「謙遜する」ということについての記事を書こうと思って、文章を書いていたら、小さい頃から僕がどうやって音楽に接してきたのか…のいろいろが見えてきてしまって、これは長くなりそうなのと産みの苦しみがかなりあるので…と一回寝かせることにしました。

で、出来上がったのが前回の記事。

全く違った内容に着地しましたが、大きな反響がありました。ありがとうございます。


謙遜する

では、本当のお題。
今回は「謙遜する」ということについて。

先日伺った学校で、生徒さんが良い音で音出しを始めたので褒めたら、素直に「ありがとうございます」が帰ってきてとても気持ちが良くなりました。
これって普通のことなのに、あまり無いような気がしたのです。

大体は
「いやいや…」
とか
「そんなことないです」
とか、首をブルブル振られたり…。
一緒に演奏をさせて頂いた同じ演奏家の方のプレイが素晴らしかったから
「素晴らしいですね!」
を伝えても
「いやあ、もう最悪です…」
とか言われてしまうこともありました。余程自分の演奏が気に食わなかったんでしょうが、これって、伝えた方も何だか気分が良くない。

ちなみに色々と検索しているとこんな記事が。英語では「そんなことないよ」は謙遜にならないばかりが、相手に失礼にあたるという記事。
褒められたら素直に喜ぶということ。
例えお世辞であっても、言ってくれた相手は自分を喜ばせようとしていることには変わりない。まずは受け入れよう。
最近はこれでいいんじゃないかなと思っています。


自己否定が生んでいた謙遜?…いや…。

そんな僕も
「いやいや…」
をやっていました。
ただし、謙遜ではなく、ほぼ本気で。

手が震えてどんどん吹くのが大変になっていった頃に、
「震えが激しい時間を過ぎて、その後に落ち着いて演奏が出来る」
みたいなことはよくあったのですが、演奏後に誰にどんなに褒められても
「いやいや、あんなに手が震えていた演奏に良いとこや価値なんか何も無いだろ…」
と素直に受け取ることが出来なくなっていました。
強力な「自己否定」が存在しました。

視点が「震えているか、震えていないか」にしかないわけです。とにかく本番になると、まずはその一点。
そりゃー当時はあんだけ震えてればなぁ(楽器を落としそうになるくらい)とも思うので、しょうがないと言えばしょうがないです。
インパクトも強いので、他にどれだけいいことがあったとしてもなかなか受け入れることが出来ない。徐々に少しでもいいことなんて見えてこなくなりました。


演奏が上手な人は自己肯定も上手…?

演奏の仕事の現場で出会う、演奏が素晴らしく上手な方々に共通していることがあるとしたら、
「自己肯定力が高い」
ということでしょうか。

自分の優れていることをよく分かっていて、自分の中で肯定している。それが言わなくとも伝わってくるようである。
謙遜や自己否定があっても、確固たる自信や肯定出来る要素が必ずある。
他人に褒められた時に素直に受け入れられる。

このような要素があるように感じています。
自己肯定力の高さは、演奏で証明しているから、とも、いい演奏をするために、とも言えるでしょう。

更に、自分や他人を褒めること、それについて喜ぶことが素直にできる方が多いと思います。
何かしら小さいことでもいいことを見つけたら「それいいね」「素晴らしいね」と素直に言える。
自分が出来たことを「これは良かった」「これ良かったでしょ」「よし、出来た!」…と、言わないまでも自分でしっかり認めている。

…それが出来ればなぁ…とは思いながらも、出来ない。僕自身は震えの呪縛から、身体も心も縛られたままの日々が続きました。


「震えさえなければ」に隠された密かな「自己肯定」

とは言え、僕も心の奥底ではこっそりこう思っていたわけです。
「震えさえなければ(誰よりも自分が思う、いい音を出しているはず)」
「震えさえなければ(自分のやりたい音楽は表現出来るはず)」
「震えさえなければ(あそこのプレイは最高だったはず)」

この「震えさえなければ」に隠されている、音楽に対する「自己肯定」が僕の音楽を続けたい、演奏し続けたいというモチベーションに繋がっていたと思います。

そして、いつか必ず改善させて…
こんな演奏をしてみたい!
こういう演奏をして、お客さんに披露できたらどんなに幸せだろう…。
見返してやる…!
と言うような思いがありました。なかなか改善に向かわない時はだいぶ心も折れかけていましたが、こっそり持っていた「自己肯定」が実は大きなモチベーションになっていたのは事実です。


「否定」と「肯定」それぞれのエネルギー

逆に「震えさえなければ」「震えたくない」は強力な意思、改善に向かうためのモチベーションであったと同時に、より「震え」を引き起こす思いでもあったことに気付かされていきます。

アレクサンダー・テクニークを勉強し始めて、病院の診断があって根本的な原因が判明、ようやく改善があった頃には、
「震えさえなければ」
が段々と
「震えていたけれど」
に変わっていきました。

「(震えていたけれど)こんな演奏も出来た」
「(震えていたけれど)やりたいことが出来たじゃないか」
「(震えていたけれど)音楽をやり続けられた」
この変化が心理的な意味で、僕がより症状の改善に向かう事になった「きっかけ」でした。

アレクサンダー・テクニークの授業で、最初の頃に学んだ事に以下の事がありました。

「(手や足といったパーツより先に)頭と身体全体に役に立つことを考える」
「身体への指令は身体の現実とマッチしている必要がある」
「身体への指令は肯定文で」

バジルさんのブログにも詳しい記事があります。

では、この3つに当てはめて僕がやってきたことはこちら。

「(手や足といったパーツより先に)頭と身体全体に役に立つことを考える」
アレクサンダー・テクニークで良く言われる「頭と脊椎」の関係。
僕の場合、手が震えている時、頭を固めている、頭の押し下げが起きている事が分かりました。(それ以外にも体に不都合なことが起こっているときは同じように固めていることが多いです。)
「手の震えを止めよう」
より
「頭が動けるようにして、それによって身体全体が動けるようにしよう」
の方が圧倒的に、役に立つことの方が多い、震えが改善されることが多いです。
(以前の記事にも書きましたが、このあたりのことは文章では伝わりにくいこともあるので、もっと知りたい方、体感したい方はレッスンを受けてみることをオススメします。)


「身体への指令は身体の現実とマッチしている必要がある」
病院に行く前、アレクサンダー・テクニークを知る前の僕の身体の現実として
「震えないようにする」
は残念ながら不可能でした。
なのに、
「震えさえなければ」
と強く考えていたとしたら、現実とマッチしているとは言えません。
「震えてもいいから…」
はより現実的だったかも知れません。

「震えてもいいから、出来る音楽をやろう」
「震えてもいいから、吹ける音を鳴らしていこう」
この方がやりたいことに少しでも近づけている実感がありました。震える自分自身を許してあげているような気持ちになっていって、震えも軽減されていった気がしました。


「身体への指令は肯定文で」
運動を起こす時の指令が「否定形」だと脳は理解しづらい、という現実があります。

(ここからは文を一つずつ理解したら次、というように丁寧に読んでみてください。)

例えば、楽器演奏時に前を向いて欲しい時に
「前を向いて」
で済むことを
「下を向かないで」
と言われると、一瞬考えてしまうというか、思考や身体が固まるようなことが起こります。

バジルさんのブログの記事にも詳しいですが…
「Aという行動をしないで」
と言われると、必然的に
「Aという行動をする」ことを考えてしまいます。
「Aをする」という指令を身体に送ってから、「Aをやらないように」し始めるのです。

そうすると
「Aをする」動き
「Aをしない」動き
が同時に発動してしまい、身体や思考に葛藤が起きます。やりたいことに素直に向かっていないと言えるでしょう。

そして、具体的な方法が無い限りは、残念ながら
「Aをする」
に引っ張られがちです。やりたくないことのはずなのに。

なので代わりに、
「Aをしない」ために「Bをする」
という別のプランを用意する必要があります。

先ほどの例で言うと
「下を向く(Aをする)」
とどうなるのかを教えた上で
「前を向いて(Bをする)」の指示をすれば、シンプルでやりやすいはずです。

演奏だと、
「音程が下がらないようにする」
よりは
「音程を上げる」
「タイミングがずれないようにする」
よりは
「タイミングを合わせる」

可能な限りシンプルな肯定文に言い換える方が分かりやすいですし、直で動きに繋げられます。それらの細かい手段、方法も一つずつ肯定文で考えてみるといいでしょう。

この「〜しない」という指示。
特にレッスンをしたり誰かに物事を教えたりする時に多く言ってしまいがちです。
僕もたまに言ってしまうので、その時は
「〜しないために〜をする」
(Aをしないために代わりにBをする)
に言い換えることにしています。

何かを教えているとつい言っちゃうことだったりするので、例えば誰かのレッスンを受けた時に「〜しない」という指示を受けたら、
「(〜しないために)〜をする」
に言い換えられるか試してみてください。


…さて本題に戻りましょう…。えっと、
「身体への指令は肯定文で」
でした。

「震えないようにする」
はバッチリ否定文です!
しかも具体的な有効な方法は特にありません。これはむしろ震える方向に進むのは言うまでもなく…。
先ほども書いたように
「震えないようにするために」
    ↓
「頭が動けるようにしてあげよう」
とか
「震えないようにするために」
    ↓
「震えてもいいから、吹ける音を鳴らしていこう」
の方が肯定文で現実的でした。


否定文よりは肯定文。

「震えないようにする」だと逆に「震える」

「緊張しないように」だと逆に「緊張する」

ということは…

「震えたくない」なら「震えてもいい」と思う!
そうか、そうなのか…!
…いや待てよ…。

…と言ったように。
これを受け入れられるようになるには、かなりの葛藤がありました。
震えたらダメ、震えさえなければ、と強く思っていた僕にとって、反発するのは当たり前。しょうがないこと。

でも…
震え「たくない」
といくら思っても震えるのも事実。
震え「てもいい」
と考えると何だかホッとしたことも事実。

「震えてもいい」を本気で受け入れていくことによって、結果的に等身大の自分自身、現実の自分を受け入れることになり、不思議と震えも少なくなっていきました。徐々に震えよりも音楽そのもののことを考えられるようになっていきました。

そして、緊張することと手が震えることも直結しているようで実はちょっと違うこと、本番の演奏は緊張すること、緊張を味方にでより力を発揮出来るようになることに気づいて実感、体感していきます。(この件は次回以降の記事で取り上げます。)


否定と肯定、どちらもアリなんだけれど。

「震えるようなこんな自分じゃイヤだから」
という否定からくるモチベーション
「震えてもいいから出来ることをやる」
という肯定からくるモチベーション

どちらも今の僕にとって必要なものでした。
ただ、否定からくるモチベーションしかない時はとても苦しかった。僕としてはかなり限界のところまで来ていました。
思えば、否定を肯定文に言い換えようとしても具体的な方法は何も知らなかったし、考えようとしても、震えることがあまりに強烈でそういう発想に繋げることが出来なかった。

僕にとっては、
身体の現実である症状を診断、治療を始めてくれたお医者さんとの出会いによって初めて正しい情報を知り、自分にはどうすることも出来なかった症状の改善が進み…
アレクサンダー・テクニークとの出会いによって、否定を肯定に言い換える方法を知って…
ようやく、やりたいことをやるために向かえるようになりました。

このブログでは何度となく書いていますが、
自分で理解出来ること、やってみて出来そうなこと、実践できることはどんどん試してみて欲しいけれど、どうにもならないと感じたことは早く専門家に頼ること、相談することが必要だと思います。自分ではどうにもならなかったことに対して、きっと何かしらの前進があります。


このブログ記事を書いている時に、BODYCHANCEのクラスメイトで既にアレクサンダー・テクニーク教師であるクラリネット奏者の宮前和美さんが、たまたま同じようなテーマで素晴らしい内容の記事を公開されています。


「自分を褒めること」と「調子に乗ること」

ここまでに書いたような、気持ちの前進があって、ようやく自分のこと肯定出来るようになってきました。褒められたら素直に受け入れられるようになってきましたし、自分を褒められるようになってきました。

10代や20代の頃だと、自分を褒めるって
「なんか調子に乗っている」
と結びつけそうなことですが、

自分のやりたいことをやるためには自分自身の気分が良い方が向かっていける。

着実にプロセスを歩んでいく中でのはっきりとした結果なので、それがどれだけ小さい成功だろうが、まぐれっぽい結果と感じようが、それを認めない方が不健康。

…としていくと、
「調子に乗っている」
こととは似ているようで違うように思います。そもそも他人に迷惑をかけていませんしね。他人がどう思うかを気にするよりは、自分を大事にしたい。


まずは出来たことを見つける、褒める、喜ぶ、それから気付いたことの情報収集(良いこと悪いこと含めて)、そして次にやるときのための作戦を立てる。そこから次を試す、実験していく…の繰り返し。
どんなことでも上達へのプロセスってこういうことだと思っています。


まとめ

僕がやっていることは

何かをしようとしている時に自分に出している指令、他人に出している指示に「否定形」のものがないか調べてみること。

「否定形」のものがあったら「肯定文」に言い換えられるか試してみること。その方が分かりやすい、シンプルになるのであれば「肯定文」を取り入れること。

何か上手くいかないことがあった時に「自分は何を否定しているのか」を考えてみること。

「否定形」は必ずしも悪いものではないけれど、付き合い方は自分で選ぶこと。出来るだけ、自分を大事に扱うことを優先すること。

自分自身のやっていることで少しでも上手くいことがあったり、成功や前向きな情報があったら、どんなに上手くいかないことや失敗があったとしても、認めて、褒めて、喜ぶこと。

このようなことを実践しています。

思えば過去の記事にも上記のような変換は数多く起こっていました。実践できているようで良かったです。


というわけで、
否定形に捉われがちだなぁ。
という方
自分を褒めるとかいうの苦手だなぁ。
とか
人に褒められても「いやいや…」って言っちゃうなぁ。素直に受け止められないなぁ。
とかいう方々も、
まずはこういった練習から始めてみませんか?
バジルさんのブログの記事を紹介して今回は終えたいと思います。


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最近はもっぱらこちらの特集を。最高です。

小さい頃から中学生になるくらいまで、ピアノをかなり本格的に取り組んでいました。小学校の時は某コンクールの全国大会で2度ほど入賞したりしています。

本当に小さい頃、何故ピアノを弾くようになったかは全く覚えていません。ピアノの先生だった母の影響で始めた…とは思いますが、自分で弾きたいと言ったのか、やらせてみたらなんか楽しんでいたのか…どうなんでしょう。

母にピアノを習うわけでは無くて、近所で有名な先生に教わりに行くようになりました。
まぁ、なかなかのスパルタというか、当時は特に厳しい先生でした。自分で書いたことはないのに楽譜が真っ黒だったのを覚えています(笑)

レッスンは、こうやって弾きなさいを徹底的に教わるという形でした。自分でこうしたいとか、こう弾きたいは特になく、言われた通りに弾くことをやり続けました。

音楽は好きだったんでしょうが、曲とか作曲とか上手なピアニストとかには興味がありませんでした。言われた通り弾けるようになって、コンクールの結果が出て、先生や親、周りの大人に褒められる、ちやほやされるというのが嬉しかったんだと思います。

当時、なかなかの田舎でピアノがバリバリ弾ける男子、というとかなり物珍しい存在でしたし、なかなかのお調子者だったので、いろんなところで目立ちました。

コンクールの後かなんかで、全校生徒の前でピアノを弾くと何故か笑われたりしました。
周りから段々と「調子に乗るな」という言葉をかけられるようになりました。子供の頃はよくある話ですが、大人や親にも言われるようになりました。(周りと馴染めず、変に目立つことを避けようとしてくれていたと思います。)

ピアノを弾くのも段々と楽しく無くなりました。言われた通りに弾くことを求められていたので、弾きたい曲を弾こうにも譜面をある程度読んで自分で音楽を作っていく方法を知らなかったので、出来ませんでした。

それでも、ピアノと言えば…で小学校の校歌の伴奏やら何やら弾かなければならない機会が増えて行くのは複雑な心境で、校歌を弾くのが嫌で逃げたりしていました。

こうやってピアノからフェードアウトしていく頃に、中学校に入って吹奏楽部に入って、どっぷり吹奏楽にハマって、吹奏楽オタクになって、音楽の楽しみを知って、高校から東京に行くことを決めて…いつの間にかオーボエを吹くことを仕事にしています。

ピアノは今でもあまり弾けません。当時引いていた曲をなんとなく…で、新しい曲を弾くのはめちゃくちゃ苦労します。高校大学の副科のピアノは小学校からの貯金でやりきったような感覚です。
でも、音楽との出会いがあって、スタートをピアノを弾くことから始められたのは音楽を続けていくことになる僕にとっては幸運でした。先生方や親には本当に感謝しております。


では改めて。
何故、あの時ピアノを続けられなかったのでしょうか。

ピアノを続けていくことによって得られる喜び、上手になりたいという気持ち、ピアノが好きという気持ちより、やめて楽になりたいという気持ちが勝ったから
と言えるでしょう。
音楽はなんとなく好きだけど、何故こんな大変な思いをしてまでやらなきゃいけないんだろう、と。
当時の僕自身がピアノと向き合って、努力していくことによって、楽しさを見出せなかったのもあります。


では、何故オーボエを続けているのか。

ちょっとしたことで音が出なくなったり、指はややこしかったり、体力的にも精神的にもキツさを感じやすく、ギネスブックにも載るくらいに難しい楽器であるオーボエ。ましてや、震えることが始まっていた僕が毎回の本番で地獄のような思いを続けても、何故「オーボエを吹く」ということを選んだのか。

それは、オーボエを吹く楽しさ、オーボエを吹く幸せを知ったから。
オーボエを吹くことで生じる困難やストレスと付き合っていくだけの価値があると思ったから。
音楽の本当の楽しさを知ったから。
震えというストレスに立ち向かっていく価値があると思い続けてこれたから。(もうギリギリのところだったけれど)
何よりオーボエが好きになってしまったから。
という理由だと思います。続けていきたいというモチベーションがあったわけです。

僕が中学生の頃に音楽やオーボエを教わった先生には、オーボエを吹けば、オーケストラや吹奏楽、室内楽、ソロ…といった素晴らしい音楽の世界が広がっていて、こんな素敵な音楽を奏でることが出来る、ということを教わりました。

所属した吹奏楽部は全国大会を狙うような、熱心な活動を続けている部活でしたが、音楽そのものをとても大事にする先生だったので、純粋にオーボエが上手くなりたい、に向かえたんだと思います。気持ちに火がついた僕は部室にあるCDやビデオを見聴き漁り、どんどん音楽の世界にのめり込んでいきます。ピアノを弾いていた時は自分の演奏する曲を録音で聴こうともしなかったのに、です。

それから、先生は、オーボエの難しさや、当時の僕の人付き合いの下手さ、今で言うところの不登校気味…というか引きこもりがちな性格(?)を理解してくれていて、僕の上達の過程を急かすことなく待っていてくれていました。
ある程度オーボエが吹けるようになった3年生の時には僕の演奏を一番に評価してくれていましたし、信頼してくれていました。学校の存在すら知らなかった僕に「藝高に行け」と言ってくれたのも先生です。

任せてくれていたというか、いろんな面で好きにさせてくれていたのも音楽やオーボエに向き合うことが出来た理由かも知れません。
上達するために変にプレッシャーをかけられることもありませんでした。
(吹奏楽部全体の指導としては大変厳しいものがありましたし、要求もとても高く、決して優しい先生ではなかったですが、少なくとも「音楽」を感じさせないような練習をさせることはありませんでした。)

僕が本番や合奏なんかでかなり手が震えることも知ってくれていましたが、特に問題にすることもなく、変わらず信頼してくれて、コンクールや本番で沢山の大事な部分を任せてくれて、チャレンジさせてくれました。(この頃は震えても音にはそこまで影響が無かったということもあるかも知れません。)
これは今となっては本当にありがたい事だと思います。僕がガクガクに崩れたらある意味終わり、だったのに、先生は僕の力を信じてくれていた。すごいことです。(吹奏楽部は僕が中3の時に全国大会に初出場。見事金賞を受賞します。僕の人生を変えた本番でした。この話もいつか書きます。)

その後に出会ったオーボエの先生もいろんな方がいらっしゃいましたが、オーボエの楽しさ、オーボエを吹くことの幸せをいろんな形で教えて下さりました。一つ一つが価値あるものとして僕の中で活かされています。

藝高からずっとお世話になっているオーボエの先生、師匠は初めて会った時からしばらくはめちゃくちゃ厳しい人でした。
見本は沢山吹いてくれましたが(これもめちゃくちゃ有難いですよね)、話すことと言えば、今吹いた演奏がいいのか悪いのかしか言ってくれない。(僕も相当ビビっていますからコミュニケーションが取れないのは当然です…)
ですが、段々とコミュニケーションが取れるようになると、本当の意味での音楽そのものの素晴らしさや、音楽と共に生きていくことの素晴らしさ(…そして食と酒の素晴らしさ、特に鮨の素晴らしさ…)を教えてくださった人です。

優秀な同級生達がいる中で、震えに悩み続けて、普通だったら大事な現場なんて任せられないような状態で、ある意味劣等生だった僕の音楽、実力を信じてくれて、沢山の現場に誘って頂き、ご一緒させて頂きました。

そして震えの状況について客観的に意見をくれました。先生は震えに対する直接的なアプローチは持ってらっしゃらなかったですが、現場に連れて行って頂くことで、音楽をやりたいというモチベーションを育て、守ってくださっていました。自分の音楽に対する考え、感じ方に一生残り続けるであろう音楽体験を沢山経験させて頂きました。今でも会えば沢山の話をしてくださったり、アドバイスを頂いたりと、大変お世話になっております。

そして、卒業前、卒業してから外の現場に出るようになってから、一番ご一緒させて頂いている先輩、宮村さん。
プロの世界でやっていくこと、現場でのいろはを全て教えていただいたと言っても過言ではないでしょう。
震えの症状がどんどん酷くなっていった時期に、演奏する仕事が皆無になりそうな時にも気にしてくださって、プレッシャー、リスクの少ないような本番に呼んでくださる。様子を見てくださる。僕の実力を信頼してくれて、いつか…と信じてくださっていました。
そんな付き合い方をしてくれる先輩がいなかったら、震えと向き合うこと、改善していくことに立ち向かうなんてとっくに諦めていたでしょう。
今でも僕のことを信頼してくださって、現場では積極的に音楽をご一緒出来るようになって、沢山のことを教わり、宮村さんのお弟子さんの身体や心のことで何か気になることがあれば僕がレッスンをさせて頂いたり…と、いろいろとお世話になりっぱなしです。本当に有難いです。

他にも沢山の先輩方や後輩、先生方、仕事でお世話になっている方々、苦しい時にも変わらず仕事を依頼してくださった方々のおかげで、今でもこの仕事を続けています。

人との出会いは財産ですね。思い返すと本当に有難い出会いが数多くありました。沢山の不義理も、期待に応えられないことも沢山あったと思いますが、オーボエを続けたいという気持ちはこういう方々のおかげで、折れることなく、あり続けました。
結果的に、「震え」にずっと立ち向かい、アレクサンダー・テクニークとの出会いやお医者さんとの出会いもあって、改善していくところまで何とか諦めずに探求を続けていけました。


…また長くなりましたが…。

では、
例えば、僕のような変わった(?)生徒に出会った時に、今の自分が指導に関わるとしたら、何が出来るのか。

僕が指導に関わる時に大事にしたいと思っているのは、

10年後20年後も音楽が好きでいてくれる、続けていきたいと思っていてくれるようなことを伝えたいということ。
僕の先生がそうだったように、音楽そのものの楽しさ、素晴らしさ、音楽やオーボエと共に生きていくことの素晴らしさ、素敵なところを伝えられるようになること。
音楽を続けていくことが厳しい、苦しい場面に遭遇してしまった人たちの、「音楽をやりたい」というモチベーションを守りたいということ。
その苦しさから少しでも早く脱出、改善に向かえるような方法、建設的な手段を、その人それぞれに合わせて、出来るだけ多く提案出来るようになること。
自分自身で成長していく力、そして、自分自身を応援していく力を育てたいということ。

以上のようなことを思いつきました。

もし、音楽を続けていきたいのに、苦しいことが起こったり、困難にぶつかったりして、音楽を続けていくモチベーションが下がっている方
どうにかしたいのにどうにも出来ない方
知りたいことがあるのに分からない、教われないという方
がいましたら、遠慮なくメッセージを下さったり、レッスンにいらっしゃってください。レッスンに関する質問、希望等はTwitterやFacebookのメッセージ、またはyukorekoreyu0915○yahoo.co.jp(○を@に変えてください)まで。

現在、中高生や大学生、一般の方、音大生、プロの方までいろんな方がいらっしゃっております。
他の方々が出来ない、身体的、精神的、音楽的…それぞれに対して様々なアプローチ、提案が出来ると思います。

最後に最近の呟きをいくつか。
自分語りが長くなりました。
自分のこれまでを整理していくのはこれからの自分のためにも大事なことなのかな、と思っています。
こういうことが、考えられるようになったのはとても幸せなことですね。

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先日の本番で活躍した楽器2本。
左は愛用しているオーボエ。YAMAHA Hリミテッド ブラックオパール フルオート
右は宮村さんにお借りしたオーボエダモーレ。ヨーゼフ フルオート
どちらもすっごく良い楽器です。
フルオート吹きは今や天然記念物並に少なくなっていますが、このシステムの良さが絶対的にあると思って使い続けています。

たまには活動報告を。
2016年12月2日はこちらの本番でした。
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Antoine Tamestit and Japanese Excellent Artists  
アントワン・タメスティと日本の俊英たち

場所:
横浜みなとみらいホール 

開演時間:
19:30
※19:00~19:15プレコンサート

出演者
鈴木 優人(指揮・オルガン)
アントワン・タメスティ(ヴィオラ)
小林 沙羅(ソプラノ)
中川英二郎(トロンボーン)
横浜シンフォニエッタ (オーケストラ)

プログラム
19:00~19:15
プレコンサート
出演:アントワン・タメスティ、鈴木優人
プログラム:J.S.バッハ/ヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタ第3番ト短調 BWV 1029

19:30~21:00
本公演
J. S. バッハ/幻想曲ト長調 BWV 572「ピエス・ドルグ」
J. S. バッハ/クリスマス・オラトリオBWV 248より
W. A. モーツァルト/オペラ《フィガロの結婚》より 他
W. A. モーツァルト/交響曲第35番ニ長調K. 385「ハフナー」
A. シュニトケ/「音響と反響」(オルガンとトロンボーンのための)
A. シュニトケ/モノローグ(ヴィオラと弦楽のための)

横浜シンフォニエッタにお邪魔しました。
首席での依頼。責任感も増します。(2ndだって責任感はあるけれど、ちょっと種類が変わる気がしています。)
前日リハーサルはホールで!ありがたい!!
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私の位置からの眺め。
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こちらは「ハフナー」演奏中です。(ここからの写真は公式から頂きました。)

指揮の鈴木優人さんは大学時代からお世話になっており、副科バロックオーボエ(曲が通るか通らないかのギリギリの演奏…)の試験でチェンバロを弾いて頂いたことも…!(今考えてもすごい経験です)

当日は、パイプオルガン(バッハ、シュニトケ)、チェンバロ、チェンバロ弾き振り、指揮、ともはや超人…いや、実は何人かいるのでは…?と思うくらいの大活躍。そのどれもが超一流。大尊敬している音楽家です。

音楽はとても生き生きとしており、沢山の「変化」そして「音を喋る」ことを特に求められました。
優人さんの、いい意味で「真面目と思われたくない」という発言の通り、作品に潜む仕掛けや魅力を思い切って、ぐいぐいと引き出していく、(時に過剰に)露わにしていく指示。
オーケストラ全体でのコミュニケーションが盛んに行われていて、理想とする姿に向けて果敢にチャレンジしていく様子は、とても共感しましたし、優人さんと横浜シンフォニエッタならではの現場、音楽体験だなぁ、と思いました。僕も取り組んでいてとても楽しく、クリエイティブな気持ちで、思い切ってチャレンジ出来ました。

そして今回のコンマスは芸高の一つ上の先輩である白井圭さん。こちらも今や国際的に活躍されている、素晴らしいヴァイオリニストですが、「久しぶりー」と、あの頃と変わらず、とても気さくにいろんなアドバイスをくださりました。演奏はもちろんスーパーです。たくさん引っ張っていってもらいました。

その他のメンバーの方もとても素敵な方々、素晴らしい音楽家の方々ばかりで、とても温かい空気の中でのリハーサル、本番。いやー…とっても幸せな時間でした。頑張りたい気持ち、もっとやりたい気持ちをどんどん掻き立てられました。

で、今回はこのような場面も
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おおおお…。改めて見てもすごい写真…(涙)
クリスマスオラトリオのアリアでソプラノの小林沙羅さんだけではなくて、僕も前で…オーボエダモーレ(いつもよりちょっと長い)を演奏しました。
リハーサルで演奏しながら、内心
「とんでもないことをやってるなぁ…!」
と、慣れない環境にドギマギしながら、異常な興奮状態だったわけです。
緊張感も増しますが、演奏できる喜びもさらに湧いてきて…
「なんだこれはー!うおおお!」
という言葉に出来ない感覚。

ちなみに初日のリハのスタートの時点ではこういう並びのはずでした。↓
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それが「やっぱりこっちで吹こうよ」ということになり…↓
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(当日のゲネプロの様子)
古楽オーケストラならまだしも、モダンオーケストラではこのような抜粋でやることがない限り、前で立って演奏することはなかなか経験出来ないなぁ、と。本当に貴重な経験をさせて頂きました。
オーボエダモーレがヴァイオリン、ヴィオラと絡み、通奏低音と絡み、さらに歌とデュエットし…。まだちゃんと言葉に出来ないような、いろんな感情が押し寄せる中での本番でした。

本番はこの後いったん退場して、舞台裏で急いで楽器をいつものオーボエに持ち替えて、リードを用意して、ステージに出て、いつもの席に座りチューニング…と、焦ってしょうがないような状況でしたが、比較的落ち着いて取り組むことが出来ました。

立ってダモーレを演奏しているときももちろんですが、シンフォニーを吹いていても、過去の自分、過去の習慣からの恐怖が沢山襲いかかってきます。
これは、僕の場合、練習やリハーサルの時からそうなんですが、震えることに対しての「恐怖心」から「震え」につながることや、少し演奏するのが難しい、怖いようなところで、以前やっていた…震えを無理矢理抑えていたような姿勢、構えをとってみたりすることがあります。昔のように大事故が起こるわけでもないのに。
長年の習慣に対する、とっさの防衛反応というか、これも習慣なんですよね。20年近く震えと付き合ってきたので、しょうがないというか、理解出来るようになってきました。徐々に新しい習慣に塗り替えられている、アップデートし続けているとも言えます。

アレクサンダー・テクニークを勉強し始めてから、このような理解が進んでいきました。
恐怖を感じて上手くいかなくなってきたり、震えたり、腕がうまく動かないよう時は、必ずと言っていい程、頭と脊椎が接しているところが、首も含めて「縮んで」「固まって」います。頭の「押し下げ」が起きています。

そこで、それに気付いたら、押し下げをやめてみる。動けるようにしてあげる。
やめられなかったら、どこで「固まり」をリセット出来るかを考えてみる。
そして、
「そんなことをやらなくても今はもう大丈夫」
「まあ、もしこのままの状態でも演奏は続けられるから大丈夫だよ」
「今とこれまでの自分自身全部で音楽しよう」
「バッハ、モーツァルトをこう演奏したいんだ!」
…等と自分に言い聞かせてみる。
そうすると、身体が動き始めて、演奏しやすい新たな姿勢に移行して、次のプレイに落ち着いてチャレンジ出来たりする。
もしくは、演奏する最初から頭脊椎を意識する。
…と、ものすごく簡単に書きましたが、本当にこのくらいシンプルなプロセスを演奏中に試しながら取り組んでいます。

どんな時でも出来るわけではないですし、シンプルながら大変奥深い、アレクサンダー・テクニークで言われる1番の「キモ」の部分が頭脊椎の話なのも今では納得します。
(だからこそ最初は伝わりにくいのもよく分かります。こればかりは本とかインターネットの記事を読むことよりも、実際にレッスンや講座等で体験してみることをオススメします。ちなみに僕の通っているBODYCHANCEという学校の体験レッスンは音楽をやってらっしゃる方には特にオススメです。)

これらの方法を使って、過去の習慣、癖を新しい習慣にアップデートしていく。これを毎回の演奏中に試みています。

実際、本番ではダモーレのリードがボーカルにしっかり差し込んでおいたはずが、段々と緩んでしまい(あるあるではありますが)、演奏しながら取れそうになっている状況と戦っていました。
「うわ。やべえ。取れたらどうしよう…ほとんど吹きっぱなしだから修正もできない…うー…ちゃんと差し込んでおいたのに…よりによって本番で…」
が襲いかかってきますが、上記のようなプロセスと
「楽器を自分に持ってきさえしていれば、緩んでも外れることはない」
という事実。そして、
「本番はいつもとは違うんだから。特別な時間を味わおう」
「バッハの書いた音楽をこう表現しよう」
を思い出して、思い切って演奏に取り組みました。ちゃんと乗り切れました。リハーサルで何度かシュミレーションしておいたのも良かったと思います。

何より心強かったり、安心して演奏にチャレンジ出来たのはメンバーの方々の素晴らしい演奏、サポート、会話や暖かい言葉、スタッフの方々のとても丁寧で親切な気遣いのおかげです。
練習が始まる前だったり「おはようございます」「おつかれさまでした」の挨拶を交わしている時だったりに声をかけてくださったり、ジェスチャーだったりで褒めてくださったり、アドバイスを頂いたり、冗談を言い合ったりする。スタッフの方々もとにかく丁寧で安心して演奏に集中させてくれる環境が整っている。これは本当にありがたいなぁ、と。一つ一つを受け入れて、感謝しておりました。

特に某先輩からの
「堂々としていて良いね。素晴らしいよ。」
は、人生で初めて言われた言葉だったので、こんなこと言われるようになったんだなぁ、と、感慨深いものがありました。潜在的な努力がようやく結びついて来ているんだなぁ、と思います。

もちろん沢山の反省もあります。もっと大きな表現が出来るようになりたいですし、自分の色を更に出せるようになりたい。こういった反省はその日の全ての演奏が終わってからやることにしています。

次はこうやろう、こうしてみよう、もっとこうしてやろうが沢山あります。その為にも、
もっとこんな経験がしたい!
たくさんの音楽体験を積み重ねたい!
やりたいことのためにこれからも努力、探求を続けていきたいと思いました。

ソリストの皆さんの演奏はどれも心に残るすごい演奏ばかりでしたが、特に印象に残ったタメスティさんのヴィオラと優人さんのチェンバロで演奏されたバッハ。
大好きな曲というのもあるのですが、この二人のやり取りが何故成立するのか…決してロマンティックにはならないのだけど、バッハの世界の中で、やりたいことを最大限やっている。曲の魅力が何倍にもなって表現されていく様子に浸ることが出来て、とっても幸せな気分でした。

こんな世界があるんだなぁ…僕もそんな世界に行ってみたい。いつかやってみたいと思います。

以上が今回の演奏会で経験したことでした。
こうして言語化することで、より鮮明に思い返すことになって、良かったです。
お世話になった全ての皆様、応援してくださった全ての皆様に感謝申し上げます。
また次に向けて頑張ってまいります!

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ソプラノの小林沙羅さんはまさかの大学の同級生でした!同級生でデュエットさせて頂けてとっても幸せでした。
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トランペットで参加していて、今やいろんな現場で大活躍中のはなえちゃんは地元の後輩。先日のアフィニスでの演奏会もお手伝いしてくれていました。ちなみに僕が教育実習で伺った時の中学生、教え子?です…。

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