月別アーカイブ / 2017年03月

偶然が偶然を呼ぶときがある。
『天文学的確率』というほどではないけど、とても珍しいことが重なる日だ。


ある日、ギターのサウンドを延々と考えていた。

僕はサウンドに無頓着な方なので、この時点で珍しい。

そんな日にちょうど「ギターの調子どうですか?」と
僕のギターを作った刀匠から連絡が来たりする。

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「ピックアップ変えたいねんけど、どう思う?」みたいな質問をする。

「試しに積んでるやつ楽器屋で弾いてみるといいんじゃないすか?」と返ってくる。


本屋にぶらりと寄る。
これはまぁ日常的なことだ。ギター雑誌の表紙がビリージョーアームストロングだった(ギタリストとしても一番好き)。

パラパラめくるとピックアップについて、ビリージョーが語っている。そして、語っているピックアップは、ちょうど僕の検討していたものだった。

楽器屋に入ってみる。
試しにそのピックアップが積んであるギターを弾いてみようと思ったのだ。

通販ばかりの僕としては、楽器屋に足を運ぶのは、わりと珍しい。そしたら、たまたま純くんが来た。

新宿に沢山ある楽器屋の中に、同タイミングに、同じバンドのギタリストが偶然居合わせる可能性はまぁ低いと言っていいだろう。

それから何ヶ月か経って僕はピックアップを検討していたものに変えた。

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「シンクロニシティ」
「共時性」
「虫の知らせ」

こういったことを言い表すための言葉がいくつかある。

意味イメージにおいて、類似性を備えた出来事群が離れた場所で、ほぼ同時期に起きるときがある。

僕は運命論者でも無いけど、「乗っかった方が面白そうな流れ」には乗ってしまう。


「面白そうな流れ」に対する嗅覚やアンテナは敏感にしておきたいなぁと思っている。「面白そう」はなるべく優先していたい。100%そうすることもできないけど、なるべく「面白そう」につま先を向けていたい。


幻冬社から連絡があった日に、吉本ばなな先生とやりとりができた。
そういえば、その日の朝は、本屋で働いていたことの歌を作っていた。

文芸に絡ませた思考をしていようかなぁと思った。

「音楽と小説と映画には高圧的な批評が多い気がする」と知り合いが言っていた。

どうだろうか。
そうとも思う。反面、高圧的な批評はどこの世界にも付きものだとも思う。

スポーツやグルメにも、高圧批評はたくさんある。


たまに食べログで、松屋とかマクドナルドに必死に低い評価を付けているひとがいる。もはや何と戦っているのか想像もつかないレベルだ。


そして、やはり音楽にも多い。
僕が曲を書いても、歌っても、何かを書いても、絶対に高圧批評を放ってくるひとがいる。

どこが悪いか、ちゃんとメールで送ってきたりする丁寧さを持つひとまでいる。


高圧批評をするのも、また楽しいものだ。

「上から批評する」というのは、そのコンテンツより、上の立場にならないとできないからだ。上に立つのは楽しい。


だけど、これは本当に申し訳ないのだけど、僕の場合、言われた通りに修正することは、まず無い。

なぜなら僕が作ったものを楽しんでくれるひとたちは、「高圧批評され、それに合わせて修正されたもの」を求めていないと思っているから。


僕もいろんなエンタメのファンだ。

好きな舞台、好きな本、好きな歌を作るひとがたくさんいる。

一ファンとして、浴びたいのは「クリエイターが自分の血のたぎりに従った、全力で書き上げられたもの」だ。

他人の意見に合わせて、「批評されないため」に修正された、守備力の高い作品はあまり興味が無い。


また、批評をもとにした修正が、クオリティを上げることも無いと思っている。

人間が作るものは、足せば足すほど良くなるというものでもない。

特に音楽は全量的なものが決まっていて、いろんな要素が相対的に作用している。

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インターネットの発展もあり、国民総クリエイター時代と言われている。

誰もが写真を撮って、ひとに創作や表現を見てもらえるようになった。

歌が得意なひとはiPhoneで録画して、すぐにYouTubeへとアップロードできるようになった。
ツイッターの呟きひとつとっても、短歌の変形のようなポエトリーアートだ。

15年前には考えられなかったことが起きている。


だけど、インターネットは創造とも相性がいいが、破壊とも相性がいい。

西に何かを作ったひとがいれば叩けるし、東に刃を研いでいるひとがいれば「意識高い系」と揶揄をかまして、親指ひとつでヘコませられる。


でもそれは、インターネットが悪いわけじゃない。

刃物を手にしたとき、どう使うかはそのひと次第だ。

僕たちはその刃物で、ひとを喜ばすことも悲しませることも、活かすことも殺すこともできる。


今月も僕の批評コラムが更新されました。

死ぬまで内緒にするであろうことがいくつあるだろうか。
山のようにあるひともいれば、ひとつも無いひともいるだろう。

しかし40歳以上で、これが全然無いひとっているのだろうか。
僕の感覚だと、言いたくない過去のひとつやふたつ無い方が、不自然に感じる。


「言えないこと」って、「愚かだった昔の自分」というものに紐付いていることが多い。

そして「悪いとは分かっていたのに、誤って犯してしまったこと」だったりする。
他にも「仕方なかったこと」なんかもある。


「言えないこと」には、そのひとがアクセルを踏むか踏まないかのジャッジが隠れている。
分かってはいたのだけど、やらなきゃいけなかったとか、我慢できなかったとか、未熟だったとかだろうか。


そう思ったら、興味がわく。知りたくなる。

「秘密がひとを深くする」という言葉もあるけど、本当かもしれない。


ケネディやリンカーンやアインシュタイン、ジョンレノン、ヒトラー、手塚治虫、釈迦、イエスなんかの「墓に持っていった話」は面白そうだ。

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教会で罪を告白するみたいなやつがあるけど、どうなのだろうか。

興味はあるけど、言った分、大切な何かがすり抜けてしまう気もする。

後、告白するのが怖い。

神父さんが、女子大生とかと合コンしたときに、ネタにされるんじゃないかとヒヤヒヤする。夜も眠れなさそうだ。


でも、全然知らないひとたちと「墓まで持っていく秘密を、今日だけ教え合う」みたいなイベントは面白そうだ。

目隠しとかして、知らないひとたちと打ち明け合う。腹を割るどころか真っ二つにする勢いで語り合う。


そういえば、ちょっと前に「今までやった一番の悪行を告白しよう」と男友達に言ったことがある。

彼は「むりむり!言えない!人とか余裕で殺してるからね!」と言っていた。

自首しないのかなぁ。

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