植田真梨恵 公式ブログ

「わたし、つくるし、それ歌う」長年のインディーズ活動が実を結び、2014年、「彼に守ってほしい10のこと」でメジャーデビュー。曲ごとに様々な感情をまとって色を変える表現力豊かなボーカルが心を揺さぶる。


わたしは水色がすきなのだ
わたしはららのことが好きなのだ
わたしはこの部屋が好きだし
わたしの大好きなものは、わたしだけのものではないけども
わたしは、大好きなのだ
街は すこしずつ 街並みを変えて
変化をしている
歩いている道には
「変わってゆく 変わり続ける ほんとうのあなたになるために 」みたいなこと 書いてあるけど
まあそりゃそーだな
わたしは生まれた時からわたしであり
関わる人すべてに 毎秒 影響を 受け続けているから
だから すべてが無になるとき 無垢に戻るとき
ぜろになるときわたしは わたしになるんだとしたら
死んでゆくその行為自体が 生きているその行為自体が 変わってゆくとゆうことならば
寂しさに色はついてなくて
それを寂しさとは呼べなくて
思い出は 常にそばにあって
常に忘れてゆくことであって
変わってくうちに すべてが変わってしまっていくうちに
わたしはどれくらいの言葉を吐いて 歌を作って 息を吐いて 
何かを見て 何かにふれて 何かを食べて 感動して 感動しなくて
嘘をついたり 本音をゆったり 怒ったりして
すべてが借りものの世界で
誰にもなんにも返せずに
誰の言うことも聞かずに
わたしはわたしの想いを信じて
聞こえてくる声を聞いて
みんなの目を見て 歌って
かなしくなったり うれしくなったりして 
押しつぶされそーになりつつ 別に押しつぶすものなんかなんもなく 今日もなんなり生きていて
日常はありったけ続いていて
特にそれ以上はなにもなくて
特に別にそれ以上はなんもないと思う。

わたしはわたしの好きで 水色のカーテンと水色のベットカバー 水色のティーシャツに水色の下着 水色のマニキュア 水色のパッケージ
わたしはわたしの好きな歌を歌い わたしの好きな人たちのことを思い それを聴いてそれを奇跡的に好きになった人たちが いろいろがんばっておんなじばしょでおんなじ音楽をきいたり 歌ったり鳴らしたり している
いろんな思い出や いろんな記憶がまじって 好きなうたがもっとすきになったり もー聞けなくなったりしたりして 
常にそんな風にわたしは じぶんの好きなものしか 描けないし 歌えないよ 嫌いなもののこと わざわざ歌えないよ。
25才になったのだ。わたしは。もういいおとなでさ、わざわざ嫌いなこと、歌えないよ。好きなもののことしか、わたしを取り巻くことしか、わたしの好きな想像しか、わたしの好きな人のことしか、わたしの好きな景色のことしか 歌えません。
情熱なんて いっつも大きく燃えないよ。でもすごく燃えることもあるもんね。ぼぅっと小さく、熱く、じんわり、消えそうに、燃えているからね。ゆっくり。たまにどっかり。燃えているから。目をとじると思い出すような においとか さみしかったような感覚。色がつけられない。なんと呼べばいいかわからない。そこにあるのかわからないような。あったような。なかったような。確かにあったような思いで、歌を歌っていたいよ。とおもうよ。
ここにない ここに今なくて どこにあるか  どーしてるか どこかにあるのかも わからないものが 確かにあるよねという思いで 信じたい思いで。

冷たくて 優しい人

あたたかくて寂しい人、

これを
大人
子供
と読んだとして

大人というのはだいたい
元 子供だとゆうからね

その交差点にいるときは
大変何やら入り混じってしまうのかもと思うね

夢はときおり濁ったりすることもあるけれど
ほんとうに汚れきっちゃったりはしないなと思うね


何に救われるかというのはその時次第で
冷たさに助けられるときもあるだろうし
純粋さにぶっ潰されるときもあるだろうね

まじりっけのないほんとーの思いが
1秒でも強く焼付くことが
わたしは美しいことだと思うし
そーゆーもんだしょ、と思う。

追いかけっこする日々 いつになれば追いつけるのか
いったい何に追いつくのか 追いつこうとしているのか考えている
理想?夢?未来?なんらかの自分というもの?
わたしはというとぜんぜん、そんなものではなくて
多分ね、たりないことを感じている。一体何が足りないというのだろうか?
時間?お金?力?勇気?命?フォーシーズンズの歌詞である。
優しさ?余裕?げんき?がんばり?やる気?あとはなんだろう?失っていくのは若さ?勢い?
いやしかし
すべてのことはほんとうはとっても平らであるから
かなりどれも足りないし、結果的に死ぬときには、ぜんぶ帳尻があってくるんだろうなと、おもうんだよな。
そんなことは死ぬときにしかわからないんだけど
分数の1ぶんの1と4ぶんの4が同じ、っていうことを理解したときみたいに、
うつわの大きさが違うだけで、満ちていることはおんなじなんだとおもう。

人間の特徴

慣れる 学ぶ 飽きる 食べる 忘れる


ぱっと思い浮かんだのがこの5こ。
私は今朝すんんんんんんごいこわい夢を見た。
夢というのにはふたつ意味がある。
夜寝るとき、見るやつと、起きてるとき未来とか希望とかに重ねるやつ。
すんごいこわい夢には、浅野忠信さんと未唯さんがわたしの両親役で出てきて、わたしは三姉妹の末っ子だった。
すんごく怖くてテンションが悪夢からかえってこられなくて、汗だくでひいひい言いながら目を覚ましたのに、
今はもうここに書きながらそのときのこわさなんかすっかり忘れ去ってしまってうまく書けないの。

そしてブログを書き始めた理由もいまわすれかけているんだよね。年々頭が悪くなっているのか、もしくは気がつくことがうまくなっただけなんかどっちかわからないんだけど。

大切なこととか、すてきな感情(つらい、うれしい、やさしい、くるしい、かなしい、すき、ありがとーとか)すっぐ忘れるんだよね
そのとき!今!その時!てゆうのだけが、感情の頂点なの。ピークポイントなの。
そのときをいっしゅんでも過ぎると、それはたちまち消え去って、過去のものになっていく。
それをわかるから音楽家は、音楽をつくる。
物書きは物を書く。それを映画にしたり。
でも音楽は、絵ほど描くことに時間がかからないから、その刹那をよりはやくかたちに残せるものだと思っているんだ。
わたしの音楽は、その瞬間のピークを歌にしてのこしているものだ。で、歌というものは。記憶に残るものであって
録音したその物には価格がついている場合がほとんどだけど、
歌はいっかい聴いたら忘れないこともあって、それでいて形がないから、いつなんどきも取り出して、頭の中で再生することができるんだ。
しかも、それはメッセージであったり、はたまたなんっの意味も無かったりするんだ。
そんな風に形こそ変えず、形を変えて、聴いた人の口からまたこぼれおちたりする。
無料で口に出して歌うことができて、そんなことになんの価値もないんだ。そういうとこが、だいすき。
歌のそういうとこがわたし、大好きで、歌をつくってるんですけど。
そんなわたし植田真梨恵(25・歌い手)の最近の悩みはね、
悩みが100:100で訪れることなんですよね。
ここからは今回のブログのおまけでしかなくて、もう書きたいこと書いたから満足なんですけど、

うれしい:かなしい とか 大丈夫:だいじょばない が
が、80:20くらいやったり 30:70くらいやったりするのがふつうなんだけども
いまは しあわせ:ゆううつ とか イエーイ:ちーん が100:100のかんじで秒刻みに入れ替わる。
憂鬱だしかなしいししあわせだしこわいしあんしんだし超余裕だしがんばれるし最高でもうだめってゆうのがみんな一気に1秒ごとに、100パーセントです。
こういうのをきっと世間一般では情緒不安定というのでしょうか。
極めて冷静にこれを見ているとも思えるし、極めて感情的ともいえます、だめだこりゃ。
しかし、生きてる感じ、するよ。こーいうときに、曲をいぱーい書いときたい。ものですね。



そんな情緒不安定な私なんですが、ニューシングルのリリースが決まりました。(みなさんごぞんじですよね、もう。)
「ふれたら消えてしまう」という曲を、2016年7月6日にリリースします。

夏、外でライブをする機会がふえるかしら?と思って、夏に外でバンドでやったらわたしも聴く人も両方気持ちがいいといいなーと曲を書き始めたら
思いのほかそのときのわたしのきもちがそのまんま乗っかった歌が出来上がったようで、歌入れのとき思わず泣きかけました。
hide氏、忌野清志郎氏の、命日でもある5月2日という日に歌入れできたことが、歌詞の内容とあいまって、印象に残った出来事でした。
心からの1曲に間違いありませんので、みなさんよかったら、きいてもらえる日がきたら、最後まで聴いてみてほしいです。


けっきょくたりない部分があるから、わたしは生きているのかなと思います。
なのかな。もしくはオーーールフラット、ぜんぶまとめて1である人間にとって、学びや慣れを続け、しかもなおかつ忘れていく人間にとって、
足りないものをかんじるというのは当然のことなのかもしれない、生きている限り。ピークのポイントを記録していく限り。足りないということが、ピーク以降は必然なのかもしれない。
「ふれたら消えてしまう」は、そんなような歌です。ブログに書くとちょうむずかしいのでやっぱり4分かけて曲のほう聴いてもらいたいな。

よろしくお願いします。曲かくーーー

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