月別アーカイブ / 2016年05月

考え方でよく例えられる、コップ入った半分の水。

これを「半分しかない」というか「半分もある」というか。 

 そこは主観でしかないのだけど、この水が500mlならば、500mlであることは事実。

 しかし、この事実の部分を認めない人が世の中には存在していて「それは水じゃないかもしれない」とか「私にとっては水ではない」とかもはや関係ないことを言い出す。

議論をする上で、客観的事実を共有しないまま印象と思いつきを綴ることを「批評家」というのであれば、批評家というのはかなりエキセントリックな職業だなと思う。

最近うちのめろこ。や手登根とネタで話している


「あのビルはロックか?」
「ロックだね」


「あの焼肉屋はロックか?」
「あれはロックじゃない」

というやりとりも批評なのだろう。めろこ。と手登根優貴は批評家であった。

Twitterで新潟県がたくさんの漫画家を輩出してるという話があがってたのですが、創作活動をする上で新潟県は条件が良いのではないかと考えています。

私が創作を始めるうえで一番重要なものと考えているのは「個室」です。

絵を描くにしても文章を書くにしても、親兄弟に邪魔されず存分に時間を使えることこそが才能を開花させるために必要なことだと思います。

創作というものはとても恥ずかしいことなので、始めたばかりのときは親兄弟、友達のひとことで簡単にポッキリ折れてしまいます。まずは折れにくくなる程度に成長するまで、それら害虫にやられないようじっくり温室で育たなければなりません。

その点で、新潟県は持ち家が広いため子どもの個室が用意できるんじゃないかと予想しています。
逆に私の住む沖縄は住宅事情が良くないので、創作を始めるのには不向きじゃないかと思います。

これはあくまで「創作を始める」ことの有利不利なので、すでにプロの方だと沖縄は気候的に悪くないんじゃないかと。

特にデータをよく調べたわけでもない、予想です。 

NewsPicksと三上俊輔への抗議、その後の顛末〜批判はありだが、侮辱はダメだ〜 | sakaiosamu.com

Newspickというサイトでこの記事を書いた境治さんがコメントで侮辱されたということで抗議しています。

その境治さんに対し「批判が嫌なら書くのをやめろ」という旨の記事を書いている方がいました。

ネットではよく「スルースキル」といって批判や誹謗中傷は無視するのがネット上級者的な言われ方をしますが、私はその考えに反対です。

批判はともかく、何故中傷を黙って受け続けないといけないのでしょうか?そんな言葉のために言いたいことを言えなくなるということはおかしいです。

当然、批判や誹謗中傷の記事に対して反論する権利があります。

しかし、なぜか周りの「良識ある人」が反論はやめろと促すことが多いです。それが大人の対応だと。当事者の気持ちも考えずにです。

そうこうしているうちに、ネット上では中傷する人々が増長してしまいました。


最近は潮目が変わってきた気がします。芸能人もTwitter等の自身に向けた心無い言葉にはキッチリ反論するようになりました。有名も無名も関係ありません、自分の言葉には責任を持つべきです。

リビングでテレビに向かって野次る感覚で書いたであろうコメントも、それ自体が公で批判されうるコンテンツであるという自覚をひとりひとりが持つ必要があります。

そして「批判されるから書かない」ではなく「批判は受けて立つ」ことが健全な表現の自由であり、より良い社会となりうるでしょう。


「中傷」は論外です。 

↑このページのトップへ