さまざまなことを続けるのに、必要なのは「熱意」や「やる気」ではなく、「習慣」であるということを今一度確認したい。私は、朝起きたらすぐにその日にやるべきことを始めるけれども、別に、気合を入れて、「よしやるぞ」とやるわけではない。

むしろ、気分としては「フラット」であり、「静かな湖」に近い。淡々と、やるべきことを、障害をできるだけなくして続けていく。そのような時に、熱意ややる気というものは、むしろ、邪魔になるように思う。

もちろん、何をするかという「選択」の起源においては、感動があり、やる気があり、熱意がある場合が多いだろう。しかし、方向が決まったら、後は、淡々と続ける時間があるだけである。その時に「やる気」を求めるのは、無駄だし、むしろ邪魔になるだけである。

いわゆる「意識高い系」の方がむしろ失敗することがあるとすれば、意識の高さという余計な文脈付けが、自分がやっていることの真実を見ることを曇らせてしまうからだろう。もっと透明な目で対象を見ないと、細部に目がいかないし、心が行き届かない。

「やる気」や「熱意」は、むしろ、その不在を、行為しないことの言い訳に使うということが多いという印象がある。やる気がないから、やらない。私に必要なのは「やる気」であると言い続けることで、やらないことの正当化にしている。それでは、もったいない。

「やる気」や「熱意」といった特別なものは必要なく、ただ、やるべきことを淡々とやっていくという態度は、「持続可能」なものである。やる気がないと悩んでいる人たちの多くに必要なのは、実は「やる気」ではなく、淡々と続ける「習慣」だと思う。 

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