ショーン川上さんの経歴詐称を「週刊文春」が報じたのち、いろいろな人のところに火の粉が飛んでいるようです(笑)。

〈報告します。僕は大学卒業しています。正真正銘ハーフです。顔はいじっていません。ただし本名は確かに横文字ではないです。なんか誤解が生じているようなんで。笑 勘弁して欲しいです〉(桐島ローランド)
https://www.facebook.com/rowland.kirishima/posts/10207347867587261?pnref=story

ショーンK、テンプル大学日本校中退という経歴がKダブシャインと一緒なんですけど、そういえば字面もちょっと似てます
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1177569075587702&id=202392576438695

上記のように、ローリーのところにも、Kダブくんのところにも、そして、同じ68年生まれの私のところにも「詐称」について「些少」ですが来ています(ショーンさんが詐称でなければ4人とも1968年生まれ/笑)。

私の場合のきっかけは、約10年前、「週刊現代」の当時のK編集長の作り話から始まったものというのはわかっているのですが、とうの昔に消えたはずの「デマ」がこの機会にまた復活するのは驚きですね。

まぁ、こうした作り話が生き続けるのも世の常、むしろ話題にしていただけるだけでもありがたいことなのかもしれません。

ということで、ちょうど良い機会なので、この際、自分の経歴を整理して公開しておきますね。 

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1968年(0歳) 福岡県柳川市の福岡県立病院で、サラリーマンながらも無頼放蕩の父・博通(長崎県産)と母・聖子(山口県産)の長男として産まれる。地理的には本州と九州のハーフ。物故した父によれば「うちの先祖は隠れキリシタン。西洋の血が入っているんだぞ」ということだが、顔面の形状からして、その説は極めて受け容れがたい。上杉家の先祖の写真を見て、仮にそうであるとしても、おそらく1000年以上は昔のことだと思われる。

1969年(1歳) 東京都杉並区に引っ越し。以降、小学校3年生まで阿佐谷南1丁目の戸塚荘で過ごす。杉並東洋幼稚園、区立杉並第六小学校に通う。九州弁が話せないのはこのためだが、生まれが福岡だったため、のちに「FNN九州・沖縄全局特別番組」のMCに眞鍋かをりさんとともに抜擢されるきっかけになった。「産地偽装」の嫌疑をかけられることを避けるため、番組冒頭、正直に「若干、偽九州男児の上杉隆です」と自己紹介している。

1976年(8歳) 東京都新宿区に引っ越し。新宿区立鶴巻小学校、区立戸塚第一中学校(現・西早稲田中学校)と極めて善良でない少年時代を歩みだす。とくに中学時代は、親友ら(K林、N村、H井)が次々と「暴走族」(新宿統慎)入りを果たし、気が小さく心の弱い私は「集会」などへのおつきあいを強要され、のちのバイク嫌いに繋がる。

1984年(15歳) 高校進学を希望するものの、父の意味不明の教育方針により、中学卒業と同時の「完全自立」を命じられる。受験料、入学金、学費、生活費のすべてを捻出するため、中学3年より年齢を詐称してアルバイトを始める。早稲田のスーパーマーケット「三徳」のみなさん、喫茶店「バタカップ」の店長さん、年齢詐称をしていました。ごめんなさい。4月、都立広尾高校入学(普通科)。

1987年(18歳) 高校卒業。そのままフリーターに。新宿のゴルフ練習場「落合ゴルフ」の球拾いを皮切りに、渋谷のカフェバー「タイムマシン」、居酒屋「すずめのお宿」、サントリー「ペンギン'sバー」、早稲田のバー「沙羅」などでウェイター、高田馬場古本市の警備員、新宿の雀荘のビラ配り、建築コーティング会社の作業現場労働、群馬県のゴルフ場(ルーデンスカントリークラブ)のキャディ、同じく群馬県の「水上プリンスホテル」のスキー場スタッフ、新宿北郵便局の配達員、高田馬場のカラオケ店「ビックタイム」のデイタイムキャプテンとして人事労務管理、「すかいらーく」山中湖店のキッチンスタッフ、同じく山梨県山中湖村のオーベルジュ「オーベルジュ・ブランシュ」の臨時スタッフ、中央高速道路の交通調査員、県立吉田高校の家庭教師、茨城県結城市のゴボウ農家での農作業などの「職歴」を経て、富士屋ホテルチェーン「山中湖ホテル」の社員寮に、同社初の「社員」扱いの学生スタッフとして入寮、勤務。上記はすべて非正規雇用だが、一部の社員の方よりも、多くの給与と権限を頂戴して、得難い経験をさせてもらった。その意味で、富士屋ホテルに「変な一学生」を拾ってくれた譲原尚行さん(当時の総支配人)には感謝のしようがない。また、正規だろうが、非正規だろうが関係なく、世間知らずの若者に接してくれたすべての方々に改めて心から感謝する。そんな時期の高校卒業の翌年、山梨県の市立都留文科大学文学部英文学科入学。

1992年(23歳) 春、日本放送協会(NHK)を受験。夏、日本放送協会に内々定。秋、同協会正式内定(記者職)。大学5年目、単位は取り終えていたので、10月より来春採用予定者として、東京渋谷のNHK放送センターで非正規スタッフとして勤務開始。朝のニュース番組『モーニング・ワイド』のリライター。翌年3月、大学事務局の事務手続きミスにより卒業留保。そのまま新番組『おはよう日本』で働く。当時の番組MCは今井義典さん(のちの副会長)。このNHK時代に明石勇さん、桜井ようこさん、黒田あゆみさん、草野満代さん、平野啓子さん、小谷真生子さん、小平桂子アネットさん、有働由美子さんらのアナウンス陣の傍でお手伝いをさせてもらったのは、その後の私自身のテレビメディアにおける仕事の得難い財産になった。また池上彰さんに出会ったのもこの頃。NHKではいろいろと学んだが、その中でもNHKの澤田勝夫さんだけは忘れられない。私の人生の恩人であり、たとえ損をしても、曲がったことはすべきでないという姿勢を身を以て教えてくれた人生の師である。

1994年(25歳) 冬、鳩山邦夫事務所入所。一度は落ちるもののしばらくして採用。直後の新進党結党大会が秘書としての初仕事。当時、同部屋の秘書は細川護煕事務所の松野頼久さん(現維新の会代表)。永田町に入って、他事務所では最初の「兄貴分」にあたる。その後、自宅番、夫人の運転担当、代議士運転随行、国会担当、事務局次長、広報担当、報道担当などを歴任。5年後の都知事選出馬をもって円満退職(最終的には公設秘書)。私にとっての唯一無二の「政治の師」は鳩山邦夫代議士ひとりであり、そればかりか、哲学、数学、自然科学、環境問題、食に対するこだわりなどなど、感謝しきれないほど多くのことを教わった。

1999年夏(30歳) ニューヨークタイムズ東京支局の取材記者(リサーチャー)に。最初の45日間はインターン。正規、非正規の区別など無きに等しく、真の実力主義による評価と、自由な社風の米国の新聞は私自身の肌にあっていたようだ。ニコラス・クリストフ東京支局長が私の最初のボスであり、次にハワード・フレンチ支局長との3年間、「ジャーナリズムとは何か」ということを徹底的に学ばせてもらった。同僚には、シェリル・ウーダン、カルビン・シムズ、ステファニー・ストローム、ジム・ブルック、ケン・ベルソンなどがいた。また、ハフィントンポスト日本版の前編集長の高橋浩祐さんは、当時、私の創設・担当したインターンシップ制度のインターンのひとりである。またあまりに私の英会話が酷すぎるため、「ニューヨークタイムズ」の歴史上初めて英会話のベルリッツに通った唯一のリサーチャーとなった(当時)。

2000年(31歳) デビュー作『石原慎太郎 5人の参謀』(小学館)発刊。ノンフィクションとしては異例の17万部以上を売るベストセラーとなった(文庫本と合わせて)。調子に乗った私は、警察ジャーナリストの黒木昭雄さん(故人)らとクルーザーを購入、東京湾の「海風」と同業者の先輩からの「嫉妬」を全身に受けながら、フリーランスとして出帆する覚悟を決めたのもこの頃だった。2002年、フリーランスジャーナリストとして正式に「ニューヨークタイムズ」から独立。
  
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ということで、中学生とはいえ、33年前、私は年齢を詐称していました。当時、優しく接してくれた大人のみなさん、ごめんなさい。心からお詫びします🙇。


業務連絡です。NOBORDERスタッフのみなさん、きょうもおつかれさまでした。上記、せっかくですから「HP」にでも転載しておいてください。他にもいろいろと…😄