こんばんは。




僕です。





明日、いよいよワンマンライブです。






アカペラを始めて15年くらい経ちました。




長くやってる、ということをお褒めいただくこともあるのですが、
「頑張って続けてきた」という感覚は、あまりなくて。

それに、長くやってはいるけれど、そんなに褒められたような内容でもない。





明日はライブです。

僕はライブが好きです。




僕のやってるパートは、変なパートだ。


強いて言うなら、「びっくり人間」に近いと思う。



でも、もちろんJARNZΩの発表する楽曲において、僕は主役でない時間が圧倒的に長いし、
そうであることを、僕も望んでいる。




その自分と向き合って、それなりに長い時間が経った。



明日のライブでは、そんな自分から皆さんに、何かわかりやすいお土産を送りたいと思う。

形のないものになるけれど。


いつもそうしてるのだけど、明日は特に、そうしたいと思う。



それを遮るものも、明日はない。

だって、JARNZΩだけの時間なんだから。




もし明日、「できた!」と思ったら、


僕は、音楽をやめてもいいと思うかもしれない。



そうならないことも、僕は知っているのだけど。




例え100%、思った通りのことが出来たとしても、きっと次の「見せたいもの」に出会うんだ。



そうしていきたい。そうやって出会う未来であってほしいね。




明日もまた、その長い道のうちの1歩なんだと思う。




でもきっと、大事な一歩になるから。


JARNZΩを少しでも、良いと思ってくれてる人には、決して見逃さないでほしい。




そんな大事な1歩を前に、いま僕がすべきこと。


確認?

練習?


瞑想?




いや、違う。






睡眠だ!!!





寝る。おやすみ。





けい



JARNZΩ Flick The Switch! Tour FINAL


【日程】
2017年5月21日(日)

【場所】 
日本橋三井ホール
(東京都中央区日本橋室町2-2-1 COREDO室町1/5F)

【時間】
open/start
18:00/18:30

【料金】
前売:¥3500+D

【出演】
JARNZΩ


こんばんは。


僕です。







辛いことがあるのは当たり前だ、生きているのだから。



だから、愚痴をこぼすな、不平を漏らすな、

黙って苦しめ。



って、平気な顔して言う人が、少なくないように思います。





きっとその人は耐えられたのでしょう。




きっとその人は乗り越えたのでしょう。




本当にすごい事だと思います。



尊敬します。あやかりたいと思います。







ただ、初めての人生で、自分の人生しかやったことないのに、


よくそのテンションで言えるよな、とも、ちょっと思ってしまいます。







クヨクヨするなとか、そんなに慌てるなとか、

そういう意味で言ったんだと思う。最初のひとりは。

そうだと思いたい。







どうしたって辛いことはあるし、泣きたいこともあるだろうし。





いいじゃん、大いに泣き喚いて苦しもうよ。


その気持ちは自分にしかわからないんだから。






ただ、楽しみを見つける努力は忘れたくないなぁと、僕は思います。



そうじゃなきゃねえ。


普通に生きてたら辛いらしいから。





楽しむ材料として、その辺に転がってるガラクタの一つでありたいなあと思う昨今です。





5/21は、ぜひ皆さんで楽しみましょう。







また明日も泣き喚くための元気を届けるガラクタです。







日本橋三井ホールで、お待ちしてます。




では。







けい






JARNZΩ Flick The Switch! Tour FINAL


【日程】
2017年5月21日(日)

【場所】 
日本橋三井ホール
(東京都中央区日本橋室町2-2-1 COREDO室町1/5F)

【時間】
open/start
18:00/18:30

【料金】
前売:¥3500+D


こんばんは僕です。


タイトルが一瞬下ネタに感じた人は合格です。廊下で待ってなさい。

下ネタじゃないよ。
暴飲暴食、みたいなことね。

つまり落書きに近いカタチになる。


そんなもの何のために公開するんだねって話ではあるんだけど、


まさに話題は、「つまるところコレは、誰のための人生なのか」っていうところだ。



僕は今まで「結局自分のため」と思ってきた。


他人に尽くしたり捧げたり施したりも、そうすることで結果的に自分に「幸福感」がもたらされるのだから。




もちろん、わざわざこの話をしてるからには、僕はこのごろ「この持論は間違っているかもしれない」と思っとるわけです。



旅行の行先にしろ、コンパの会場にしろ、

選択肢が複数あれば当然、希望者が多い方が優先される。

当然、幸福度は、希望者のは高く、「それ以外の少数派」のは低い。

しかし「全体の幸福度の合計」で言えば、コレが最善だ、っていうのは、明らかなわけです。




こういった「幸福の多数決」に直面した場合。の、少数派の立ち回りについて。


何かしらの、ガマンか不満か、それらに類するものに曝されます。

それは決して本意ではありません。そりゃそうですとも。

しかしそれが集団の最善だと、マイノリティ自身も「分かって」います。

集団の最善であることは「本意」なんです。



これ文章にすると「そりゃそうだ」ってことしか書いてないんですよね。


しかし、これ読んで

「は?そういうもんでしょ」っていう人と、

「うわぁわかる……苦しい……」ってなる人

に、分かれると思うんです。




そして後者の人こそ、今回の研究対象であるわけです。



もちろん、幸福の多数決から「下りること」も出来ます。

いつもいつも自分が少数派になる必要はないんです。

同じような感覚の人で集まれば、自分は憧れの多数派になることも可能なわけですから。


しかし問題は、「少数派」の人も「んなこたァわかってる」ということです。


では何故、と思うでしょ。多数派歴の長い人ほど。


それが自分でも、わかったり、わかんなかったりするんですよ。



サボって見えんのかな。

頭に来るよな。




ちょっと「共依存」みたいな構図なのかな、とも思ってきた。


DVの加害者と被害者の関係。

被害者側も「私が居てあげなきゃ」と思う。

逃げれば逃げられる。

人道的にも、ルール的にも、逃げる方法はいっぱいある。

けど選ばない。自分から率先して、そうしない。


そうなっちゃったら損なのは、文字にしたらこんなにハッキリ分かるのになぁ。







他人の幸せを水無しで飲み込む人達へ。


まずあなたは、当然悪じゃない。不必要でもない。

しかし、必要でもない。それは誰しもがそう。
今は多数派をやってるあの人もそう。

人道的にもルール的にも、道はいくつもある。

そっちを選べとは誰も言わない。選ぶなとも言わない。


自分が損するのはオススメはしない。

だけどわかります、自分が貧乏くじに回れば、っていうその気持ちは分かります。





俺は、そういう人のために歌いたいと思います。




けい

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