これはハロウィンじゃないです。

二日前に帰国しましたが、カトマンズにいる時から左目のまぶたが腫れて出血。。。

そして38度の熱とこの二日間、抗生剤の点滴しながら寝込んでます。

どうやら何かに感染したようです。 今回の遠征は天候やスタッフの体調不良など悩みが多く、最後まで集中していましたがカトマンズについて一気に溜まっいた膿が出てきたのかもしれません。

次はどうするのか? も含めてお伝えしたいことがありましたが、しばらく待っていて下さい。

皆さん、応援本当にありがとうございました。

叱咤激励含め全て受け止めて頑張っていきます。

無事に帰国しました。

1025

 

カトマンズで最後の機材の整理をして今夜にカトマンズは立ちます。

機材を整理しながら改めて今回応援して頂いた皆さんへの申し訳ない気持ちと悔しさ、感謝の気持ちと胸がいっぱいなってました。

今年の秋季エベレスト(北側)からのチャレンジでしたが、モンスーン(雨季)が平年より長く、中腹部では腰近くある雪を掻き分け進まなくていけない状態の中で雪が安定する期間後半に登頂を狙いましたが、すでにジェットストリームが到来し、また登山許可の期限が近づき、終えることになりました。

今年は念願のベースから山頂まで距離の短い中国側からの挑戦となり、昨年はネパール大震災の影響で中国側の挑戦ができなかったこともあり、自分自身が本当に楽しみし準備を行ってきました。しかし、結果は7400m少し上がったところで断念しました。

あともう一回アタックチャンスがあればと。。

天候だけはどうにもできませんが、この結果に改めて本当に申し訳なく思っております。

また「冒険の共有」は今年は現地からの配信が上手く行えませんでした。新しく導入しカメラなど中継は上手くできた部分もありましたが、日々の配信の方でヒマラヤになれている配信担当のカメラマン一名が体調不良で帰国し、またアシスタントも最後まで体調不良で残りのスタッフが頑張ってサポートしていましたが、高所(低酸素)では思うような動きができませんでした。

機材の方では、中継用の大型ソーラーパネルがチベット側から今回初めて入国を拒否され、急遽小型のソーラーパネルに変更。少ない電力の中、最後の山頂到着の3時間生中継に電力を集中させるため、思うよな配信ができず、途中栗城のどうなったのか心配されている方もいたと思います。

それでもできる範囲は全てやると決めてやってきましたが、以上の結果には僕自身、本当に悔しく、応援して頂いた皆さまに改めて心からお詫び申し上げます。

本当に申し訳ありませんでした。

今回、ルートは大雪でしたが、トレーニングの成果もあり、ほとんど高度障害はでず、途中ヘルペスで下山しましたが、それ以外はかなり集中して体調は良かったです。登っていたホーバイン・クロワールも全体的に非常に良いルートで雪が安定すれば最も登頂の可能性が高いルートだと感じました。

今年は深い雪とスタッフの体調不良とコテンパンにやれましたが、もう一度リベンジしたいと思います。

配信に関しましては、体調不良の者がでないよう改めて細心の注意でやってきます。

登山に関しては、時期の変更も考えております。 秋にもう一度登りたい気持ちがありますが、今年のような大雪の周期が来た場合は非常に厳しいです。そこで雪が最も少ない時期(冬季)かまた春(ホーンバイン・クロワールなら誰もいません)か、雪が安定すればチャンスのある秋か今後じっくり考えいきます。

今回、僕は本当に落ち込みました。悔しくて、悔しくて、左目が異常に腫れてます。。

山だけではなく、皆様の応援にきちんと答えられなかったこと本当に心からお詫び申し上げます。

ただ、まだ諦めておりません。

少しお待たせすることになりますが、必ず皆さんと山頂を共有したいと思います。

引き続き、また報告させて下さい。

そして、冒険を共有させて下さい。

この悔しさを忘れず、冒険は続けます。

何よりも皆さまに本当に申し訳ございませんでした。

そして、支えて頂き本当にありがとうございます。

今夜、出国します。


※いくつか質問が来ているのでお答えさせて頂きます。

※ 中継機材は持って行っているのか?

もちろんです! 以前はアナログの電波による中継機材、8キロWi-Fi電波を出す機材をエンジニアに製作してもらい持って上がりましたが、重さが1キロ以上あり、最近は別の軽量の機材を使用しています。一部通信のスポンサードを受けている関係から栗城中継カメラを公表することは控えさせて頂きます。撮影キャンプからは40倍のレンズにカメラを付け、衛星端末2台、カメラ2台を使用して中継を行います。


※なぜ下山時に生中継を行わないのか?

生中継は、キューブという機材を通しあらかじめ指定されている日本のスタジオを経由して様々なところに配信されます。栗城カメラと撮影キャンプのカメラがそのままネットにアップすることはできません。スタジオは24時間抑えことは難しく、日程も良く変更されるため山頂到着5時間前ぐらいに配信スタッフが集められます。そのため今回深夜3時ごろに下山を伝えましたが、生中継はできませんし、下山時は大変な時なのでやる予定もありません。また、夜のヒマラヤはカメラのバッテリーが一気に無くなるため基本夜の生中継は行いません。 次回は中継をもう少し多めにやりたいです。


※ラーメン一食分で悪天候のビバークをどうする気だったのか?

エベレスト北壁は強風のため何日もビバークは非常に危険です。6800mキャンプ3から下の取り付きまでゆっくりでも3時間近くで下山できます。そのため悪天候が近づいたら上で留まるより下りた方がいいです。天候が安定しチャンスがある時に一気に登り、一気下りる。その分の食料しか持っていきません。秋季の複雑な天候の中ではそれしかないです。またかなり前から少ない食べ物でも長時間行動ができるようトレーニングしてきました。慣れているので特別に少ないとは感じてません。


※GPSはなぜ持って行かなかったのか?

GPS(SPOT)は僕もお気に入りの装備です。自分のいる位置がリアルタイムで伝えられるのは素晴らしいと思いました。しかし、今回の北壁は傾斜が強く、短期間で勝負をつけないといけないことから最も最軽量化しなければいけませんでした。寝袋無し、テント無し(ツェルトのみ)食料もわずか。その中でGPSを持っていくか考えましたが、今回撮影キャンプからは取り付き(壁のスタート地点)から山頂直下まで見通しがよく、栗城の位置が確認できること、SPOTの使用可能高度が7500mまでと。また昨年使用した時に一時大幅にずれたこともあり、今回持っていかず登山に集中することにしました。点ような栗城の姿を見ながらどんなところか想像を膨らませた方が山は楽しいと思ってます。


※否定的な意見を削除しているのか?

LINEブログのことかもしれませんが、こちらは削除などしていないです。否定は冒険の一部であり、また実際に本人がやってみないとわからないことだと思うので誤解も含めてそういった意見は当然あると思います。ただ、名前を変えて何度も投稿する方、明らかにIPアドレスを変えて投稿する方、いじめのような投稿はLINEブログの運営の方で管理して削除されていると聞いてます。


※次はどうするのか?

今、時期を見直しを含めて考えています。それぞれの季節にメリットとデメリットがあります。それでいて自分が「感じる登山」がきちんとできるかどうか。良く考えて必ず挑戦します。

161022
 

腰近くある深い雪に四つん這いになり雪まれにながら、手足を繰り出していく。 両手を深く雪に刺し、膝を高く上げる。雪を削り、ようやく一歩を踏み出すと脈が一気に高くなる。今度は呼吸がその脈を抑え、収まるころに再び両手を雪に刺す。星々が見えるが星を見ている暇はない。ただ、寒く、そして深く。両手、両足の指を動かし続けた。

「手伝ってやろうか」

「手伝えるわけないだろ」

「見ているだけだからね」

「いつまで続ける気だ?」

静寂に包まれると心の中のもう一人の自分が話しけてる。

様々な心の声をかき消すかのように僕は四つん這いになったまま。雪の大海原を突き進む。

9月4日、中継を支えてくれるスタッフより早めに標高5560mのアドバンス・ベースキャンプ(ABC)に入る。できるだけ早くエベレスト北壁に近づき、雪の状態を確認したかった。前日に標高5150mのチベットベースキャンプについた時にスパッツ一枚でベースキャンプをランニングしているヨーロッパ隊に出会った。

「雪が多くて、ABC(ノーマルルートの6400mのベースキャンプ)までヤクが上がれなかった。その後、向かったけど、雪が腰まであって7600mで一度止めたよ」

僕よりも身長が2倍近くありそうなヨーロッパ隊の腰を見た時に、雪が僕の胸近くまであることを想像した。

北壁側のABCについた僕はエベレストの北壁を双眼鏡で眺め続ける。

本来なら山全体にもう少し岩が出て黒々としているはずだが、7000m以上ではどっしりと雪のが張り付いていた。ここが標高が低ければ最高の山スキーができるかもしれない。しかし、重力に逆らう行為をするにはこのもっこりとした雪は味方にならない。

「雪が無くなるのに時間がかかるな。。」

アドバンス・ベースキャンプについて、雪を利用できそうなルートを模索した。

元々は北壁左側のグレート・クロワールを計画していたが、雪崩が多く、降っては止み降っては止みを繰り返す今の周期では危険と判断。雪崩が無いホーンバイン・クロワール(別名ジャパニーズ・クロワール)を目指すことにした。

クロワール(岩の溝)は傾斜が60度ほどあり、真っ直ぐに山頂に向かっている。

壁の取り付きから山頂まで距離が短い、もちろん滑落したら真下まで落ちるが、今の深い雪だからこそ氷や岩が張り出している時より登りやすくなる。

これはある意味チャンスかもしれないと双眼鏡から眺め続けた。しかし、問題は中腹部だった。7000mから8000m近くの少し傾斜が弱くなる雪田の雪が深そうだった。

ヨーロッパ隊が7600mで一度止めたあの雪が白く厚化粧して僕を待っていた。

降っては止み、降っては止む。この雪はヒマラヤの夏に特有の気候モンスーン(雨季)がまだ続いていた。

ヒマラヤはよく冬が一番雪が多いと思われているが、一番多いのは夏の雨季となり6000m以上では雨ではなく、雪が降り続ける。9月に入ればモンスーンが無くなるが今年はまだモンスーンが居座っていた。

僕が尊敬する山の先輩たちで本当に経験を積み、直感力の優れている人で、「今回は山と合わない」と言いベースキャンプで下山を判断する人がいる。それはヒマラヤにおける経験と自分がよく見えているからこそできる判断。


「そうは言っても、行ってみなければ分からないじゃないか」と言いたくなるが、頭の中では、この雪が今後何をもたらすか、ある程度分かっていた。

どんな条件でも前向きに一本繰り出したい。

9月15日、雪と晴れの合間を取り、一度ホーンバイン・クロワールに取り付つくが、体調不良で下りる。少し身体を休ませてから降り積もった下部の雪を避けるためにグレート・クロワールより一本左のクロワールを登るが、雪の下にあるブルーアイスが顔を出し、雪ごと僕を落とそうとする。ピッケルを何度も刺す。

雪はまだ安定してなかった。。

僕は温かい食事があるアドバンス・ベースキャンプに戻らず、キャンプ1にとどまり北壁を眺め続けた。アドバンス・ベースキャンプからでは見えない部分を眺め、この北壁全体の中で、ソロで登れる場所を探し好天のチャンスを待っていた。しかし、どこを見ても深い雪は変わらない。ある時にローラフェイスの北斜面と東側のクロワールが同時に巨大な雪崩となり落ちた。
あまりにも凄まじい音にテントを出る。僕のテントも撮影キャンプの方も無事だった。

この雪の中で最終的に出した考えは、ホーンバイン・クロワールをまっすぐに登ることだった。正面切ってこの深い雪と対峙する。ただでさえ、巨大なホーンバイン・クロワールの威圧感は常に消えることはなかった。

そこに立ち向かうのではなく、呼吸を整えながら溶け込んでいきたい。

「大きな雪崩は無さそうだ」

10月5日、8時21分に取り付きをスタート。
ホーンバイン・クロワールをまっすぐに登っていく。寝袋なし、テントなし(ツェルトのみ)食料はラ王1個分と、江崎グリコさんに作ってもらったアミノ酸たっぷりの特製ナンバーバナナとサプリメント、凍傷を予防する薬、衣類と少量のガスと鍋のみ。30リッターのザックにすっぽりと収まり、それ以上のものは置いていくことにした。本当はSPOTというGPSも持って行きたかったが、使用限界高度が7500mまでで、昨年ネパール側で使用した時に突然位置が大幅にずれ、栗城が滑落したのではという問い合わせが来ていた。またその重さの分持っていくなら少しでも食料を増やしたかった。

この深い雪のホーンバイン・クロワールを登りきるには、できるだけ軽量化するしかない。もちろん寝袋やテントがあったほうが暖かいのは重々承知だが、傾斜60度ある壁を登りきるためには、他に方法はなかった。

ホーンバイン・クロワールを無事に登りきり、少しトラバースして6800mのリッジの上を体一つ分、平らにしストックでツェルトをはる。中腹部7000mを見上げる。
ホーンバイン・クロワールの下部は特に難しいところはなく、問題はここから先の傾斜の強い雪田を、どう乗り越えるかだった。

ツェルトの中で一夜を過ごす。今回、寝袋はなしの代わりに、シルクの布とゴミ袋を高所ダウンの上からかぶり、横になる。寝袋はなしでも高所ダウンは、僕の体を守ってくれる。そこに気休めのゴミ袋で冷たい空気が入るのをなるべく防いでみるが、寝心地は「寒すぎる!」

さらに夜は一晩中、強風がツェルトを叩き続け、いつ飛ばされてもおかしくない。今の僕は、まさに『ドラえもん』の、しずかちゃんの入浴シーンだった。ツェルトが吹き飛ばされたら、「キャー」と叫ぶしかできない。無事に一夜を過ごし、翌日、体内酸素飽和度を計る。数値は81以上と高く、頭痛もなければ吐き気もなく、呼吸も安定してるため、十分無酸素で山頂に向かうことができる体はできていた。

この一年間、「リズム」と呼ぶ、高所に順応しやすい体作りを続けてきて、その効果が実感できたことがうれしかった。

10月6日、21時半、6800mのビバーク地を出発する。持っているものは水と行動食のみ。ガスも全てここに置いていくことにした。本来であれば7500m以上のところに、もう一度ビバークをする予定だったが、悪天候が近づいていること、そして何よりも深い雪を乗り越えていくためには、なるべく荷物をなくして、軽くして向かっていかなればならない。

途中、7500m以上のところで雪を掘り、そこで1時間以上の休憩をし、あとはぶっ続けで山頂に向かっていく計画だ。時おり、撮影キャンプからヘッドランプの明かりが見えていた。

僕の登山はただ登ることだけが、僕の冒険ではない。冒険の共有という、何かに向かっている人や、壁に当たり苦しんでいる人たちの支えになり、この世の中に漂う否定という壁を少しでも無くすために失敗も挫折も全て共有するネット配信の準備をしてきた。

撮影キャンプでは、山頂に着く3時間前から中継が始まる。日本とも何度もやり取りをしながらテストを繰り返し、準備を整えてきた。
ただし、今年は体調不良のスタッフが続出し、1人は帰国、1人は最初から最後まで不調だった。それでも中継班は今寝ないで待っている。


両手を雪に深く突っ込み、雪をかき分け、膝を高く上げて雪を取り崩す。そしてようやく、一歩を踏み出し、また両手を雪を深く突っ込み、雪をかき分け、心の声が何度もこだまする。


午前2時過ぎ、すでに標高は7400mを超えていた。星々が見えるが、辺り一面は真っ暗で、この暗闇の中の雪田がまるで砂漠のように、どこまでも広がっているように見えた。あのヨーロッパ隊のように、屈強な隊員同士がラッセル(雪をかき分けて進む)を交代し合えば、この深い雪も超えられたかもしれない。だが、この僕にラッセルを交代し合う仲間はいなく、心の声が時には励まし、時には挑発をし、僕に問いかけをしてくる。

僕は腰を下ろし、深く息をした。この深い雪の中、力の限り登っていったとしても、山頂にたどり着くことはできない。ここでビバークすることも考えたが、8日にはまた雪が降り出してくる。登り切るなら今しない。しかしこの雪はすでに、一つの厚い壁となっていた。

午前3時、無線で撮影キャンプに下山を伝える。撮影キャンプのカメラマンは冷静な声だった。その後、僕は深い雪に腰を沈め、陽が昇るのを待ちつづけた。体を考えれば、自分の登ってきた足跡をたどれば、すぐに下山はできる。

ただ僕は、陽に当たる北壁全体を見渡すために、陽を待ち続けた。光が北壁に当たれば、どこが一番雪が深く、どこが浅いのか点と点を結びたかった。つまり、もう一度上がるために僕はそこに3時間以上、そこにとどまった。

下山後、思っていた以上に体力を使い、僕はアドバンス・ベースキャンプには戻らず、キャンプ1で温かいスープを飲み、翌日にアドバンス・ベースキャンプに戻った。

ベースキャンプに戻ってから休養をし、次のアタックに備える。これからこの雪は秋の強風で少しでも飛ばされれば、チャンスはまだある。すでにホーンバイン・クロワール中腹部までは問題なく登ることができる。あともう少し、10センチ、いや5センチでも雪が少なくなれば、登頂の可能性がまだある。

10月10日の夕方、僕はキッチンテントの隅で、うなだれながら泣いていた。2つも同時にこの遠征をすでに中止しなければならない連絡が日本から来ていた。一つ目はチベット登山協会からの登山許可の延長を求めていたが、延ばしてくれたのは3日のみで、18日まではどの登山隊もラサをでなければならないという連絡。

もう一つはヤマテンの週間予報が8日からの悪天候は全てジェットストリームに変わり、8000m以上の風速は27mと強風で、行動は難しいという予報だった。つまり17日までの間、全て強風で上部での行動は不可能ということだった。6000m、7000mまでは問題なく行動できる。

しかし、肝心な8000m以上での山頂アタックができるチャンスがどこも見当たらなかった。あまりにも早すぎるジェットストリームの訪れだった。昔はモンスーンの後はポスト・モンスーンと呼ばれ、ジェットストリームが来る前に好天が続き、登頂する登山隊もいた。

しかしここ数年、気候変動の影響で、モンスーンが明けた瞬間に、すぐにジェットストリームが来るという、とても人間が太刀打ちできない悪天候の条件が重なり合っていた。僕はその予報を見て、この風の中、突っ込んでいくしかないのかと、キッチンテントの隅で泣いていた。その様子をカメラマンの魚住さんが、ちゃっかりと隅から撮影をしている。ベースキャンプに長くいると、お互いの気持ちが通じ合いやすく、すでに知っていたのかもしれない。

風速27m以上の風を一度エベレストで体感したことがある。それは2012年のエベレスト西稜、上部8000m近くホーンバイン・クロワール入り口付近のことだった。風は横だけではなく、上下左右と複雑な動きを見せ、一つの塊のようになって襲ってきた。身動きが取れなく、時間をかけながら風の合間を縫って下山をするが、すでに両手両足と鼻が重度の凍傷になり、結果、9本の指を失うことになった。

このままいけば次こそは指じゃない、もっと大切なものを失う。キッチンにいるスタッフにここで止めることを伝えた。

しかし今、長くモンスーンが居座っていたせいか、予報と実際の天気にズレがあることがあり、13日は多少弱くなるかもしれないという、予報もあった。そこを最後のチャンスと捉え、たった2日の休養のみで、翌日僕は再びC1に向かっていった。

11日、風は弱くなる気配は見えなかった。そして最後のチャンスとなる12日の朝、衛星電話で予報を聞くと、すでに風速は27mに達していた。テントから北壁を眺める。山頂直下では、強風が雪をはけのけ、帯を引いた雲のように雪が舞っていた。7000m以上でも巨大な雪煙が右へ左へと揺れながら、大きく舞い上がり消えていく。この風の中、向かっていくことは明らかにできない。

最後の最後のギリギリまでこのC1にとどまり、エベレストの北壁と向き合ったが、最後のアタックのチャンスが訪れることはなかった。あと1週間ほど待つことができれば、この深い雪は風で無くなり、チャンスが訪れていたかもしれない。時の運も含めて「冒険」である。この結果、試練をしっかりと受け止めてたい。アドバンス・ベースキャンプに戻ってもまだ頭の中は登っていた。「あともう少しだから」と言いながら、あの白い大海原を進んでいた。

※今、僕は明日出国しなければいけないため、急いでラサに来ました。いつも標高の高いところから下りてくると、夜は寝れなくなり、ベッドよりもまだベースキャンプの寝袋の中の方が居心地がいいです。

今回、相手は「山」ではなく「モンスーン(雨季)」と「ジェットストリーム(偏西風)」でした。昔のポスト・モンスーンの周期とは違い、あまりにもモンスーンからのジェットストリームが早すぎる感じがしています。相手は天候とはいえ、今回の結果には自分自身、本当にショックで、また責任も感じています。冒険の共有ではスタッフの体調不良が続出し、思うような配信もできなかった歯がゆさも残っています。今後、栗城がどうするのか? 自分の中では再び向かうという答えが出ています。しかし、再び秋季エベレストが今年のような大雪で覆われれば、厳しい結果になるでしょう。それらを踏まえて、向かう時期の変更も考えています。もし向かうとするならば、一番雪の少ない「冬季」です。冬は最も寒く、気圧が低いため、実際の標高よりも酸素が薄くなります。ただ、秋からの強風で雪が吹き飛ばされ、最も雪が少ない時期になります。その冬季に行くか、再び秋季に向かい、安定した雪を待つか、2つの選択がありますが、今後、慎重に考えながら決めていきたいと思います。

また、今年は冒険の共有のクライマックスである山頂到着3時間前から栗城カメラと、撮影キャンプからの中継が行われ、AbemaTVや、様々なネット配信が企画されていました。登頂できないということは、その配信もなく、多くの人に応援していただいたことに本当に申し訳なく思っています。この悔しさを忘れず、また応援してくれた沢山の人たちの気持ちを大切にしながら、その応援を引き続き次回につなげていきます。つまり次回は新たなクラウドファンディングは行わず、自己資金(借り入れ)してでも冒険の共有を実現したいと思います。今回、3時間の中継通信費以外は全て諸々の費用に支払われますが、その分の資金を借り入れしてでもやります。

父はよく「宿題があった方が人生は楽しいぞ。宿題がなくなったら終わりだよ」と言います。そんな巨大な宿題を与えてくれた秋季エベレストと、多くの応援者に心から感謝です。本当にありがとうございます。ちなみに今夜、チベット登山協会の人たちと、冬季エベレストの許可について話し合いが行われます。一旦、日本に帰り休養してから、また戻ってきます。

まだ冒険は続いてます。もう一人の自分がまだ白い大海原を登っているなら僕もまだやれるということです。


※写真1:6800mでのビバーク
1017-1
 
※写真2:登った軌跡を見上げながらホーンバインの下部を下山する
1017-2
 
※写真3:ホーバイン・クロワール下部を眺める1017-3

※写真4:陽が当たるまで本当に寒かった。。1017-4

※写真5:雪に覆われたエベレスト1017-5

↑このページのトップへ