谷中のHAGISOでおなじみ、宮崎晃吉さん率いるHAGI STUDIO設計のリノベーションホステル「hanare」のオープニングに行ってきました!

見学時間が夜だったので、こんな暗い写真になっちゃったけど…

元々は、こーんな空き家だったところ。
目をつけた宮崎さんが、大家さんを探し当てて、直筆で手紙を書いたところからスタートしたプロジェクトだそう。

早速、中に入ってみましょう\(^o^)/


わー、いきなりドラマチックな吹き抜けがお出迎え!

右側には小さなレセプション。
その後方には、観光パンフなどを置くコーナーも設えられている。

ではでは、早速お二階へ。

お部屋はこんな感じ。
旅館のように、前室を抜けてからのー
お部屋ドーン。
…宮崎さんに申し訳ない、
写真の10倍くらいいいよ、ココ。

そりゃこの時代の建物は、剥がせばそれなりのものが出てくるでしょ、って思うでしょ?

でもね、「hanare」は、ただ剥がしただけじゃない。残し方とか魅せ方が、すごく計算されてる感じ。

お手洗いや洗面。
リノベは手元から、が鉄則だよねー。個人的には、ココにコレはナゼ?とも思わないでもないけれど。
大胆に、ベニヤの表し。
印刷までのこっていて、外国のひとが面白がりそう!


こちらは一階のお部屋。
「hanare」は全部で5室あるんだけど、メインルームだけでなく、前室にもそれぞれに面白さがあって。

例えばこの部屋なら、吹き抜けになっていたりする!
そうそう、お部屋にある重箱には、スッポリとアメニティーが収められていて。
京都とか金沢とかの、上質とか伝統とかはんなりとかとはまた違った、和のもてなし美学があるんだよね。もっと、現代とか日常とかに近い感じの。

それにしても、丁寧なリノベーションだなー。

荒廃した空き家のなかに、きらめきを見つけてワクワクした、宮崎さんの想いが伝わってきそう。

リノベーションって、新築と同じで、建築と建物がある、つまり、いいリノベとそうでもないリノベがあると思うんだけど、「hanare」は本当に良いリノベーション。ひとと建物の触れ合いかたを、よくわかってるひとの、上手い設計だなーって、しみじみ伝わってきます。

コンセプトは、The whole town can be your hotel.「hanare」だけで完結せず、機能を補完、拡張するかたちで、街の中にある既存のものをフル活用することで、街の体験を提供するホテルなんだね。
お部屋は旅館的だけれど、お食事までお部屋で食べさせる、旧来のワンストップ型とは真逆。

クラウドホテルって言うのは簡単だけど、実際この谷中という街に根ざした活動を続けながら、感度のアンテナは遠くまで張り巡らせていた、宮崎さんだからこそ、具現化できたことかもしれない。


こりゃ外人さん、喜ぶなあ。それだけでなく、日本人にとっても、新鮮な宿泊体験が待っている気がします。

予約は本日から!
http://hanare.hagiso.jp

プリズミックギャラリーで始まった、松川昌平さん+SFC松川研による展覧会「アルキテクトーム2015」のオープニングに行ってきました\(^o^)/

コンピュータで建築を生成するプログラミングなど、アルゴリズミックデザインについての研究を続ける松川氏。

本展は、そんな松川さんと、彼が率いる研究室が開発したプログラムが自動生成した建築たちが、ズラーリ126戸、並べられています。

まず面白いのは、不動産情報のフォーマットが踏襲されてるところ!

ね、ね?どっかで見たことあるような光景でしょ?

目では見えない価値を可視化している点では、これと不動産情報って同じことなんだよね、と松川氏。

でも実はコレ、ぜーんぶ、同じ敷地に対して設計された住宅なんです!


これらは、ペラ一枚じゃなくって。

パラパラ
何枚もの紙面が重ねられています。

ここに何が記されているかっていうと、

まず表紙はこんな感じ。
左上に生成された建築の外観や内観。これは視認できる情報だよね。肝心なのは下半分のカラフルな表で、これはこの建築の、視認できないところまで評価して可視化もの、つまり、これはどんな建築かってことを、記した表なんです。

どの部屋が、どの部屋とどんなふうに繋がってるかとか、視線や風の抜け方はどんな感じか、とかね。

この表だけで、ああ、居心地よさそうだな、とか、いい眺めになってるな、このリビングは快適だろうな、っていう体感まで読み込める。この建築のどの空間が、自分の五感をどんなふうに喜ばせるが、わかっちゃうんだね!

建築の言語化において、空間性とか回遊性とか快適性とか、なんかこう、モヤッとした抽象的な言葉たちが、松川さんの手にかかれば、こうしてどんどん数値化されちゃうんだよ\(^o^)/

ひとは、建築の、空間の、何に魅了されてきたのか。その謎に大きく迫る研究でもあるわけです。

さらに重ねられた紙には、
平面図とか、
構造計算まで、

これ、ぜーんぶ、コンピュータがやってくれたんだよ!

しかも!1戸あたりにかかる時間は、たったの35分ほど!

もうね、私たちは、コンピュータに欲望を入力するだけで、いいのです。あとは全部自動的にしてくれる、人間では到底できないところまで、人間のスピードとは比べものにならない速さで。

本展の表ではまだ、基礎的なパラメータのみだけれど、もっともっと多角的な条件や、時間軸まで、細かく深く設定することだって、そう遠からず、実現するでしょう。

たとえば、こんなのも出てきたりね。


ところで。

松川さんの研究は、痛快なまでに理性的で、時として、人間の存在を無視してるようにさえ見えるときがあってさ、

昨年だったか、あるグループ展で会った時、僕のこのやり方で、一年に一万戸建てられる!って話してて。ホント?って思ってました。

技術的な疑問ではなくて、この方法で建てたい、と思う人間と、彼の研究とが、どこでどう出逢うのかなって思ってたから。

だって。なぜひとは、空間にこころを動かされるのだろう。なぜひとは、シェルターで済ませずに、建築なるものを、求めてきたのだろう。なんで?なんで?


今回の展示を見つめていると、さまざまな哲学的な問いが突きつけられるとともに、その地平に少しだけ、人間の気配が感じられたことに、驚かされました。

あー、このひとは、骨を、遺伝子をつくってるんだ。翻って私は、肉や皮だけを、人間だと思ってたのかもしれない。

私が本展から感じた人間の気配とは、ヒューマニズムとかじゃなくて。そもそも人間の人間たる所以は?って部分に、ある刺激が与えられた、手応えのようなものだったのかもしれません。

そんな伝わり方がするくらい、生活言語にも落とし込めるかたちになっていた、ということでもあって。難解な研究発表に終わらず、展覧会というメディアとしても、感心できる内容です。

建築と人間のこと、空間とこころのこと、変革するものと普遍であること…観覧者に、いろんな問いと刺激を、ビシバシ与えるものになっていると思います。

10月31日(土)は渡辺誠さん、11月07日(土) には難波和彦さんがゲストの、ギャラリートークも控えています。いずれも18時から。

詳細はコチラをご覧ください↓

http://www.prismic.co.jp/gallery/works/?p=951

ぜひぜひ!行ってみて\(^o^)/

ギャラリー間で始まった展覧会「アジアの日常から:変容する世界での可能性を求めて」が、あまりにも刺激的だ。

いつも通り、ほんの軽い気持ちで観に行ったんだけど…

いやはや、大ヤケドだよ、すごくいい意味で。

まあまず、この企画、この展示、このメッセージに振り切った、ギャラ間のソウルにシビレまくり。本当に日本の建築に想いのあるギャラリーであることが、改めて伝わってくる。

なぜならこの展覧会は、日本の建築人に向けられた、眩いばかりのエナジーであり、勇気ある警告でもあるからだ。おまいら、そろそろヤバいぜよ?っていう。んもう、ヒリヒリすんね。

もちろん、そんなことはどこにも明記されていない。だけど行間、もとい、空間には、そんなメッセージがパンパンに詰まっているのだ。

放っておくと前置きだけで突っ走っちゃいそうだから、そろそろ会場の写真でも出すね。

むむ

むむむ

むむむむむ、

第一印象は、
「動画、多っ!!」って感じ。
展覧会で動画観るの、苦手なんだよねー

ということで、隅から隅まで舐めるように鑑賞するコースはサクッと諦めて、ザックリ模型眺めたり、キャプション追ったり、という体勢に移行したわけだけど、

うっ、これはヤバいじゃん…
どこの国も!ヤバいじゃん!!

ギャラ間恒例の中庭展示は、ベトナムのヴォ・チョン・ギア氏。自身の18番、竹の構造体を作り込んでいる。
んもう、ビッシリと!撮りきれないスケール感!圧倒されます。

館内から見ると、こんな感じ。どこか懐かしいようでいて、実は未来を創造する建築家としての責任から選ばれた、素材と手法。

今回の展示はどれも、モノだけでは語りきれない。見るべきものは、文脈であり、思想なのだ。
キャプションには、ぜひ手で触れて感じて欲しい、と書かれている。加えて中庭には、素材の匂いが濃厚に立ち込めていて、否応なく建築のちからが、五感へと伝えられてくる。

ちょうどヴォさんが会場で、地元ベトナムのテレビ取材を受けていて、本人に感想を伝えたら、カメラに向かって喋ることになったりして(汗)そんなこんなで。

すっかりファンになってしまった、ヴォさんとパチリ!うれしーい!

本展はアジアの5つの国から、5組の建築家が出展していて、どの建築家もだいたいアラフォーくらい。世代やキャリアに開きがないよう、ほどほどに揃えられている。

なのに、やはりと言うべきか、アジア他国、みんなアツい。

日本が成長期だったとき、このくらいの体温だったかも知れないけど、それに比べて今のアジア他国は、反面教師的な前例を含めたあらゆる情報、比べ物にならないくらいのネットワーク、日進月歩の技術力がある。

当たり前の話だけど、過去の日本が歩んだ道とは、あらゆる意味で、別ものなのだ。彼らは過去の日本よりも、もとい、未だ日本が得たことのないような、はるかに広い視野から、自分たちを客観視している。土着性と国際性を、現代的なバランスで纏いながら。

タイからは、チャトポン・チュエンルディーモル氏。こちらもサイコー!
バンコクの街並みと、
タイの「粗悪品」たち、
で出来た、4つの屋台なのだ!

なぜ展示を屋台にしたのか。
キャプションには、こう書いてある。
この4つの屋台は、会場内にバラバラに置かれても、それはそれでアジアの混ざり合いを表すことになるだろう、と。さらには、通常の「小ぎれいな」建築展の凡庸さも、痛快に批判している。

チャトポンの展示は、まさに本展のタイトル通り、建築性と日常性のどちらをも担保した傑作だ。もしも建築人が、建築の在り処を建築に、あるいは建築人仲間の中にしか見い出せなくなったとしたら、それこそが平和ボケであり、建築ボケである。

翻って、日本からの出展がダメだったわけではない。ただ、言葉少なで、なんだかヒマそうな印象を受ける。

o+hの展示は、良くも悪くも、日本の建築をとりまく現状を、正しく表している。そしてそんな状況は、アジアどころか、他のどんな国も経験したことのない、全く新しいタイプのものと言えるだろう。


余談だけど、アジアって三文字に、今ドキのヤングたちは、どんな印象を持っているのだろう。

日本は、他のアジア各国に比べて、アジアという言葉と、少し疎遠になってしまうような過去がある。高度経済成長を遂げると同時に、まるで自分の黒歴史が続いているかのような、他のアジア各国とは、もう違うんだ、とでも言いたげなムードがあった。それは同時に、謙虚さを、つまり、学び、気付き、発奮するチャンスを失うことにも繋がった。

元気出せよ、目ぇ覚ませよおまいら!

ギャラ間が放った建築界へのエールは、私たちが今立っているこの地平から集められた、選りすぐりの、それも、とびっきりガツンと効く、それはそれは痛烈なパンチだったのだ。

http://www.toto.co.jp/gallerma/ex151017/index.htm

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