「深く深く考えたこと」がある。
誰でもひとつぐらいはあるだろう。

そんなコンテンツは特殊だ。スペシャルだ。

深く考えるほど、それについて話すとき、断言ができない。否定もできない。
条件によって、発生する現象が白にも黒にもなることを熟知しているからだ。


それゆえ「深く深く考えたこと」には芯が生まれる。揺るがないものが出来上がる。断言はできないのに、不思議と出来上がる。


だから「深く深く考えたこと」があるひと同士の会話は面白い。聞いていても面白いし、自分が参加できるなら倍面白い。

たとえば同じバンドをやっているメンバーらと話すのは、とても面白いはずだ。

「その音楽を良くすること」について考えた深さに関しては、世界一なのだから当然だ。

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ゲリラライブをすると、年下のバンドさんと共演が多い。

終演後「どうしたらいいすか?」と聞かれるタイミングがある。菅さんの100分の1ぐらいの量だが、僕にもあるはある。


そして、何も言えない。
いや、適切な正解なんて言えるわけないのだ。


なぜなら僕よりも誰よりも、本人たちがそのバンドのことを分かっている。
そして、世界中の誰よりも深く考えて、悩んできている。

それを彼らについて、無知な僕が何か言っても当たるはずがない。

音楽的、技術的なことが言えるほど僕はプレイアビリティも高くないし、ひとに指導したキャリアも無い。

オマケに口頭で伝える能力も低いし、コーチングやティーチングのセンスも無い。欲しいけど無い。

だから「まだ途中なのだから」と言うことが多い。

後は「必ず風は吹くから、それまでひたすらサンドバッグを叩いとくといいんじゃないか」ということぐらいだ。

言い換えると「気楽に、頑張って力を高めよ」でしかない。今思うと助言でもなんでもない。誰でも言える。


先輩扱いしてくれるひとに、気が利いた何かが言えたらなぁと思うときはある。


反面、「無理に聞かなくてもいいんじゃないか」と思いもする。
いや、聞かれるのが嫌とかじゃない。話しかけてくれて、むしろ嬉しい。
ただでさえ雰囲気がアレな僕に話しかけてくれる彼らは器がデカイのだろう。

どうしようもなく悩むときに、ワラをも掴む気持ちで、外に正解を求めたくなるのは分かる。僕も繰り返してきた。

でも、これは「分からないことは誰かに聞け」と教えこまれた通説の影響もあるんじゃないだろうか。

「ひとの話を聞くやつはえらい」とされている風潮はある。

一方で「こいつの言ってることホンマにそうか?」という感覚もいるのかなと感じもする。


「深く深く考える」って「そうかなぁ?」という方向に考えることでもある。

やり始めると、安易なアンサーに手を出さなくなってくる。それは表現者にとって、悪いことではない。


勿論、どこまで行っても表現だし、芸術だし、エンタメだ。
そこに出くわすひとの魂が震えれば何でもいい。それに尽きる。


そんな「深く深く考えているひと」はどんな適当な助言も、受け止めて自分のものにしてしまうから、何をどう聞いてもうまく昇華するのだと思う。そうありたい。 


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