月別アーカイブ / 2016年09月

I love youを夏目漱石は「月が綺麗ですね」と、スカパラの人は「もう後には戻れないな」と訳したらしいですが、拓郎さんならどう訳しますか??? — 「待ち侘びていました」 


askに来ていた質問。
質問がやたらたまっているのだけど、「答えたいなぁ」と思わせてくれた質問だった。

「I love youってどういう意味?」と聞けば小学生でも分かる。みんな「愛してる」と答える。

じゃあ「愛してる」ってどういうことだろう。「好きで、大事だと思っている」だ。それだけだろうか。それでは、何か足りない気もする。

何が足りないのだろうか。考えてみた。
「I love you」には発信の姿勢が有る。 
ちゃんと「俺は、おまえに対して」という気持ちが入っている。
「love」とは、また違うのだ。 一方が一方に伝えるコミュニケーションとしての背景が存在する。

「I」が対象に対して、気持ちを発していないと「I love you」にはならない。


そう考えると、仲の良い恋人も、長年連れ添ったおしどり夫婦も、毎日「I love you」は言わないのではないだろうか。

すでに関係値が結ばれている状態なら、特別なとき以外は別の言葉を選びそうだ。
「I love you」と発するにせよ、その意味合いはhappyとかpeaceとか、また違うものに変形していると思う。

それはそれで、とてもクールなことだ。
 

そして、変形した「I love you」と、ココ一番の「I love you」は、まったく違う意味合いを持つはずだ。

漱石と、スカパラの人と、僕はココ一番の「I love you」を訳した。


漱石は「月が綺麗ですね」と、スカパラの人は「もう後には戻れないな」と言葉を編んだ。どちらの訳も本当に美しい。

悲しくて刹那的で、それでも、その瞬間を大事にしている表現だ。
「雰囲気がある」というと、それまでだが、「それまで」ということは、底の底まで訳せているのだ。



僕は「待ち侘びていました」と訳してみた。
「貴女とは出逢い、結ばれる運命だと分かっていました。でももっと早く、すぐにでも、逢いたかったです」ということを端的に伝えるには、「待ち侘びていました」かなぁと思った。


しかし「訳す」って面白いなぁと思う。
何が面白いって、ゴールをまっすぐに見ているから面白い。


言葉を使って、「どうやって伝えるか」ということではなくて、言葉を使って「どういう気持ちにさせたいか」というところを見ているし、「訳す」という行為自体が、本質に触れようと働きかけている優しさも感じる。
 

「相手をどういう気持ちにさせたいか」

これは、コミュニケーションのゴールだ。

変な話、伝われば、何でもいいのだ。 
逆に伝わらなければ、何ヶ国語喋れようが、何にもならない。


人に何かを伝えたいとき、「訳す」はとても良い武器になるかもしれない。

やり尽くされたやり方以外の方法で、相手に気持ちを伝えるのが「訳す」だ。


そう考えると、言葉以外も「訳す」だ。
たとえば、土下座や指を詰める行為。

これらは、「すまん」だけじゃ気持ちが伝わらないから、自分を貶めたり、「痛み」という誰しもが分かち合えるツールに「訳して」、対象に気持ちを伝えようとしている。

初対面のときは、「僕はあなたの敵じゃありませんよ」だけじゃ足りないから、握手に「訳す」。
「愛してる」だけじゃ足りないから、人は人を抱きしめるのも同じだ。 


 「継続は力なり!」とか言われてもピンと来ない。

でも、「週間連載マンガを200巻続ける」や「メジャーリーグでヒットを3000本打つ」に訳されて届くと、心の底から継続の破壊力を知る。


端的な言葉では本質に迫れない。

言葉は万能じゃない。
行動の方がよっぽど雄弁だ。

行動で作った問題は言葉で解決できない。そういう意味では、ときとして言葉は、とても弱い。


そして、アーティストは「訳す」専門家だ。

音楽や文章や絵、あらゆる芸術は、言葉では手が届かない、カユイところを触るためにある。

僕が書いている音楽は、僕のなかにあるものを沢山訳してきた。そう考えると尊い。

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本日で「アレがあるからイマうたう」連載終了だ。

すべての記事が、作品だと思っている。
31本の無料のアルバムだ。短編集だ。


書いてある内容すべてが、本質に触るためにある。


毎日書いたことも、本質の一部だ。

週一よりも日刊の方が、僕の本気が晴れやかに訳された。もはやスケジュールも表現だった。


改めて、行動はとても雄弁だ。
説得力って、左脳じゃ埋められない領域だと、身を持って知った。
僕は誰より、僕に説得された。「やればできる」と。 
      
本日の『アレがあるからイマうたう』は 
「5年間」 
 
 
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人間関係の問題の9割は話さないことだと思っている。
話してからムダかムダじゃないか決めている。
話す前から「たぶん聞いてくれないからムダ」で決める人がわりと多い。


コレって、めちゃくちゃ多い。
自分が思うくせに、こう思われていたら、凄くイヤだなぁと思った。

じゃあどうやったら、「言ってもムダ」と思われることを、減らせるのだろうか。


何事も、聞く耳を持つことじゃないだろうか。
あらゆることに対して聞く耳が無いと、あらゆることを言ってもらえなくなる。

まわりの人から「どうせ言っても分かってもらえないから、言わないでおこう」というカテゴリに入れられてしまうと、じつに不利だ。

「言ってもらえない」は本当に悲しい。
あらゆる機会を失ってしまうときがある。

反対に、「思っているだけで言わない」ときに、いろいろなものを失ったこともあった。

「思っているだけ」の方が問題に直面せずに済むし、争いも起きる可能性が低い。

でも、その結果として問題は先延ばしにしかならない。

人に何でも言えて、人から何でも言ってもらえる人って最強なんだと思う。

完ぺきはムリだと思うけど、「言わないこと」や「聞かれないこと」が、どれだけ僕たちを後退させているかは、見つめ直した方がいいなぁという話。


「書かないこと」をやめて、「書くこと」を推進させた「アレがあるからイマうたう」がもうじき、終わる。
独りで感動している。

「マンガ家はファンとリアルタイムに共有できない。反応がすぐに返ってくる、ライブのステージが羨ましいです」

と先日、ニコ・ニコルソン先生が言っていたが、その気持ちがなんとなく分かった。

31日日刊連載の達成に手が届きかけていて、感動しているのだが、たしかに極めて独りだ。たまには悪くない。でも、やっぱライブっていいなぁとは思う。

とにかく感動のフィナーレは、明日9月30日!朝7時30分から!
      
本日の『アレがあるからイマうたう』は 
「メンター」 
 
 
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界隈っぽい言葉ってあるなぁ。
と最近よく思う。

そして、どんな言葉を使うかで、その人となりが分かるなぁとも思う。


「アライアンスにASPAでアジェンダを共有しておいてくれ」と言うと、なんだか丸の内の高いビルのなかで、働いていそうだ。

「フクモトさんに、カレンダー見せといて。早めに」だと、僕の言葉になる。
上の言葉と意味合いは、ほぼ同じだ。

そのグループや、場所において自然な言いまわしや、単語がある。

「うぜぇ、ヤベェ、ガチで」だけで、会話する方が自然なグループだってある
そのグループの仲間になりたければ、その言葉を使うのが、手っとり早い。

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言葉って、ゆるい制服みたいなものだなぁと感じる。


趣味やセンス、思想、価値観。そんなものが言葉には、じんわりと宿っている。


僕たちは、自分自身がどういう人か、どういうグループにいるのかを言葉で表している。


「こんな感じのやつらだと思ってもらって、差し支えないよ」という、言葉を着ているのだ。


特攻服じゃ、丸の内のビルで働く仲間にはなりづらいし、アルマーニのスーツを着て、暴走族には入りづらい。


言葉から、服から合わせていくのが一番早く、そのグループにふさわしくなれる。
仲良くなりたい人たちと、同じ言葉を使えば、早く仲良くなれる。

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だけど、それらがバラバラなのに、一緒にいられるグループが理想だと思う。
 
服や言葉が違う人たちなのに、同じグループって、とてもいいものが作れそうだ。



思想やセンス、さまざまな価値観が混在して、ひとつになっている状態。

もちろん、難しいし、理想論だし、うまくいくかなんて分からない。 


だけど、「アライアンス」のことを「マイメン」と言う人たちや、「提携先」と言う人たちや、「仲間」と言う人たちが、一緒になって、何かをやったら面白い。


不自然かもしれないけど、面白い。
違う感覚の人たちが、一緒になれるときとなれないときの違いは何だろうか。


胸のなかが平和的か、敵対的がどうかだけだったりする。
平和的な人って、やっぱりクリエイティブだ。
      
本日の『アレがあるからイマうたう』は 
「屋久島」 
 
 
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