
こんなところで何をしてるのかと
説教をさせられてしまい
色々考えた末、神様のところに
参拝をした後、入水自殺すること
を決める。その後を滝口さんに
弔って貰えばきっと成仏できると
維盛は自分に言い聞かせて決断

ところが残した妻と子供のことが
心配で頭から離れず、
松の木を削って自分のお墓を
作りながら涙が溢れでてくる
それを堪えながら西に手を合わせて
入水しようと試みるも
愛する妻と子が再び頭に浮かび 
邪魔をするわけです
しかも今自分が死ぬという事を
つゆも知らず、今か今かと都で
待っている妻を思うと辛くなる
一方であった

その時に呟いたのが
"あはれ 人の身に妻子と
いふものをば持つまじかりける
ものかな〜"である

維盛という能がある
現在定められた曲ではなく
一度なくなってしまった廃曲
にあたるものであるが
近年に復曲されているらしい
いつか舞いたい

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風の便りの音信(おとずれ)をも
今や今やとこそ待たんずらめ

最近、平家物語を読み直している
今日は「維盛の入水」の辺りで
自然と涙が流れるのを堪えた
自分は本当に平和な世の中に
生まれたのだと痛感する
しかし毎日の安全と引き換えに
それを思い出せなくなる恐れが
現代には確かに在るのだ

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維盛が入水の際に
"人の身として生まれて
妻子を持つべきではなかった
この世の思いの種となるばかりか
成仏の妨げにまでなる"と
言うのには辛いものだ
こう宣いながらも妻子の顔が
頭によぎるというのにも
目の上が熱くなるばかりである

入水や自決を決めて
残りの人生がほんの僅かに
なった時の人の考え方や
物の見方はいかなる様であろう
有り余る平和から得る安全は
決して幸福ではないかも知れぬ
これを思う余地すら与えられない
そしてテレビの明るいヒトビトは
次から次へと出現し世の中を
犯して行く
惰性な平和は平和ではない
平和の波に呑まれ流されるは
修羅道と何ら変わらない
平家物語を読見返しながら
軍記物語故に全く別次元の話
とは言えないのである

能では我々と同じ世界に
生きていた魂が語る
こういう楽しみ方もある

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