月別アーカイブ / 2014年07月

10月にポーランドのワルシャワ大学で講演してきました。
ポーランドは、非常に「親日的」と言われている国で、そのそもそものきっかけは、やっぱり日露戦争なんだそうです。トルコに関しても、よくそういうことが言われますね。まぁ、ショパンの時代から、ずっとロシアの支配下にあったわけですから、さもありなんです。
勿論、その後はまた長い歴史があるわけですが。

今は、諸外国の例に漏れず、漫画やアニメの人気が高く、ワルシャワ大学の日本語・韓国語学科は屈指の難関学科となっているようです。もちろん、文学の研究も充実していて、谷崎の翻訳で知られるミコワイ・メラノヴィッチ教授は、僕の小説をすべて日本語で非常に丁寧に読まれていて、特に『葬送』に関しては、「とても感動しました。是非、ポーランド語に翻訳されるべきです!」と言って下さいました。あの小説がポーランド語で読まれているところを想像すると、それだけで胸が熱くなります。

 滞在中、かなり写真を撮りましたので、短いコメントをつけて、ざっと紹介していきます。
ご興味のある方はどうぞ。

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ワルシャワ大学の構内にあるショパン一家が住んでいた建物です(1817-27年)。
元はカジミエシュ宮の別棟で、フランス語教師だったお父さんのミコワイは、ここで寄宿舎も営んでいました。
現在は、日本語学科の研究室も入っています。

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 ワルシャワ大学の図書館。すっきりしてますね。

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 学食です。
ポーランド料理は、学食から高級店まで色々食べましたけど、おいしかったです。
浮ついてない、しっかりした味です。

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 ワルシャワから車で約1時間。
ジェラゾヴァ・ヴォラにあるショパンの生家の門です。
感動!

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去年が生誕200年だったので、全体的にきれいになってました。
お土産屋さんです。

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 そして、ここがまさにショパンが生まれた建物。
父ミコワイが住み込みの家庭教師を、母ユスティナが使用人として働いていたスカルベック伯爵夫人宅の別棟です。
戦争で壊された後、修復されています。

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展示されていたのは、ショパンが友人宅で弾いたと言われているピアノ。

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ショパンが最初に出版したポロネーズの楽譜。
七歳の時の作品ですが、出版したヴォイチェフ・ジヴニーという彼の最初のピアノの先生が、「八歳の音楽家」と書いてしまったために、ショパンは1809年生まれなのか?と、後世の人を勘違いさせてしまった曰く付きの代物。今では、1810年説が定説になっています。表紙はフランス語です。
 
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ショパンの家族です。全員わかったら、なかなかのショパン通ですね。
小さいポートレートは、夭折した妹のエミリアです。

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 何の楽譜でしょう? レプリカですけど。
ちょっとピンぼけしてますけど、わかりますか?
答えは「舟歌」!
ショパンの楽譜は本当にきれいです。繊細な音符。

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敷地の中は公園になってます。
気持ちのいい場所でした。

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ショパンが洗礼を受けた教会。これも戦後、修復されています。
ここにある出生届の日付が、ショパンが自分で手紙で書いている誕生日の日付と違っていて、また後の人たちを混乱させています。まあ、昔のことですから、僕は届け出の方が間違ってると思ってます。そちらの説の方が優勢です。
写真は、あとで行ったショパン博物館に展示されていた出生届です。

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 ワルシャワに戻って、ショパンの時代からあるというレストラン。
ショパンも来た(かも?)とのこと。
ジュレックという、ポーランドの味噌汁みたいなスープ。これは、本当においしかったので、日本のスープ屋さん、導入しましょう。
左手で具を掬い上げつつ、右手で写真を撮るのは、僕の得意技です。

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 世界遺産になっている旧市街。
色使いがかわいいですね。
下はワルシャワ市の象徴である人魚像。

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 彼方に見えるのは建設中のスタジアム。
端っこに、さっきの人魚像の「ゆるキャラ」バージョンが(笑)。

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ショパンがオルガンを弾いていたというヴィジトキ教会。
ショパン一家がワルシャワで最初に住んでいたサスキ宮のあった場所の南側です。

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 ショパンの心臓が埋められている聖十字架教会。
ショパンは二十歳でポーランドを後にしてから、とうとう一度も帰国が叶わなかったので、せめて心臓だけでもポーランドに持ち帰って欲しいというのが遺言でした。
柱に埋めるという発想は凄いですが。
僕は、しばらく動けませんでした。

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パリのマドレーヌ寺院で行われたショパンの葬儀では、遺言に従って、モーツァルトのレクイエムが演奏されてます。
命日の10月17日には、この聖十字架教会でレクイエムのコンサートをやっているようです。僕は残念ながら、ギリギリ日程が合わず、聴き逃しましたが。

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 生誕200年を記念して、街の至る所に設置されているショパンベンチ。固いボタンを押すと、ショパンの曲が流れるんですけど、結構不具合が多くて、僕が通り過ぎてから随分経って突然流れ始めて、通りかかった人がビビッてました 

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ショパン、キュリー夫人と並ぶポーランドのスター、コペルニクス。
地面に太陽系が描かれています。下は地球です。

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金属製のヤシの木。なんでも、どっかのアーティストが、ある日突然、大通りの中央分離帯に作ったそうで、撤去するかどうか議論になった末、せっかくだから残してあるのだとか。

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ワジェンスキ公園のショパン像。
前でしゃがんで写真を撮ってる人の後ろ姿がちょっと笑えます。
あんまりいい像と思えないのですが、作られた時から評判はイマイチだったとか。
ショパンが好きだった薔薇の花が植えてあります。

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走るショパン! 顔がワルシャワの地図になってます。
愛されてますね。
ショパン博物館の向かいのビルです。 

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ショパン博物館も、去年のリニューアルで、かなりハイテク化されてます。
押し花は、ショパンの棺に献花されたもの。

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目玉はやっぱりこれでしょう!
ショパンが最後まで所有していたプレイエル。
死後、オークションにかけられたのを、ジェイン・スターリングが買い取って、ショパンのお姉さんにプレゼントしたものです。パリから持ち帰られました。
フラッシュ禁止なので暗いですが。

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最後の夜に行った、UNDER THE RED HOGという、共産主義時代を皮肉ったお店。
メニューが全部、「高官、ブルジョワジー向け」と「プロレタリアート向け」に分けられてます(笑)。
面白いだけじゃなくて、すごくおいしかったので、ワルシャワに行かれる方はオススメです。

……というわけで、写真もかなり、お腹一杯ですね。
忙しい最中に、またものすごくマメな旅報告をしてしまった。。。
 

一週間ほど、仕事+αでフランスに行ってました。
まだ時差ボケ中で、ヘンな時間に寝たり起きたりしています。
僕は日本では、毎朝6時頃に寝て、お昼の12時に起きる生活をしているので、時差8時間遅れのフランスでは、理論上(?)、夜10時頃眠たくなるまっとうな人間へと変身するはずなんですが、やっぱり、飛行機でズレますね。
特に、今回は帰りの飛行機で全然眠れなかったので、辛かったです。
ジェルジ・ルカーチの『小説の理論』という、恐ろしく読むのに疲れる本を機内に持ち込んでいたのに、まったく眠気に襲われなかったので、よっぽどだと思います。しょうがないから、途中から『ダイ・ハード4.0』を観て、結構、面白かったんですが、続けてその勢いで『トランスフォーマー』を観始めたら、さすがに眠れました(笑)

仕事というのは、サン・ナゼールSaint-Nazaireというブルターニュ地方のナント近郊にある田舎町で開かれた、MEET(MAISON DES ECRIVAINS ETRANGERS ET DES TRADUCTEURS)という組織が主催するシンポジウムに参加するためで、日本からは他に池澤夏樹さん、天童大人さんが出席されてました。
北米、南米、アフリカ、アジア、ヨーロッパと世界各国から作家を招待して、まぁ、色々と議論をするわけですが、今年は、20周年目ということで「20」という数字に拘ろうということらしく、事前に「20歳の時」というエッセイをみんな書かされました。
それから、出席者も20人にするつもりだったらしいんですが、ブッキングの手違いで、21人になってました(笑)。そういうところが、なんというか、フランスっぽいというか、そもそも、20周年で、出席者を20人に揃えたと言われたところで、「だから何ですか?」というような話ですが、不覚にも1人多くなってしまったというところが笑えます。足りないのは何とか出来ますけど、多すぎる時は削れませんからね。

サン・ナゼールは、とにかく、田舎です。何にもないです。レジデンスの制度もあって、3ヶ月くらい作家は滞在できるようですので、陸の孤島でひたすら執筆に励みたいという人にはオススメです。
というわけで、写真を撮ってきましたので、ブルターニュの海辺の田舎町がどんな感じか、ご覧ください。 

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この町は、第二次大戦中、潜水艦工場があっために、ドイツ軍の凄まじい空爆に遭い、ほぼ壊滅状態になったらしいのですが、肝心の潜水艦工場だけは最後まで残ったそうで、これがその遠景です。
今は、文化施設に改造されている途中で、シンポジウムの会場の一つもこの中にありました。

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その内部です。廃墟マニアが喜びそうなテイストです。
遠近法の効いたカッコいい写真が撮れます。

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シャンピオン(英語のチャンピオン)は、僕がパリに住んでいた頃、ほぼ毎日通っていたスーパーで、全国展開のチェーン店です。普通のシャンピオンの一段大きなものが、super Championで、その更に大きいものが、このhyper Championです。なんか、サイヤ人みたいですが。フランス語だと、ハイパーではなく、イーペールという発音です。
町の真ん中に、これがドンとあって、ここに住むすべての人の食料を供給しています。とにかく、巨大です。

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ケーキ売り場です。糖尿病へまっしぐら、といような堂々たるケーキがズラッと並んでますが、フランスのお菓子は、異様に甘いのに、なぜか食べちゃうんですよね。ふしぎです。
マーチン・パーの写真に出てきそうな感じです。

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 宿泊していたホテルの部屋です。三ツ星のはずですが。。。
でも、フランスの田舎のホテルの三ツ星って、ホントにこんなもんです。
ちなみに、名前は、au bon accueil(あたたかいおもてなし)でした。

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 ビーチです。写真にはうまく収まりきれませんでしたが、本当に広々としたきれいな砂浜です。
夏に来る場所ですね、ここは。
今の季節は、昼間でもみんな凍えながら歩いています。

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こういう古い建物は、爆撃のせいでほとんど残ってません。
町並みは、パリ郊外の新興住宅地みたいな雰囲気です。といって、高い建物はありませんが。
様式は、遅れて建てられた初期ゴチックという感じですかね。かなり修復されてますけど。
そういえば、昔話ですが、芥川賞の選考のあと、古井由吉さんが、『日蝕』の教会の描写を褒めてくれました。
ヨーロッパの田舎に行ったら、ああいう出来損ないみたいな建物がたくさんあるけど、その雰囲気がよく出てる、と。あそこでは、その「出来損ない」感が大事だったので、なんか、うれしかったです。

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最後は、レジデンス用のマンションに上がらせてもらって、ベランダから撮った写真です。
眼下は港湾地帯なので、景色が良いような、悪いようなという感じでしたが、視線を遠くに伸ばせば、清々しい眺めでした。

……というわけで、珍しくマメな更新をしてしまいました。
果たして、後半の「パリ編」には、着手されるのだろうか。。。


ご無沙汰しています。
去年は珍しく、なかなか良いペースでブログを更新していたのですが、ツイッターを始めてからというもの、あっちの方が楽で、その分こっちが滞ってしまいました。
前にもちょっと書きましたが、ツイッターは、140字以内の短いブログで、登録しなくても、僕が書いている内容は読めます。

https://twitter.com/hiranok

やってないと、見方が分かりづらいと思うのですが、「@〜」と緑色のアルファベットで始まっている文章は、ツイッター内の人とのやりとりですので、それだけ見てもよく分からないと思います。あと、矢印が書かれた四角い印のあとから始まっているのは、僕が引用した誰か他の人の言葉です。
そういうのがついていない、いきなり文章で始まっているのが、僕の日々のよしなしごとです。

ツイッターは、始めるまでは何が面白いのか、ピンと来ませんでしたが、やってみると、流行る理由がよく分かりました。簡単にアカウントはとれますので、気になる方はトライしてみてはいかがでしょうか? 

仕事の方は、読売の連載が佳境に入り、他方で、エッセイや対談、インタヴューなどもあったりして、なかなか落ち着きません。詳細は、http://k-hirano.com のニュース欄をご覧下さい。 

3月は、17日からベルリン自由大学で開催された三島由紀夫没後40周年記念シンポジウム「MISHIMA! WORLD IMPACT AND MULTI-CULTURAL ROOTS」に出席し、その後、パリに寄って、24日に帰国しました。

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写真は、細江英公さんの『薔薇刑』の一枚で、シンポジウムには、その細江さん、ドナルド・キーンさん、ボリス・アクーニンさん、三浦雅士さん、上智大学の林道郎さんの他、多数の海外の研究者が参加しました。これまた、ツイッターの中に、ちょこちょこ感想が書いてあります。

パリでは、昔住んでいたというのと、街の真ん中で便利だというのとで、僕は大体いつも、左岸の6区のホテルに泊まるのですが、今回は、designhotel.comで見つけた、SEZZというエッフェル塔の近くのホテルに泊まってみました。このdesignhotel.comは、「お気に入り」の中に登録していたのを発見して、あー、こんなサイトあったんだと、今回かなりフレッシュな気持ちで利用したのですが、あとでふと昔のブログを読んでいると、前回パリに行った時も、同じこのサイトでホテルを探していたことが判明し、自分の進歩のなさに愕然としました。http://d.hatena.ne.jp/keiichirohirano/20071127
でもまぁ、便利なサイトです。 

SEZZの内装は、こんな感じです。

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良い感じに落ち着いていて、快適でした。
フランスのホテルは、大体こんなふうに、バスタブにカーテンがついてないので、床を濡らさないようにシャワーを浴びるのに、結構テクが要ります。お湯の出る方向を考えながら、こぢんまりとした感じでシャワーを浴びるので、ダイナミックな爽快感が得られません。本当は、泡を飛び散らしながら、からだを洗いたいんですけどね。不満です(笑)。
まぁ、別に床が濡れても良いようになってるんですけど。

メトロの駅で言うと、パッシーとか、トロカデロとかのあたりで、移動はやっぱりめんどくさかったです。向こうの友達に、トロカデロのホテルというと、「なんで?」みたいな反応でした。
トロカデロ広場に駐車してあった車のガラスが3台続けて割られていて、16区だし、特に治安が悪そうにも見えないけど?と思っていたのですが、その友達曰く、ラグビーやサッカーの試合のあとは、興奮してガラスを割って回る輩がいるんだとか。迷惑な話です。 

パリ初日の夜は、知人とターブル・ド・ロブションで食事をしました。この旅一番の贅沢。

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美しい前菜です。
フランス人は、普段は大ざっぱだけど、本気を出すとやっぱりすごいよなァ、とか感心しながら食べていたのですが、あとで紹介されたシェフは何と若い日本人。最近抜擢されたそうですが、間違いなく、将来有名になるでしょう。
本当に美味でした。

翌日は、バルザックの家→ロマン派美術館(ショパン展)→ジュ・ド・ポーム(リゼット・モデル展)→オランジュリー美術館→グラン・パレ(ギャラリー入りの現代アート展)と、ひたすら博物館/美術館巡りだったのですが、途中で通りかかったのが、ショパンとサンドが住んでいた、スクワール・ドルレアンです。

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ショパン好きにはお馴染みの場所だと思いますが、ここは19世紀後半のオスマンによる都市改造でも壊されることなく、そのままの姿で残っています。『葬送』で、サンドと別れるまで住んでいたのがここです。私有地なので、中には入れませんが、ショパンは9番地、サンドは5番地に住んでいて、行ったり来たりしていました。今は誰が住んでるんでしょう?

グラン・パレのあと、向かいのプチ・パレの「イヴ・サン=ローラン展」にも行きたかったのですが、恐ろしい長蛇の列で、疲労困憊していたので、断念しました。

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今回、軽くショックだったのは、僕がパリ時代、毎日通い詰めていたシャンピオンというスーパーが、カルフールに変わっていたことです。オデオンのシャンピオンの向かいには、「da rosa」というナイスな高級食料品店があって、お土産をあさりにそこに入った時に、店員から、この冬に、カルフールに買収されたという話を聞かされました。
別にどうという話でもないのですが、頭の中の記憶が、思い入れ込みではっきりしていると、照合されるはずの実物の消滅が、ヘンにこたえます。

最後はその逆というか、丁度、向こうに住んでいた時に、屋根の崩落というあり得ない事故が起こったシャルル・ド・ゴール空港の2Fというターミナルで、当時はメチャクチャだったのが、ものすごくきれいになっていて、ビックリしました。

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僕はいつも、パリに行くと、通りの名前が書いてあるプレートだとか、エール・フランスの表示だとか、青がきれいだなと思うのですが、今回は、最後に見たこの赤い絨毯が印象に残りました。天井の木材と相俟って、カッコよかったです。

……と、言ったところで、久々の旅行記でした。
次回は、もっと早く更新します!
 

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