共感は他者理解の重要な方法だが、唯一の方法ではない。共感を前提に他者へのアプローチを考えると、間違える。何よりも、共感は感情のミラーシステムに基づく認知プロセスであって、その意味で「自分」の感情スペクトラムの偏りによって限定されてしまうからである。

共感に加えて、相手のきもちを、いわば理詰めで推理し、なぜそのようなきもちを持つのかを理解するはたらきが必要である。そのことによって、必ずしも共感できない場合でも、人間というものを理解することができるようになってくる。

たとえば、やたらと攻撃的な人がいたとする。その攻撃的な性格に共感できない場合でも、その攻撃性がどこから来ているのかを理解することは可能だし、必要である。多くの場合、攻撃性はその人自身の不安に由来している。

やたらと見栄を貼ったり、自分のことをよく見せようとする人に共感できないとしても、その人のそのような振る舞いが、自分自身の存在についての不安、他人からの承認欲求に由来していると理解すれば、それなりに適切な対応ができるようになるだろう。

共感に基づく他者理解は、自分と比較的に似た資質の人の場合にはうまくいくが、その「共感のサークル」を超えて人の理解を支えることができない。一方、他者の内部状態についての理論は、より普遍的に、さまざまな人の理解につながる。

他者の内部状態について、冷静に理論構築することは、時に困った人が存在するこの社会において、たいせつな生きる知恵である。共感できないからとがっかりしないで、その先の冷静な他者理解をすることは、その人自身を鍛えてくれる。

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