「ライブ筋」という言葉がある。
ライブのクオリティを支えるための「何か」を表す菅ひであきが作った造語だ(たぶん)。


この単語が適切な表現になっているかは置いといて、大事なのは超常的な話ではないということだ。あくまで実在するものだ。「ライブ筋」はある。


珍しい話でもない。

「練習やリハーサルでは培えないもの」はスポーツ、格闘技などの分野でもあるはずだ。

生のステージ、お客さんがいる環境、ガチの相手がいるときにしか鍛えられない、育めないセンスみたいなもの。これは筋肉と同じだ。

使わないと衰えるし、鍛えれば強くなる。
やはり言葉としては、的を射ている。「ライブ勘」よりは「筋」な気がしてきた。


それにしても、「ライブ筋」という言葉から、ラウドでハードなサウンドが持ち味のバンドばかりイメージしてしまうかもしれない。

メタリカやレイジ、エアロにマイケミにワンオクとかだろうか。


でも僕が最初に感銘を受けた「ライブ筋エピソード」はビートルズだった。

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彼らがデビューしたのは1962年。それから7年半、地球全体を席巻した。


ビートルズと言えばLet It BeやYesterday、In My Lifeみたいな美しい歌のイメージが強いかもしれない。


でもデビュー前の彼らはステージで酔って喧嘩を始めたり、いきなり客を殴ったり、便座を外して首にかけて歌ったり、後のピストルズがやるようなことを大体やっていた。
基本的にはコミックパンクバンドだったらしい。バンド名は「シルバービートルズ」だった。


1960年の夏、「ギャラがいい」という理由だけで、彼らはドイツのハンブルグに渡った。
今から57年も前のことだ。

条件は一日ぶっ通しの8時間演奏。
休みなしの一週間7日間連続公演、楽屋がトイレで寝床は映画館の床だった。

ジョンは「ギャラがいいわけだ」と言っていたらしい。


シーンの違う客層、異国のフロアに対して、最初はうまくいかなかったそうだ。

ドイツ語で歌ったり、ドラマーまで歌ったり、カバーを乱発したり、ハモりまくったりと、ブレ狂いながらも試行錯誤しまくり、ライブ筋を鍛えまくっていた。合わせて演奏、歌唱もレベルアップしたらしい。

「俺はリバプールじゃなく、ハンブルグで育った」という言葉をジョンは後々残している。


しばらくして、ジョンの放火罪やジョージの就労規制が原因で、国外退去になった。
ベーシストのステュは客との喧嘩がもとで死んでいる。

だけど彼らはリバプールに帰ってからも、本数を重ねまくった。殺人的スケジュールを覚醒剤の力を借りて乗り切った。

そしてライブ本数が1200本を越えた頃、Love Me Doでデビューした。



ビートルズほどの才能を持ったバンドもいないけど、ビートルズほどライブを重ねたバンドもいないんじゃないだろうか。ガレージで練習するより、ステージに立っている時間の方が長そうだ。


僕は中高生のときに「なんでそんなに頑張れたんだろう?」と思っていた。
 
QOOLANDはビートルズほどのライブ本数を重ねていないけど、今は分かる気がする。


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「ライブをやる」ことに、意味も理由も無い。
 
興行、宣伝、業務とか、お金を取って演奏しているからプロであって、仕事だから、とかいう言葉も、なんだかしっくりこない。

僕はシンガーだし、ギタリストだし、QOOLANDだってビートルズと同じロックバンドだ。


野球選手がバットを振るのに意味は無いし、ボクサーが相手を殴り倒すのに理由は無いし、絵描きが絵を描くことに理屈なんて無い。「それが仕事だから」という言葉なんて、クソつまらない。
 

哺乳類は酸素を吸うし、魚類は泳ぎ続ける。そしてロックバンドはライブをする。 


僕たちが結成してから、ライブを何本もやってきた。「たくさんやった」と言っていい。
でも「足りない」と感じている。

「身体」みたいなものが、「筋肉」みたいなものが、「神経」みたいなものが不足を訴えている。

きっと身体の方が頭なんかよりも賢い。ロックバンドとしての身体や細胞が「足りない」と言っている。

コップに水を注ぐように、満タンにしたら足りるものじゃない。
そして、やれば「満ちる」ようなものでもない。必要数なんて無い。


ここまで書いてきた全てを無にするぐらい曖昧な日本語で表すと「ガチャガチャうるせぇこと言わずにバチクソにやりたい」だ。