降りなきゃいけない駅が来たのに、降りる気になれなくて乗り過ごした。そのまま知らない駅まで行ってしまった。


改札を出ると、知らない風景が一面に広がる。適当に歩いていたら、公園が見つかった。
ベンチにドンと座って、買ってきた缶ビールを開けた。


ショートメールを見ると
「いまどこ?」
「早くしろ」
「今日だけはマジ勘弁して」
「ホントぶっ殺すよ」

などバラエティに富んだ言葉が届いていた。
送り主は、すべて沢田さんだった。


沢田さんは僕のアルバイト先の上司だった。
管理者というやつだ。

沢田さんは、本当は保父さんになりたかったらしいのだけれど、ブラックな営業会社に就職した。3年目らしかった。


僕がそのアルバイトを選んだのは、時給が良かったからだった。それだけで始めたアルバイトだった。しかし大金が手に入る分、キツかった。


月末に入ると、デスマーチが始まった。
数字が足りていないメンバーに、殴る蹴るは日常茶飯事だった。

僕はそれまでもその系統のアルバイトに数多く身を落としてきた。
しかし、この会社は一味違った。社員だけでは無く、アルバイトたちもかなりの武闘派だったのだ。

社員に詰められたら、やり返すバイトがかなりいた。


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ある日、沢田さんが一人のアルバイト、保坂くんを怒鳴りまくっていた。騒がしいオフィスの中でも、その一角の騒音は異常だった。

(ガチャガチャうるさいな・・・)

心の中で毒づいて、僕が彼らの方をチラっと見た瞬間だった。

下を向いていた保坂くんの右手が、シュッと伸びて沢田さんの顔面を捉えた。そのまま返す左手の拳が入って、沢田さんがブっ倒れた。

大騒ぎになったが、保坂くんはクビにもならず、僕が辞めるまで働いていた。

沢田さんは歯と指が折れて、人指し指が変な方向に曲がったままになった。


そして次の日も変わらずに業務は進んだ。
保坂くんは違うチームに配属されて、沢田さんと引き離されただけだった。

沢田さんは次の日、傷だらけなのに課長に怒鳴られていた。

「バイト殴ってでも持ってこさせろ!」

恫喝する課長は鬼に見えた。

その課長もまた、部長に、部長は社長に、社長は取り引き先に殴られていた。


あの環境に染まることが、時給1600円の代償だった。僕もちゃんと朱に交わって、赤くなった。真っ赤になってしまった。すぐに物に当たるクセができた。


何個もマウスを叩き潰したし、椅子のアームも折りまくった。意識していたわけではない。あの当時はアレが自然だった。思い返せば、自衛本能だったのかもしれない。


「怒らせたらめんどくさそうなやつ」という印象を叩き込んでおくことで、目を付けられずに済んだのは事実だった。

そんな環境は楽しいわけがなかった。
そうして、僕は何ヶ月かに一度バックれるようになった。地下鉄の奥底の知らない駅に逃げ込んだ。



僕が「東京」を色濃く感じたのは、黒いアルバイトだった。

渋谷の喧騒や、新宿の高層ビル群よりも、ジメジメした人間の連鎖と、そこから生まれる孤独に「東京」を感じた。


クリスマスになったとき、さらに強く「東京」を感じる思い出がある。

いつも飯島愛さんが首を吊って、死んだことを思い出すのだ。彼女ほど「東京」なひとは僕の中にまだいない。

それに、ロックバンドをやっていると、彼女が死んだ高層ビルには何度も行くことがあった。


9年前のクリスマスもみんなが浮かれていた。

カップルたちの笑顔が咲きまくる年の瀬に、渋谷の外れのビルで、彼女は独りそっとこの世を去った。彼女の人生はなんであんなにも「東京」を感じさせるのだろうか。


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