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ノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランさんの歌詞の世界を知りたいと思っている人にとって、この絵本はおすすめです。フォーエバーヤング」という曲の世界を歌詞とイラストで表現したものです。

自由の国アメリカを美しく描いたたくさんのイラスト。その中には毎日新たなな気持ちで自分という存在を表現しようとする若者が描かれています。彼そのものがディランであるかどうかはわかりませんが、絵のなかには彼の人生をたどるさまざまな要素が詰め込まれています。

まっすぐに、まわりのひとと助け合い夢を叶えてゆく姿に、人としての成長し生き生きと人生を全うするストーリーに勇気をもらえるとおもいます。


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スマートフォンの画面を眺めたままの人々がゾンビのようにふらふらさまよっているのを見る度に「自分も脳みそがハイジャックされているのでは?」とふと我に返ることがある。

ポケモンGOに夢中になっている主婦、チャットで連絡を取り合う高校生やサラリーマン、電車のなかだろうと構わず通話し続けるヒトも似たようなものだ。それぞれ何かやるべきことがあったり、(惰性と依存かもしれないが)夢中になっていることがある。個を重視するようになった時代の風景だ。

スマホがない時代だって、人々は思索にふけったり、手帳にメモをしたり、それぞれがそれぞれの意識が触手のようにわさわさと溢れ出てきていたと思う。だから、別にスマホに夢中になっていたって構わないだろう?と考えることも多い。

ただ、スマホに没入している時、際限なく流れ続ける情報の波に飲み込まれるたびに、何か大切なものを失ってしまっているような気がする。目の前にいる人。自分の背後にいる人。空の風景、木々がこすれる音、子どもたちの声、都市の喧騒、誰かの思い、太陽の傾き、薄く光る月、カバンの重み、色あせた手帳の重み。

情報(Bit)と物質(Atom)の狭間に、自分の心がある。私の心は満ちているのか?それとも搾取されているのか?客観的にどうなっているのかわかるわけもないが、少なくともスマホやウェアラブルデバイスなどと触れている時、自分の記憶がどこかからこぼれ出ているような、大切な何かをバックドアから持ち逃げされているような気持ちになる。

心の均衡を保つために、なるべく自然の中に一人になるようにしている。
無我の境地に到達できるように。雑念を無視し、自分の身体や感じているAtomを愛でていく。
先入観を排除して人と会う。
すべての物事が毎日始まり終わるような気持ちで取り組む。
風や空の色、木々や生き物へ関心を高め、自分の細胞一つ一つをそれらと調和させてゆく。
心が傷んだら休み、大切なものは何か、よく考えてから選び行動する。

そうすることで、自分のまわりの事物がいつも素晴らしく輝いて見える。
あれもこれもと追いかけまわして、自分をよりキレイに見せようとしている時よりも、人間としての生命力が自分の内面から湧いてくるような感覚。

スマホもPCも手帳も紙の書籍もペンもカメラも全ては一つの道具。
生きているものの心と体が社会的諸関係を構築しているのであって、道具は何ももたらさない。

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PS VR用ソフトとして生まれ変わった「Rez Inifinite」(初リリースは2001年)が、世界最高峰と称されるThe Gamme Awardで新設されたVR部門で初のWinnerとなった。今日はそれをお祝いするためのパーティー。

ふたを開けてみればPlayStationVRのアワードを筆頭に多数の雑誌でベストソフトにノミネート。米大統領も読むThe NewYorker Magazineでも紹介されていた。まさに金字塔。日本の誇りだと思う。
 


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