月別アーカイブ / 2016年02月

苦労という言葉があります。

GOO辞書
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/64812/meaning/m0u/
く‐ろう〔‐ラウ〕【苦労】
1 精神的、肉体的に力を尽くし、苦しい思いをすること。「―が絶えない」「―を共にする」「―の種」「―して育てた子供」 


手に入れたいスキルや目的があり、そのためにする苦労ならわかります。 
しかし日本では苦労自体を目的としているフシがあり、苦労は神様が見てくれていて、後々報われるという思想がそうさせてるのでしょう。私はそれを「苦労教」と呼びます。

本人が勝手に苦労する分にはいいんです。勝手に苦しんでてくれれば。問題は、苦労教の人々は苦労せずになにかを手に入れてる人に対して不公平だと感じるのです。


それはおかしい。

なにかを手に入れるために必要な「コスト」は、人それぞれに違います。 
ここでいう「コスト」は、車がほしいならバイトしてお金を稼ぐ時間や体力、大学合格なら合格ラインに必要な学力まで勉強量となります。
しかし苦労教の人々はこのコストを「苦労量」で換算します。 これだけの苦労をして車を手に入れた。苦学して大学に入ったと。


そして苦労教の人々は、苦労しても欲しいものが手に入らなかったとき「苦労が足りない」と考えます。つまり神様がOKと言う苦労量に達していないと。
だから、さらなる苦を探して懸命に苦労します。


しかし、世の中欲しいものを手に入れるための条件はわかりきっています。上手く行かないのなら、やりかたが間違っているのか、ベースとなる能力が備わっていないかです。


身も蓋もないですが、とばっちりは御免なのでいいかげんこの苦労教の人々には目を覚まして欲しいです。 

中学生が作った映画の予告編のような動画がスゴイという記事を見かけました。

YOUTUBEにあったその動画は確かに良く出来ていました。

だけどこの「中学生が」という部分がひっかかります。つまり、一般的には中学生には出来ないという認識があるわけですから。

でも、中学生にもなればそれなりに能力を発揮する人が現れる頃です。私が中学生の頃はBASICというプログラム言語で音楽を作っていましたし、マイコンベーシックマガジンのというプログラムを扱ったパソコン誌で中学生の投稿者はザラにいましたし、むしろ普通という感覚でした。

自慢したいわけではないのです。

そんなことが出来たのは、その環境を与えてくれた親がいてくれたからです。まだパソコンなんて世に浸透していない頃に購入を助けてくれて、パソコンを使うことの邪魔をしないでいてくれた。そんな親は褒め称えたいですし、親は自慢したいです。

 
 件の動画を作った中学生も、多分親がその制作環境を援助してくれたんじゃないでしょうか?

ある程度の能力と興味があれば、あとは環境さえ与えれば誰でも伸びると思います。
逆に言うとどんなに可能性があっても、環境がなければその可能性に気づくことすら無く人生を終えるかもしれません。 

これは才能以上に格差の問題です。親の知性と経済力によって決まるのですから。 

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ノルウェーの公立高校、時間割に「ゲーム」を加える « WIRED.jp
http://wired.jp/2016/01/14/norwegian-high-school-e-sports/


面白い試み。

  eスポーツ・プログラムの生徒たちは、この週5時間を、単にゲームをプレイすることに費やすのではない。このクラスではゲームスキルも重要だが、該当のゲームに最適化された90分の身体訓練も含まれる予定だ。そこでは、反射神経、体力、我慢強さの向上に取り組む。各クラスはふたつのグループに分けられ、15人がゲームをプレイし、残りの15人は身体訓練を行う。

少し前まではビデオゲームは悪者にされがちでした。しかし最近は「e-スポーツ」として競技化が始まっています。

私も小学生の頃から今までずっとゲームに親しんでいるのですが、経験上、ゲームの上手い人はだいたい頭が良いです。ゲームが上手いということは、コツを掴む能力に優れ問題解決能力が高いのですから、考えてみれば当然のことです。

上手い下手を除いても、歴史ゲームにハマれば歴史を覚えるし、桃鉄にハマれば日本の特産品に詳しくなる。私のいとこはドラクエでカタカナを覚えました。

そもそも「学ぶ」と「遊ぶ」に違いはあるのでしょうか? 


私は小学生のとき、CM音楽を聴いて覚えてエレクトーンで弾く遊びをしてたら音楽家になりました。

本来学ぶということはとても楽しく面白いことです。 しかし「勉強」という言葉には苦労や強いるという意味が含まれていると思います。


仮に、日本でビデオゲームが体育などと同じく教科として採用されたとしたら、きっとゲーム嫌いが増えることとなるでしょう。

日本の義務教育は学びを間違えて教えているからです。勉強を嫌う、運動を嫌う、絵を描くことを嫌う、音楽を嫌う人を量産していますし、嫌いなことなのですから、おとなになったら学校から開放され、学ぶことをやめてしまいます。


学びはもっともっと楽しく、面白くできるはずです。 
ファミコンが世に登場して30年余り。そろそろ教育する側が、ゲームから学んでも良いのではないかと思います。

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