月別アーカイブ / 2017年04月

半年経っても、僕はあのひとから教わった飲み方をやめられなかった。
睡眠剤を半分に割って、ビールで流しこむやり方だ。

「こうしたら余計なこと考えなくてすむやろ」とあのひとが言っていたことを、思い出す。そしてそれすら思い出せなくなるまで、ひたすら飲み続ける。

思考をボカしたいから酒を飲む。
ならば、何かしらの薬と酒を混ぜて服用するのは、手っ取り早いように思えた。


しかし、薬には耐性があるらしく、次第に半分では効かなくなっていた。


飲むのは4錠か5錠がちょうどよかった。

10錠飲むと記憶を無くした。気がつくと辞めたバイト先に戻ることになっていて、神崎川のほとりに僕の自転車があった。

もし100錠飲んだら、気がついたらTOYOTAの重役にでもなって、ニューヨークで目が覚めてしまうんじゃないだろうかと思った。それか、死ぬかだ。


その日もボケた頭で外に出た。
めずらしく午前中から外に出ることができたので、自分を表彰するほど褒めてやりたかった。


ゆるくなった頭で見る世界は実際のカタチと少し違っていた。青色が黄緑に見えるほどではなかったが、直線が曲線に見えるぐらいにはなっていた。
だけど、実際からどれぐらい遠ざかれば、適量なのか僕にはまったく分からなかった。


あのひとがいなくなって、僕はいつまで経っても寂しかった。
彼女は結婚していたけど、それでもいいから一緒にいてほしかった。いなくなって分かったが、僕のなかでとても大きなウェイトを占めていた。
 
時間が経つにつれて、どんどん寂しさが大きくなった。理解者のいない孤独は、刺すように鋭くて、この世の終わりみたいだった。


僕は歩けなくなって、商店街の隅にしゃがみ込んだ。しばらくそうしていた。気分が吹き飛ぶまで、膝のあいだに顔をうずめていようと思った。そんなことはめずらしくもなんともなかった。毎日がこうだったからだ。

道にしゃがみ込んでいる人間が少なくない町のせいだろうか。誰も僕を気に留めていないように感じた。


こうして、かわいそうぶって倒れていたら、何回かに一回は誰かが話しかけてくれた。いきなり恐喝をくらいもしたが、それでも恩恵の方が多かった。気がつくと僕は本当に駄目になっていた。すっかり、ひとの同情を買って生きていくやり方が染み付いていた。

 
どれぐらいの時間そうしていたのか検討もつかない。気がつくと、あたりは暗くなっていた。
遠くでまたサイレンが鳴っていた。建物と月面に音が反射して、不揃いな楽隊みたいだった。


サイレンの中にカツカツという音が混じりだした。靴が地面を叩く音だった。
音がアーケードの天井に跳ね返る。

「嗚呼また、誰か来る。金持ちだったらいいなぁ」と思った。


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「大丈夫?」

聞いたことある声だった。

見上げると、あのひとだった。ドラマかマンガではもっと劇的に再会するのだろうけど、現実はあっけない。もう会えないと思っていたひととの再会でさえ、そんなものなのかもしれない。


「なにしてんの?」

「いや、べつに・・・・・・」

僕は動転して、何を言えばいいのかわからなかった。


「ビール飲む?」

「飲む・・・・・・」


しばらく待つと、彼女がラガーのロング缶を何本も買ってきた。
よいしょ、と言って、彼女が隣りに座った。

商店街には誰もいなかった。遠くでいろんな音がする。でも、それは遠い世界の出来事のようだった。


「こうして見ると、街も綺麗に見えるね」

「なにも、無いですよ」

「誰も見えないのに、遠くに誰かおるとか綺麗じゃない?」

「それは、そんな気がします」


彼女の声を聞きながら、僕は声を押し殺して泣いた。かっこわるくて、また膝のあいだに頭を押し込んだ。彼女はケラケラ笑って頭を撫でたが、それがもっと嫌で僕は手を払った。


「ちゃんと立って、歩いて、ごはん食べて、やってかなあかんねんで。死んじゃうまでは」

右耳にそんな言葉が飛び込んできた。

「じゃあ、もう行くね。またね」

僕は何も聞こえないフリをして、膝のあいだから頭を抜けなかった。そして、隣りから彼女の気配が消えた。

あの「またね」が今も忘れられない。「永遠にさようなら」と違いの無い「またね」だった。それでも「またね」と言って、消えていく彼女がかっこよかった。


人生には本当のことなんて必要がないときがある。
そんな不必要なものが、人間ひとりを蘇らさせるときだってある。


僕はあの夜からちゃんと立って、歩いて、ごはんを食べて、やっていくことを、少しずつ始めてみた。 


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さてさてゴールデンウィークだ。

とは言え、平日や土日に関係のある人生をやっていないので、僕にはいっさい関係が無い。


それでも、とにかくカミングコーベがある。
我が地元神戸の誇るべきチャリティーだ。

毎年出させてもらっている。
僕の人生のゴールデンウィークは、カミングコーベを中心に動いていると言っても過言ではない。


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去年のステージではステージの左側に立って歌っていた。

あれから一年経つ。
松原さんは生きているし、僕も生きている。

あれから一年・・・と思うと、この一年は本当に濃かった気がする。

長かったかどうかは分からないけど、変わったように思う。もうあの頃と比べると、自分のなかのいろいろなものが、変形している気がする。

証拠に一年前の自分がずいぶんショボく見える。いいことだと思う。

4月が焼けるように終わろうとしている。
僕たちは新しい歌の制作にも入っているし、ライブは鬼のように増やしている。

「制作期間」なるものが無い。
ライブをやらないと、ヤヴァくなるので。


高校生とか大学生とかとも対バンしたいなぁと思う。

僕たちと対バンしたいひとがもしここの読者にいたのならqooland.staff@gmail.comまで連絡4649。
このアドレス、スタッフとか書いてるけど、普通に僕もみんなも読む。

軽音楽部のイベントとかにも出たい。
たくさん演りたい。


好きなひとが言っていた言葉が頭をよぎる。

ひとと会っても、喋っても、酒を飲んでも、何を聴いても読んでも、埋められない寂しさがある。
そんな寂しさがあるからこそ、僕たちは書いて、歌って、弾くのだろう。誰もいないかもしれない広場の真ん中で。


暑くなるまで、一回でも多くステージに立ちたい。いや、別に暑くなっても同じか。

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これから先「将来どうなりたい?」なんて話をすることが何度あるだろうか。


あの頃は、それを毎日していたように思う。

僕たちは明日の予定は無いのに、「あしたのジョー」に出てきた意味合い“あした"なら自分たちにもあると信じていた。


横丁のあの店の、あの時間帯はいつも「将来どうなりたい?」で埋まっていた。

0時まではサラリーマンや学生を始めとする人々が店をにぎやかす。
だけど日付けをまたぐと、店は次第に静かになっていく。一人、また一人と店から人が去っていった。
“あした”のある人々は店を出て“あした”の無い人々は店に残り続けた。
午前4時頃になると、"あした"なんて到底見えない人間たちの掃き溜めみたいになった。


元殺人犯や学校に行っていない15歳、アル中の40歳が肩を寄せ合っていた。そのなかに僕もいた。
バラバラの席に座っていた僕たちが同じテーブルを囲むまでに、そう時間はかからなかった。
「類は友を呼ぶ」と言うが、同じレベルの人間は身を寄せ合うらしい。居心地がいいからだろうか。


あの頃、世の中では「意識高い系」という言葉が流行りだしていた。
mixiやAmebaという小さな世界のなかで、自分を装飾する行為が始まりだしていた。

僕たちは「意識低い系」どころか、「意識無い系」だった。
日々の積み重ねも何も無く、だけど先に何かがあるんじゃないかとだけ思っていた。

その年の流行語大賞である「格差社会」は数ヶ月後に発表される。

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「将来、俺は淀川の添いのマンションに、住む!」

元殺人犯はいつもそう言っていた。

淀川の添いのマンションは億ションで、株やFXのトレーダーがいっぱい住んでいるらしかった。

「私は絶対愛される!」

高校を1ヶ月で中退した彼女は日本酒を5合も6合も開けて、毎日くだを巻いていた。
彼女の話題は「愛されたい」と養父の悪口だけだった。

アル中の40歳はもう何を言っているのか分からなかった。「幸せになりたい」とだけ言い続けていた。


僕はずっと「まともになりたくない」と言っていた。僕も毎日、日本酒を限界まで飲んでいた。

なぜ僕は「まともになりたくない」とばかり言っていたのだろう。あの「まとも」が何だったのかは思い出せない。

思い出せないけど、たぶん僕はもっと自由になりたかったのだと思う。

なんとなく気付いていた。
何も考えずに生きていけば、そのまま流されてそのまま働いて、そのまま死んでいくことを。それが一番ロクでもない死に様だと信じ込んでいた。


まともなひとから見ると、「将来どうなりたい?」と連打していた僕たちは、むしろ世の中から「将来どうするつもり?」と聞かれてしまうような存在だった。


でも、あの「将来どうするつもり?」が固まった時間は宝だった気がする。

あの鬱屈していた時間が僕を作って、僕が作ったものが、今ステージで発火している。

何の生産性も無い日々が、後々、人生のなかでわりとかけがえの無いものになったりする。
こんなどうしようもない連中と、どうしようもない時間を過ごすことが、二度と手に入らないものだったりする。

2014年3月。あの店は焼け落ちてしまった。
彼らの将来はどうなったのだろうか。

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