ねぇ、ちょっと
ねぇ、2月なんだけど。
2017年、明けてる〜〜
めっちゃ明けてるし、なんならもう沈んでる。

みなさんあけましておめでとうございました。
年賀状でものせておくね。
 
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いい一年を過ごすためのスイカだよ。
今年もよろしくお願いします。
今年は自由に色々やるから、優しく見守ってください。


てか私、ブログあったの完全に忘れてたんだけど、大丈夫かな?
何が大丈夫かって、私の脳みそが、大丈夫?
だってこんな、公式ブログなんて作っちゃって、
堂々顔面をトップ画像にしといて
ブログ更新しないって、ほんと、舐めてんのか?
脳大丈夫か?
っつーね、話ですよ。はい。
なので今日は、特に話もないのに更新しちゃうね。



この前バレンタイでしたね。
バレンタインのやつ、スッと通り過ぎて言ったわ。
すれ違ったわ。

まあ顔は知ってるけど挨拶するほどでもない近所の人

くらいのテンションですれ違っていったわ。

今年は会釈すらしなかった。 


皆のラブがラブでラブしちゃってる日に
1人漫画を描いていました。
あと打ち合わせに行った。
チョコも食べてないよ、強いていうならうずらの卵食べた。

まぁ、いいんですけど。 

バレンタインには、皆さん
ラブがバレ(ン)たい(ん)人がいるわけですよね。
こんなダジャレばっか言ってるからもてねぇのよね。
まぁとにかくバレたいんやデーなわけでしょ。

私も昔はバレたい相手くらいいましたよ。

こっそりチョコケーキとかつくって
「ぎ、義理なんだからね!」
つって渡してましたよ。いやマジで。
まあ、見事義理として受理されたわけなんですけどね。
何もバレずに終わった。
むしろ、「義理以外無理だわ」って言われた。
おーい、山岸ー、見てるー?
あれ、本命だからー!!
てか、形ハートだったじゃん?
なんか箱も他よりでかかったじゃん?
伝われよ?



あとはね、バレンタインにチョコあげようと画策してた人と
一緒に歩いてた時突然


「いやー。ちょーは最高だわ。」


って言われて
おいおい、気付いちゃった?
最高さバレちゃった?
でも、まだバレンタインは来週だぞ〜
ラブをフライングでバラしすぎだぞ!

つって期待高めたわけなんですけど


「だってさ、男女の友達関係ってすぐ恋愛とかでごちゃごちゃするじゃん?」

「う、うん(ごちゃごちゃカモン)」



「でもほら、ちょーのこと、俺一生抱きたいと思わないもん!ずっと友達でいられるな!!!」







つってね

私も衝撃を受けながら
「や、やったね〜!」
みたいなことを返したんですけどね。

いやこれ、今思い出しても割とショックだわ。

マジでバレないんだよね、ラブが。
全然バレてくれない。

ポーカーフェイスがすごいのかもしれない。
ラブがバレないことを生かしてギャンブルの世界で成り上がれてしまうかもしれない。

それかみんな気づきつつ無視してるのかもしれない。
多分そっち。

まあそんなこんなで、今年はとうとう何もなかったわけですが
みんなは良いバレンタインデーでしたかね。
無事にラブがバレちゃったりしましたかね。
幸せになっちゃったなら、お恵みみたいな感じで作品集でもかってよ。
こちとら一生抱かれないんだよ。

私も来年は頑張りタインデーす。



はい、最悪な感じで締めたところで
宣伝でもしましょうかね。
22日の猫の日に、ねこ休み展にて似顔絵屋さんをします。
もう予約枠は埋まっちゃったんだけど、
公式図録とかも描いているので、癒されに是非。
詳細ここです。


あとは、今度久々テレビに出たりするんですが、
まだ宣伝していいかわからないから
それについてはツイッターとかを見てくれたら嬉しいです。

そんなかんじです!
そいじゃね!またね!
みんないいラブを!

グッドナイト!

さあてみなさんどうしてますか。
もう12月になりますね

私は11月の記憶があまり無いです。
アラブに行って、帰って来て、
なんだかボーっとしたりめそめそしているうちに
終わってしまった感じです。

色々お知らせとかもあるんですが
とりあえず今日は思ったことを書く日にします。
LINEブログでやるべきことじゃないのかもしれないけど…

まず最初に言っておきたいのは
この記事は誰の考え方を否定するものでもないですということ
私が勝手にもってる考えを書くだけです。



さて

私は「強いね」と良く言われます。
ちょーさんは、つよいね。と。
確かに、私は主張も強いですし
基本的に正論ばかりで
人の弱音も跳ね返します。

でもそれは強さなんかじゃない。
あまりにも強い強い言われるので
強さってなんだろう、と考えています。(仕事しろ)


私は頭は完璧主義なのに身体はナマケモノという
最悪なハイブリッド生物でして
響き的にはコナンみたいなものなんですけど
問題を何一つ解決してはくれず。

友達が少なすぎたせいなのかなんなのか
一人で物を考える時間がとてもあったので
色んなことに関してそれぞれ理想があるんです。
それらはすべて自分の行いへの反省から来ているのですが


例えば、
最近ラジオでも話したけれど
ブログやツイートなど、
自分でネットに出したものを見られて焦ることがまあまああって
それっておかしいなと思うんです。

見られていると知っていて、
むしろ見てくれという感じで出していて、

「見られてるとは思ってなかったんです〜」

って、いや、それはもう脳大丈夫か?って感じだなと。 


 そんな、自分のやったことに言い訳する気持ち悪い人間にはなりたくない
カラオケで歌う前に「さ、最近歌ってなかったから、」
って言うのもかっこわるいじゃないですか(まだたまに言ってしまうんだけど)
やるんだったら、どうせなら大声で自信を持ってやりたいなと

自撮り上げても言い訳せずに
「これは盛れました!!」
とか言いながら上げたいなと、思う訳です。

といっても私はそれをまだまだできていないんですが
とりあえず理想ね。

まあそんな感じで一番大きい理想って言うのがその

「自分のやったことに対して言い訳しない」

なんですね。

あと、「後悔と焦りと嫉妬は時間の無駄だ」
って太ったおばさんにバス停で言われたことがあって 
それもモットーにしてる。 

後悔を人に話すことも、あまりしない。
だってそれは罪滅ぼしのように感じてしまうんです。
「反省しているんです」って発言することで
少し自分を許せてしまうんですよね。何も改善していないのに。 
それにそんな懺悔、聞く人の得になる訳もない。
そんな自慰行為に付き合わせるなんてできない、と思う。

だからどんどん私は
後悔しないように行動して、
後悔しても誰かに言うことですっきりしない
ように、人生を固めて来た訳です。 


あ 今気付いたけれど
この文章自体が自分の行動に対するいい訳かもしれない…

まあ、ですね
 

そうしているうちに私は「強い」と言われるようになりました。 
そんな風に考えられるちょーさんは強いね、みたいな。 

そんなことはない、私はめちゃめちゃに弱い。


強さは、人に寄り添える力だと思う

でも私にはそれができない。
人の考えを変える気はさらさらないけれど
誰かの安らぎのために嘘を言えない。
考えを一時の空気感の為にねじ曲げられない。
結局私は他人より自分を優先してしまう。

それはきっと強さじゃないよね。
エゴイズムかな。 



最近、弱さを出すのが強さなのかもしれないと思っています
出したくないんだけど、全然 

でも人は完璧なことはありえなくて
一人で生きていける訳でもなくて
人と人が寄り添うためには弱さを見せ合うことが必要だったりする。

いつか、強く見えることで助けも求められなくなって
私は一番最初に死にそうだなと思うし

自分が弱いことを認めてしかも誰かに打ち明けられるって相当な勇気だから
それをできる人は本当はとてもとても強いし
きっと誰かに助けてもらえて長生きできると思う。 

弱さ、出すのか
出していいのか、もう23なのに。

出すくらいなら、孤独に死んだ方が良いような気がする。 
恥ずかしい気持ちで助けてもらうくらいなら
自力でいける所までいって朽ち果てたい気もする。

でもどんなに思っても
一人きりで生きては行けないんだよねえきっと。


とりあえずまだ強くはなれないし
弱音言うより自分のやったことに責任もって生きたいと思ってしまう

と、いうわけでこの日記には何の進展も結論も無いんですけど♡
ちょっと弱味も出してみようかと思いまして♡
とりあえず2016年12月1日はこんな心境です。
一年後読み返して成長を感じたいね。


そういう人がいたら、強いと思わないでね
必死なだけで、強さは皆と同じだから。
張りつめてる分、すぐプチッと糸が切れたりするから。


そんなかんじです。 
そんじゃお絵描きに戻ります。
ぐっどないと! 

岸政彦さんの追悼文を読んだ。
一通り読んで、優しい気持ちとそれ故に濃くなった悲しさで涙腺を破壊され
ボロボロ泣きながら近所の韓国料理屋でチヂミを買って家に帰った。

17日からずっと、私なんかが大きな声で悲しむなんて図々しいと思っていた。
だって私は親族でもなく、友人にも満たず、文字通り「知り合い」だ。
他の近しい人の涙に比べて、私なんかのミーハーな悲しみなんて
口にしては失礼なように思えた、ので
ツイッターでそれなりの綺麗事を2.3述べて、後はただボーッとニュースを追いかけた。
でも、岸さんの追悼文を読んで、
私も書きたいと思った。私は私の追悼文を。
私は私なりの雨宮さんを、書き残しておきたい。


雨宮まみさんの訃報を聞いたのは、実は自分で見つけたのではなく、友人からだった。

「雨宮さんのこと、聞いた?」
「訃報記事まだ信じられない…」

と、突然の連絡が来た。
最初は普通に、何言ってんだろう?とポカンとして
リンクを貼られた訃報の記事を読んで、まだポカンとして
嘘なのではないか、ウソだろ?と思いながら、
家を出る準備をしていたのをすべてやめて
布団に戻って丸まり
インターネットの海に潜った。

雨宮さんに会ったのはたったの二回。
10月に開催した私の個展のトークショーに出演していただきたいとオファーを出し
オーケーをいただいて、
舞い上がりながら打ち合わせをしたのが一回目。
ギャラリーの近くのカフェの階段を
雨宮さんがまっすぐな背筋で降りてきて、
胸もとには不思議な形のネックレスが揺れていて、

綺麗だ、と思った。

顔がとか体型がとかではなく
綺麗な人だと思った。
私ははしゃいで矢鱈と誉めたけれど
彼女はそれをにこやかに受け止めて
奢ることもなければ謙遜することもなく
なんて素敵なんだ!と私を怯えさせた。

そしてもう一回は、トークショー当日。
ノースリーブの黒のワンピースで、
首にはチョーカー型の太いネックレス。
なんてかっこいい女だ、と震えた。
そして私たちは、特に台本もなく
2時間くらいダラダラと自意識と女について話をしたのだ。
それが私の雨宮さんと会った唯二の記憶。

だから、そんな面識の浅い自分が
布団から動けなくなるほどのショックを受けたのが不相応のように思えた。
馬鹿みたいにずっと音も立てず泣いて
明るくなるコントなんかを見てはまた泣いて
ヒロイン気取りしてるんじゃないか、自分
過剰なんじゃないか、と問うた。
けれど
失意に飲まれる友人たちと連絡を取り、
SNSで訳も分からぬまま彼女の名前を検索し
様々な反応を見るうちに、
ああ、私たちは皆雨宮さんが心にいるんだ、と納得した。

雨宮さんの本を読んだり、言葉を交わした人は
きっとみんな雨宮さんが心にいた。
皆それぞれの雨宮さんに救われていたんだ。
そんな恩人が、お守りが、いなくなってしまったら
あたりまえにこれだけ悲しい。

人の心にそこまで深く他人が根ざすのは
すごいことだ。

割とたくさんの本を読んだけれど、
彼女ほど私の心にお守りをたくさんくれた人はいなかった。

彼女の言葉の中の好きな一節一節を、
私は大切に私の記憶にしまって
何かにぶつかった時に取り出して眺めて
それで生きのびたりしていたのだ。
お守りだったのだ。
(今もだけれど。)

会ったこともないうちから
私は何度も私の中の雨宮さんに
「きっと大丈夫だよね?」
と問いかけては
笑って頷いてもらっていたのだ。
だから、こんなにもつらい。
私はまだ何も恩返しができていない。
恩を返されるいわれもないと思われるだろうけれど。


雨宮さんと話していて、本を読んでいて
心が震える一番の要素は、彼女が前を向いていることだ。
この社会で生きる一人の人間として
彼女がぶつかった壁に私も多少なりぶつかってきた。
その度に私はUターンして、なんて嫌な世界だと喚いて、身が重くなるばかり。
でも彼女はその壁をしっかりと見つめ、触り
ゆっくりと登って行くのだ。
決して特殊な能力を使うわけでもなく
丁寧に足場を探して擦り傷だらけになって登って行くのだ。
それが余りにも勇ましくて、
私はUターンした道を振り返って、希望を見出してしまう。

そんなことができるのは、心が強いなんて理由ではないだろう。
優しくてどこまでも繊細で、自分の傷とたくさん向き合った人だからこそ、そんなことができるのだろう。
話しながら、私もこんな風に前を向きたいと願ったよ。
雨宮さんみたいになれたら、と思った。

今回の突然の訃報で、色々な憶測が飛び交って
「裏切られた感じがする」
と言う人がいたらしいと聞いた。
私は内情を何も知らないけど、
なんであれ裏切られてなんていない。
死の淵を覗き込む姿も
はしゃぐ笑顔も
私たちを救った言葉たちも
すべて本物だったと確信している。
自分に言い聞かせる部分もあったにせよ、
紛れもなくその時々の、本当だったはず。
人間なんて揺れ動くもんだろ。
元気で何かを愛して満たされた人も
時々消えてしまいたくなるもんだ。

私は今も、雨宮さんみたいになりたい。



雨宮さん、早いですよ。
突然すぎますよ。
私、雨宮さんと絶対ご飯行ってやるって思って
アラブで似合いそうなネックレス買ってきたんですよ。
それを口実に誘おうって。
インスタグラムにも、アラブ楽しそうだねって、たった数日前書いてくれていたじゃないですか。
人前で着られない服を着る会も、呼んでくれるって。
もし私が、ちょうどいいタイミングで誘えていたら
なんて、おこがましいけれど、やっぱり考えてしまいます。
もっと知りたかった、話したかった
勝手な私の都合ですが、本当に、もっと。たくさん。

でも、きっと今回のことも、雨宮さんに話したら
私は前を向いてしまえたのだと思うので
私は前を向いていようと思います。
絶望せず、恨まず、後悔せず、前を向いていようと思います。
この世界のことも、嫌いにならずにいようと思います。

だけど、それでも、
雨宮さんが生きていない世界は
とても生きづらいです。
急に道の先を照らす街灯がすべて消えてしまったようで
歩くのが怖いです。

本当に、私なんかより、雨宮さんが生きていたらよかったのに、なんて思います。
世界の大きな損失です。

ああ、こんなに綺麗事しか言えないほどに
わたしは雨宮さんから遠くて
友人でもなくて。
もっと怒ったり、ふざけるなと
言えるような距離になれていたら
なんて、これはただの不謹慎なワガママです。

ありがとうございます。
たくさんありがとうございます。
言い足りないのですが、
ありがとうございます。
ずっとありがとうございます。

トークで文が書きたいとこぼしたら
やってみなよと言ってくださって
久々に日記じゃない長文書きました。
支離滅裂すぎましたかね?
精進します。
面識浅いくせに、暑苦しく書いてすいません。




17日に、私のメールフォームに
トークショーに来てくださった方からメールがあった。
「トークショーをしてくれてありがとう、雨宮さんにあの日会えてよかった。」
というような内容だった。
私も、トークショーをしてよかったよ。
ありがとう。
親密なほど別れは悲しいと言うが
そんなの知るか。
私は悲しい分だけ悲しむぞ。
こんな悲しくてやるせないことはないんだ。
誰に遠慮するいわれもない。
ちゃんと悲しむ。

文章であれ本人であれ、
雨宮さんに会った分だけ私達の中にはお守りが増える。
あの日私はいくつもお守りを貰いました。
ちゃんと残しておきたい。


数日間、ずっとドッキリなんじゃないかと、
すぐまたSNSが更新されるんじゃないかと思って
言えないままだったのだけど
本当はちょっと言いたくないのだけど



雨宮まみさん、
ご冥福をお祈りしています。


どうか、また、どこかで。

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