月別アーカイブ / 2016年08月

好きなものが好きと言いづらくなった気がする。
感動したことを「感動した」と伝えづらくなった気がする。
それを笑われたり、馬鹿にされる気がしだしたのはいつからだろう。

好きなものを好きというようにしてみた。好きなことを好きと書く仕事が来た。



それでも弾こうテレキャスターとCome Togetherの二作品が配信リリース。

LINE LIVEで「さき、あやまっときます。」隔週放送。

「アレがあるからイマうたう」 日刊コラムが始まる。



今月はいろいろと人と会いまくっていたので、面白い仕事がいっぱい来た。
来たというかゼロからひねり出した。

じつは3つのプロジェクトすべてが、このブログを毎日書くことで、この世に誕生したものだ。 

もちろんそれだけのファクターでは無い。

だけど僕がステージや曲を作るため、生きるために考えていることを、このブログに書かなければ、
上記の3つのお話は起こりえなかった。


そもそもこの日刊ブログは
「多くの人に『平井くん何言ってるか分かんない』と言われるから、考えを伝える力を養いたい」
という、超個人的な動機から始まった。


自分の欠点をさらけ出す。


スタートアップは、小さなプライドがギシギシ音を立てるような、
胸がキリキリ痛むような出だしだった。

反面、「もはや恥も外聞もいらないなぁ」というマインドでもあった。

正直、現状の自分の戦闘力に興味が無くなっていた。


僕が僕の考え方を伝える修行のために、考えを書いているだけなのだが、いろんな人にDMやメールを貰えるようになった。


そこからいろんな人と会えたり、こちらからも会う理由になったりと、
少しだけど、僕のまわりの世界情勢が変わった。


これは確実に言えるのだが、書かなければ変わらなかった。


改めて「書き起こす」という行為の破壊力を知った。

振り返ると僕たちは、考えを文字で伝えるシチュエーションがとても多い。

しかも人生の転機でよく訪れる。

入社志望動機、受験小論文、稟議書、反省文、謝罪文、たいせつなメール、ラブレターetc...。

裁判では、文章が裁判官の心象を左右し、罪状の内容が変わるケースもある。

つまり僕たちが思っているより、僕たちの情勢は「書く力」によって左右されているということだ。

もっと言えば、書くことで自分の人生の道筋を、変えることすらできる。

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また、書く生活と書かない生活では、ものの見方が変わってくる。

「コレは発言にならないかなぁ」という意識が自然と、身に付く。

常に何かを掴んで、言葉にしようとする意識で暮らすようになってくる。

ものを見る新たな視点とは、つまり「独自の目の付けどころ」だ。

クリエイターにとって、一番必要な「独自の目の付けどころ」は書く量に比例して、磨かれていく。

「独自の目の付けどころ」を持っている人は、ユニークな発想力と独創的なアイディアを持っている。

その人はまわりから見ると、「面白い人」という見方になってくる。

世の中は「面白い人」を必要としている。


そして「書く」と「話す」とでは、かかる圧力がまるで違う。 

「話す」には表情やボディランゲージ、声色にテンポ、
リアルタイムでできる質問と解答という武器がある。

これらは自分自身をインターフェースにできる「話す」というコミュニケーションの強みだ。

つまり「話す」は自分の考えがまとまっていなくても、アウトプットができるのだ。

だが「書く」はそうはいかない。

理解や認識、解釈を自分の視点で消化していないと、文章としてアウトプットはできない。

「書く」って、それだけ不便で誤解も招きやすく危険なのだ。


でもだからこそ、書くのだと思う。
書いているうちにまとまってくる。


最初は自分でも考えがまとまっていない。


しかし自分が何でそう思って、どうやりたくて、何がやりたいのかが、明確になってくる。 

自分自身が、腑に落ちてきたら、きっとまわりもだんだんと腑に落ちてくる。

外からみても、僕が何でそう思って、どうやりたくて、何がやりたいのかが、分かりやすくなる。
「キャラが分かる」ってやつだ。

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そんなこんなで、このひと月ちょっと「書く力」「良い文章」の必要性を大きく感じていた。


でも「良い文章」って難しい言葉を知っていたり、文学的な表現に傾倒しているという、
文章術にまつわることじゃない。

書いた文章で、「人を動かせるか」だけだと思う。


ではこのブログでは誰を動かそう。


このブログの一番のターゲットは僕自身だ。

自分自身を動かせる文章を書いていこうと思う。


あたまの中にあった考え方も、まとまっていないと使えない。使えなければ知っていないようなものだ。

まとまらない考え方は、まとまっていくうちに、やがて自分をインスパイアする。

そして「まとめたての文章」を見たとき、その考え方は、僕自身も初めて知った感覚になる。

自分をインスパイアしていくことが、誰かをインスパイアしていたら、こんなに熱いことは無い。


この公式LINE BLOGも日刊で書くけれど、「アレがあるからイマうたう」も31日連続の日刊になる。

もちろん負荷も負荷なんだけど、今の僕に適切な負荷だと思っている。
 
アイテムとしてプレッシャーを装備し、すべてを圧倒的にした9月を生きていこうと思う。

そして10月、誰より自分自身にとって、恥ずかしくない5周年を迎えたい。 

上京する前夜河川敷で焚き火をしていた。
それは明け方まで続いた。
先の不安を弔うように全てを焼べていた。
昔から不安になるとよく焚き火をした。炎で落ち着く自分が特別な人間だと思っていた。
確かめるためYahoo!知恵袋を見ると「α波が出て落ち着くからですよ!皆そうです!」と書いていた。


僕が上京したのは2010年だった。

この上京は多くの人に反対された。
中でも、当時の神戸スタークラブのブッキングマネージャーであり、
今の太陽と虎の店長に反対されたことをよく覚えている。

激烈に反対というほどでもなかったけど、賛成はしてくれなかった。


それでも送別会をやってくれた。
送別会は淀川の河川敷での焚き火だった。

明け方になってもひたすら木々を焼べていた。  

僕らは先々の不安を燃やし尽くすように、いろいろなものを炎に放り込んだ。

火の揺らぎは不思議と、見ているだけで落ち着いた。

都内では焚き火は禁止されているのだろうか。あまりやっている人がいない。


僕はむかしから、事あるごとに焚き火をしていた。

焚き火グセは中学生の頃からだった。
なぜか僕の地元では焚き火が盛んだった。

あの頃は他に娯楽がない時代みたいだった。

息をするように、焚き火をしまくっていた

高校三年生になってもメインの遊びは焚き火だった。

プレステやゲームボーイもやったが、それでも焚き火の魅力にはかなわなかった。

放課後は延々と火を焚いた。なんかの儀式みたいだった。

しかし大阪に出て、二十歳をすぎても焚き火をしているとは思わなかった。

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店長が反対したとおり、僕たちは上京して間もなく解散した。

「やっぱり」と言いたかったかもしれないけれど、店長は言わなかった。

それどころかそんなガタガタのバンドの解散を惜しんでくれた。


バンドをやっている側としては、正直、解散にそこまで悲しみを覚えなかった。   

何度もメンバーで話し合い、お互いの人生にとってベストを選んでいたつもりだったからだ。

悲しいことなどない。

むしろ、そのまま続けることの方が不幸だった。 

それが本音だった。


しかしバンドメンバー以外の人たちは、解散や脱退をとても悲しんでくれる。 


まわりや自分を見ていても、この関係はよく見る。

僕たちやっている側よりも、まわりの人の方が「バンドの終わり」を悲しんでくれるのだ。


ありがたいことだ。 


ありがたいことなのだが、多くのバンドは「続けるため」にやってはいないのではないか、と最近思う。

というより「続けるため」にやると終わる。


倒れないために止まると自転車が倒れるように、
泳ぎ続けないとマグロが死ぬように、人間として成長し続けないと、
プレッシャーをかけて、それを乗り越え続けていかないと、僕らロックバンドは死ぬ。

「やっている意味が無い」はわりとそばにある。

このガンは気を抜いたらすごい勢いでバンド内に転移し、細胞をブチ壊す。



今現在2016年の僕は、上京したときと違うバンドをやっている。

このバンドで、音楽人生のキャリアを更新している。

今までの僕の力では成し遂げられなかった快挙を、このバンドでは何度もやっている。

自分の物差ししか無いが、間違いなく僕はこのバンドをやっていることで、人として成長している。


なぜだろう。

いろいろなファクターがあるが、ひとつ挙げるなら「挑戦」ができるからだと思う。

このバンドをやっていると、「挑戦の素材」が何度も飛んでくる。

いつも怖い選択肢と、怖くない選択肢が飛んできた。

そこで挑戦を選ぶも選ばないも自分次第だった。

正直もっともっともっともっと楽なルートが存在した。そこはとても安定していて、道筋が整っていた。

それでもそっちのルートは選ばなかった。

今思えば、一番いろいろ言われそうな道を選んで、すべてを自分の肥やしにしてきた。

負荷をかけて、自分を強くしたかった。

そうしないと続けていけないし、バンドをやっている意味があんまりなかった。

数字や生活、安定、お金はモチベーションになり得ても、目的に設定した瞬間に終わると思っていた。


音楽は一人でも作れるけど、バンドは一人じゃできない。


実現したいことがあるのでやっている。もっともっと力がいる。

力をつけるためにやっている。本気でやっている。

「自信を持つ」でしっくり来ないなら、「自分を舐めないで」というのはピンと来るだろうか。
自分が信じられなくても、舐めたりバカにしちゃいけないんだと。
ダイエットや禁酒、禁煙は自分をナメたときに崩れ落ちる。
うまくいったときって自分をナメてもなかったし、イキってもなかった。



ダイエットや禁煙や禁酒、他にもトレーニングとか何かの練習とか。
自分が良かれと思って、最近始めた習慣が、あなたにはあるだろうか。


新しい取り組みは苦しいこともあるが、毎日を楽しくもさせる。

何かにチャレンジしたり、新しい習慣を取り入れることは基本楽しいし、
充実感もあり、悪いことはない。


だが、これが完全に心身共になじむまでには、時間がかかる。それまではわりと大変。


その時間が、90日前後かかるというのが僕の肌感だ。


21日間で苦痛じゃなくなるという説もある。

むしろ現代の学問では21日間説を唱える人が多い。

しかし、今まで勉強をマジメにやっていない子どもが「毎日算数ドリル1ページだ!」と試みて、
21日間で慣れるだろうか。正直イメージが沸かない。

僕の忍耐力が、他のヒト科の個体よりも低めに設定されているからだろうか。
21日間だとまだまだ苦しいと思う。

やはり90日間ぐらい欲しい。
実際いろいろやってきたけど、90日間ぐらいは続けないと、キツかった。

自分の経験からで申し訳ないが、継続型チャレンジの峠は90日間だと思っている。

どんな面倒なことでも、90日間を超えさえすれば、つらくも何ともなくなる。

めんどくささや苦しみは、自分の一部となり、生活になじみだす。

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逆に言えば90日間にいたるまでは、折れたり辞めたりする可能性が高いのだ。

実際にいろいろ挫折してきたが、挫折はすべて90日未満内に起きた。


僕が考えてることを整理して、アウトプットする、このブログスタイル。

日刊チャレンジで毎日22時に更新している。本日がまだ37日目だ。つまりまだ安心はできない。


でも僕はこれを100日で100記事。365日で365記事やろうと思っている。

せっかくやるなら熱を持ってやりたかった。

目標を90日より先に設定しないと、絶対に折れるとも思った。


でも今んとこ調子がいい。
やはり、ここで文章を書けば書くほど、自分の考えを整理できる。

自分自身の考えを書くことで、自分をさらに深く知れる。オマケにみんなにも知ってもらえる。

さらに僕の考えが人の役に立つというのなら、こんなに良いことは無い。


それには90日間のカベを超えなくてはいけない。


しかしヤラセなしの積み重ね系のチャレンジだ。続くか崩れさるかは五分五分だ。

主旨自体が未来を含んだドキュメンタリーなので、もはやどうなるかなど誰にも分からない。
果たしてどうなるのか。

ただ唯一分かるのは崩れさるタイミングだ。

ある言葉が自分の口からこぼれた数日後に、想いは無惨にも崩れさる。

その言葉とは

「どうせ俺みたいなヤツにはそんなのムリなんだ」

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これだ。
これが出たらもう黄色信号だ。
チャレンジの死期を示す呪いの言葉だ。

本気でも冗談でも口にしたらマズイ。
口にして、言葉が大気に触れた瞬間に魂がそっちに引っ張られる。だいたい終わる。


別にチャレンジが崩れ落ちても「やっぱ続かないわー」で
済ませてしまえるのならば、かまわないと思う。

ただ、そもそもは自分がそうしたくて、自分に課したチャレンジだったはず。

それに対し、くじけてしまうのは心に悪い。


習慣や継続型チャレンジって最初はなかなかつらい。

今までやってこなかったことを、日々に取り入れるのだから大変だ。

もはや努力と根性の結晶と言ってもいいかもしれない。

それぐらい大変なことだし、自然とやれてしまう人たちは尊敬する。


でも、継続型チャレンジの90日未満を走っているときって、つらくても嫌いじゃない。

何にしても挑戦中の状態って、自分のことを舐めないでいられる。

自分に対して「なんて凄まじいやつだ!」と思うほどではないが、
「おぉ、お前けっこうやるじゃん!」ぐらいは思える。



最初に「コレやろう!」と発起したときの自分を裏切らないことで、少しだけ強くなるのかもしれない。

最初に発起したときの「コレやろう!」と思ったときの自分を、せせら笑うような生き方をしたくもない。 

そのためにも


「どうせ俺みたいなヤツにはそんなのムリなんだ」


に準ずる、自分を舐めた発言には極力気を使っていたい。

何気なく口にしたことが、自分の未来をブッ壊すことがいくらでもある。

「自分を舐めないで生きていく」ぐらいのバランス感覚は持っていていい。

それに、その気持ちがあれば、きっとまた、何か新しいことをワクワクして始められる。

「とてつもないことが始まろうとしている」と思って新しいことを始めたい。

心底思っていれば、90日なんてあっという間だ。

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