(イスラエル最終日)

6時15分に起床して宿を出た。金曜日は他の国の日曜日にあたって、ほとんどのお店が休みときいていたけれど、この3日間毎日通った宿の横のレストランも、朝だけ開くサンドイッチの屋台も開いていた。サクサクの魚のフリッター入りピタサンドを、ゆみの分まで買う。2つで12ヨルダンディナール、1つ120円だ。

バスは国境まで1人荷物代込みで約1000円。この「荷物代」というのは、車の後ろに荷物を置く料金で、バッグ1つにつき100円ほど負担しなければならない。南米からずっとこういうシステムだった。いくつ積んでも値段が同じな日本とは違うのだ。

「キングフセインブリッジ行きですよね?」と日本人かと思ってバスの中にいた人に声をかけたら香港人だった。香港大学を卒業して、建築家として働いた後仕事を辞めて中近東を3か月旅したらしい。彼と、ヨルダン市内までタクシーをシェアすることになった。留学していた大学の先輩にこんなところで会うのは嬉しい。会話の中で1度、キャンパス内の建物の名前が出てきて、その響きが懐かしかった。Meng Wah Complex―その建物である授業も履修していたのに、キャンパスのどこにあるどういう建物なのかはもう忘れてしまった。記憶と言うのは本当に頼りない。

それにしても、留学をしたことはないという彼の流暢な発音はどうだろう。これだけの英語に加えて、マンダリンと広東語をネイティブとして喋るのだから頭が下がる。香港やシンガポールなどの多民族国家ではこういう人がスタンダードなのだ。モロッコ、エジプト、ヨルダン、ケニア、イスラエル…どの国でも、私が関わった人は2つ以上の言語を話した。中東は、文化もよく似ていた。どこに行ってもグリルドチキン、ピタパン、ファラフェル(ひよこ豆のコロッケ)、ホムス(ひよこ豆ペースト)、バクロバ(お菓子)…と見慣れた食べ物が街に溢れている。日本であれば、お隣の中国や韓国に行くと、全く違う食習慣が根付いている。陸続きで文化がまじりあう大陸と島国日本の差を感じた。

乗合バスはパスポートチェックをこえた。バスを降りてからカウンターで約4000円の出国税を払い、入国時よりもずっと簡単な手続きを終えてヨルダンに戻った。ヨルダン国境から市内のバスターミナルまでは約600円の乗り合いタクシーに乗る。朝から出費が続くので、その時点で財布内の残金は日本円換算で1000円以下になっていた。

ここで、2つの選択肢が出てきた。1つはこのまま余計なお金を使わずに、空港に直行してチェックインまでの5時間を過ごすというもの。もう1つは、ゆみの余っているディナールを借りて、2人で市内でランチを食べて、もう1度街を見てから戻るというもの。

ここでの問題は、2人分の大きなバックパックだったけれど、お金を払えば預かってくれる場所を見つけられたので、結局2人で市内まで行くことにした。香港人のロイも一緒に、市内までタクシーに乗って、前にステイしていたマンスールホテル前で泊めてもらう。アジア人が多いホテルだよ、とお勧めするとロイもここに泊まるかもしれないと言った。他のホテルも見てから考えるという彼とバイバイをして別れた。

ヨルダンでも店はほぼ休んでいるかと思ったら、レストラン、両替屋、、お土産屋は普段どおりに営業しているところのほうが多い。まずはお土産屋で個人スポンサーの方から「ブログを見て欲しくなった」と言われたアラビアの婚約指輪を買う。この間の1.5倍の値段を言われて、じゃあ買わないというとへらへらと値段を下げてきた。そんな調子のよい店員さんにも慣れてきたので、最初みたいにいらつくことはない。妹とお揃いで持ちたいと思った「ファティマの手」というお守りのネックレスと、同じものがイスラエルで倍の値段したので、パレスチナと書かれたキーホルダーを買った。両替したくないので、1000円弱分をカードで支払ったらちょっと嫌な顔をされてしまった。

くるくると街を回って、見晴らしの良いところで写真を撮ったり、はまってしまったフルーツジュースを最後にもう1杯買ったりしてからランチを取りに、お気に入りのレストランに向かう。100円ちょっとで1皿分のホムス(ひよこ豆のペースト)を買って、サービスで出てくるピタパンにつけて食べる。ゆみは、前に来た時に頼んだのと同じマトンの香りのするベジタブルスープをオーダーした。中東のご飯ももう最後だと思うと少し寂しい様な気もする。このあと、マンスールホテルの情報ノートでおすすめされていたケーキ屋に向かった。最後にサーメルさんに挨拶をしにいくと、ネスカフェをいれてくれたので御馳走になった。お別れを済ませて出てくると、今度は香港人のロイにばったり会ったので、連絡先を交換した。have a safe trip、と言って別れる。ロイは帰国後にまた仕事を探して働き始めなければならないという。今の彼と、もし香港で再会するようなことがあっても、きっと今とは全然印象が違うだろう。旅をしている人の顔は、私も含めてどこかゆるんでいる。旅中に捨てて行ったもの―恥だとか固定観念だとかプライドだとか警戒心―と引き換えに得た独特の表情だ。

旅の出会いは一期一会だ。ヨルダン、イスラエルでは、はじめさんとひげさんとクリスティンとエルサレムのお土産屋のおじさんに会えたことが何よりも大きかった。良い人に会えただけで、毎日が楽しくて、その国の印象まで良くなる。

またインドで良い出会いがあるといいね、とゆみと話しながら空港に向かった。

(イスラエル3日目)

午前中になんとか原稿をメールで提出した私は、ゆみとベツレヘムに向かった。しつこいタクシーの客引きおじさんと口論したり教会などをさらりと見た後、ゆみと街が見下ろせる場所で話す。昨日お土産やで会ったおじさんのことを教えてという私に、ゆみは彼から聞いて一番印象に残ったことを教えてくれた。

「人生で大切なのは、ルーティーンを正しくこなすことではなくて、たまにそのルーティーンの外でいろいろなものを吸収すること。そうするとルーティーンもより充実するって言ってたの。日本人はルーティーンをこなすことが大事だと思ってるでしょ、でも恐れないでそのルーティーンの外に出ていくことで全然人生って変わるんだよ、って。それでその人は、世界中のいろいろな国を旅しているんだけれど、その中でどの国が一番良かったですか、って聞いたらどこの国も良い面と悪い面があるけれど、大事なのは自分とその国のかかわり方で、何でも自分次第だよって言ってたの」

あたりまえだけど、すごく良い言葉だね、とゆみは続ける。私もこの旅に来て、ルーティーンの大切さに気がついた。今、私はストレスが最小限の状態だと思う。協賛企業のミッションやらそれに対するプレッシャーやらはあれども、日本の日常の、特に人間関係の悩みからは解放されていて、毎日新しい発見と驚きがある。海外にいるからこそ、普段の自分を少し離れたところからも見られる。日本ではおおごとだったことが、ここでは些細なことだ。たとえば10月に出した本なんてものすごくプレッシャーだったから、もし日本にいたら毎日読んでくれた人の感想を読み返しまくって、ネガティブな反応があったらずっとそのことについて悩んでしまったかもしれないけれど、今は毎日旅に大忙しでそんなことで悩む暇がない。ネット環境にもつけないわけだから。でも、そういう「ルーティンの枠内のこと」もおろそかにしてはいけないと思う。そこが自分のいるべき場所で還るべき場所なのだから。
ルーティンの話は、自分のお腹にしっかりおさまった。ルーティンの外で冒険すると、ルーティンをより充実できるという言葉はその時の私にとてもしっくり馴染んだけれど、その先の言葉、その人の発する他の言葉も、もっと吸収したい。

そのお土産屋さんに会ってみたいな、と私が言って、エルサレムに戻って二人で会いに行くことにした。ダマスカス門の中の一角にそのアンティークショップはあり、中からは落ち着いた感じのおじいさんが出てきた。50代くらいだろうか。最初はぽつぽつと途切れるように話す彼に歓迎されていないように思えたけれども、質問をするとタバコを吸い、チャイをすすりながら丁寧に答えてくれた。

彼の家族のこと、ドイツでしているボランティアのこと、アメリカで始めようとしているビジネスのこと、お土産屋はあくまで趣味で、アンティークショップからはほとんど収入がないことなどを聞く。ゆみは昨日手相まで見てもらったというから私も見てもらおうと思ったのだけれど、今日はそういうパワーがないという不思議な理由で断られてしまった。彼の波長と私の波長が合わなかったのかもしれないし、まだまだ人に対して本来のオープンさを取り戻していない私から多くを読み取れないだろうと彼が判断したのかもしれない。

その日はそのままホテルで食事まで御馳走になった。カクテルも数杯飲んだ。あんなに美味しいスペアリブは初めて食べたし、ジャーナリストがよく使うというテレビにもよく出てくるホテルをこの目で見れたのは嬉しかった。彼が連れて行ってくれなかったら貧乏旅行者の私たちには縁遠かった場所だ。最後の夜にふさわしいスペシャルな時間を過ごせたと思う。宿泊しているホテルの門限の前にゆみとありがとうと言って紳士と別れた。彼はウィークエンドの夜をもっと楽しんだらいいのにと何度もひきとめてくれたけれど、宿にもサヨナラを言いたい人がいたのだ。

宿に戻って、すぐにお世話になったはじめさんとひげさんを探した。二人ともかろうじてまだ起きていたのでほっとした。エジプトのダハブで会って再会したはじめさんと、ヨルダンから一緒のひげさんにはここに滞在中に本当にお世話になった。はじめさんはPCがフリーズしたり電気が止まるたびに泣きべそをかいている私に、ゆみと一緒に御飯とナスのいためものをつくって御馳走してくれたし、その前日には深夜にお腹のすいた私たちに食パンとヌッテラ(チョコレートとヘーゼルナッツで出来たペースト)まで恵んでくれた。長期の旅人にとっては食費だって大きな出費だから人にわけるなんてそうそう出来ることじゃないのに。

その風貌(髪もひげも旅行中伸ばしっぱなしで、髭はそろそろ25センチになると言っていました)からバックパッカー界の伝説の存在になっているひげさんはいつも陽気で、かつ優しくて、いくらでも聞いていたいような話をふあれるほど持っている旅人トークの天才だ。

翌日のデモ(毎週金曜日に、デモが見れるらしい。催涙弾や投石で怪我をすることもあるらしく、日本人バックパッカーが失明寸前の怪我をしたこともあるという)を見に行くというはじめさんは12時頃には寝に行ってしまったけれど、ひげさんは私たちにつきあって3時まで話してくれた。結局、行く予定だったデモに行くのをやめて話してくれたのだ。

ひげさんが2年間の旅の途中に会った様々な個性的な旅人の話は面白くて、ずっと聞いていたかったけれど、翌日のためにシャワーをあびて3時半にはベッドに入った。ひげさんにすすめられた中央アジアに、いつか行ってみたい。世界一美女が多いというモルドバや 世界一美しい場所と言われるアフガニスタンにも。

旅に慣れて旅があたりまえになってくると、その分思考が身軽になる。今の私なら、自分が選べば、世界中のどこにでも行ける。もしも協賛企業が旅についていなかったら、ブログも止めていたかもしれないし、卒業制作の映像作品も放ったらかして、クリスマスもお正月も中央アジアとヨーロッパをお金が尽きるまで旅していたかもしれない。世界は広いと知っていたけれど、この旅でますますそれを実感して、世界をもっともっと知りたい、この目で見たいという欲が出てきた。もちろん、そのために勉強もしないといけないと思う。世界情勢、戦争、紛争、民族問題、語学…そういうものは日本にいる時よりもずっと身近になった。もっと早く高校生や中学生の時から、世界中にいっておけばよかった。働き始めたら、しばらくはこんなに勝手なことは出来ない。大学の入学式のことは昨日のことのように思い出せるのに、気づけば5年もたっているんだ…。自分は大学にいる間、一体何をやっていたんだろう…語学だって、教養だって身につけるのに十分な時間はあったのにと思うとこの5年間が悔やまれる。本だって出版出来たし、サークルも授業も友達とのハングアウトもビジネスコンテストも楽しかったし、それなりに毎日忙しかったような気もする。でも、もっと出来るはずだったんじゃないかとも思う。

就職活動の時に一番嫌いだった質問を思い出した。
「あなたが大学時代に一番頑張ったことはなんですか?」
…「一番」を選べないのは、いろんなことを頑張ったからだというのは言い訳で、限界まで頑張ったことなんてなかったのかもしれない、とさえ思えてくる。この後悔は、帰国後に新たなモチベーションにつなげよう。

そう思う一方で「何のために何を頑張るんだ?」という疑問も頭をもたげる。「楽しむために生きているんだ」というクリスティアンの言葉を思い出す。沢木耕太郎は「将来の何かのために何かを頑張るのが苦手というのが僕の欠点です」と言っている。私が頑張って手に入れたい何かはなんだろう?資本主義的価値観でいう勝ち組になりたいのか、自由人でいたいのか、その何れでもないかもしれない。ただ幸せでありたいと浅はかに思う。幸せになりたいなんて、曖昧すぎて卑怯な言葉だと思うけれど。

とにかく、会話をきっかけに、自分も後から後からいろいろなことを考えた。人と話すことはやっぱり、想像以上に多くを自分の内部にもたらしてくれる。やっぱり、人に対してはオープンでありたい。裏切られてもオープンでいよう、とこの時に決めた。それは旅の半分まで来て、ようやくのブレイクスルーだった。少なくとも自分にはそう思えた。次に行く先のインドで行く場所ごとに人々の優しさに触れられたのは、ただ単にラッキーなだけでなくて、自分がそれを受け入れられるマインドでいたこともあったと思うから、この日の気づきは大きかった。

(イスラエル2日目)

朝早くからパーパーと鳴るクラクションと日の光で目が覚めた。7時。ゆみが具合が悪いというので、朝からベツレヘム(イエスキリストの生誕地)に行こうという予定を変更して、いちごヨーグルトを買ってきてベッドで飲んだ。ゆみは昼まで寝るらしいから、私も宿でおとなしくしよう。

本当はPCを使いたかったけれど、コリアさんの上にあるプラグはかなり接続が悪くて、電気が来ないことのほうが多い。昼ごろに昨日のサンドイッチ屋で、ゆみはひよこ豆のコロッケサンドを、私は昨日と同じ魚のフリッターのサンドイッチを買った。もちろんこの日はちゃんとテイクアウトで買った。ヨーグルトとトマトのサラダ、ナスのペースト、フライドポテト、マヨネーズなどの何種類ものサラダが一つのピタパンに挟まれているこれは、日本のカフェで食べたら1000円以上は絶対にする。どうしても日本円にいちいち換算してこれは高い、これは安いと一喜一憂している私は、日本という縛りに自分から進んで絡みついている気もするけれど。

この日はベツレヘム行きを中止して、ダマスカス門や嘆きの壁の周りの地区を巡ることにした。ここでまた事件が起こる。教会の中で、教会の中にいた男性にまた2人揃って痴漢されたのだ。まさか神様の見ている前でそんなことをする人がこの聖地でいるとは思わなかったから「おかしいな?気のせい?うーん…やっぱりおかしいよなぁ?」と自問自答しているまま、協賛企業からの国際電話に呼び出されて教会を出た。あの時、きちんと一発殴るかなんかしておけば、この先日本人女性が被害に遭うのを止められたかもしれないし、自分の胸もすうっとしたのに。いざとなるとなかなか抵抗できない自分にもイライラする。後からああすればよかったこうすればよかったといっても遅いのに。

電話の内容は翌日までに、コンテンツの原稿を送ってほしいとのことだった。今日は観光をするつもりだったけれどそれでは間に合わないと言う。すぐに宿に帰っても間に合うかどうか、ということだったので、大急ぎでかえって電話でやりとりしながら10時間くらい作業をした。途中、宿のおじさんに邪魔をされたり、コリアさんの歌から逃れるために場所を変えたり、「君は可哀そう」と言ったベルギー人を避けたり、PCを壊しそうなネコを避けたりしていて時間が無駄に削がれたけれど、とにかく翌日の昼までになんとか仕上げて送った。ミニPCは普通のPCよりも軽い分、写真の読み込みに時間がかかって作業時間が増えるし、一度に多くをし過ぎるとフリーズする。ワイヤレスがあるといっても日本みたいに問題なくつながるわけじゃない。前日の睡眠不足がドライアイに加速をかけて、PC画面を見ながら右目だけからボロボロ涙が出た。PCの光が目にしみるのだ。イスラエルまできてるのに、していることは聖地を見ることでも現地の人と語り合うことでもなく、少ない経験を絞りだす作業だけ。こうやって宿でPCと向かい合っている時間分だけ旅に厚みがなくなれば、コンテンツにそれがはねかえる。それをうまくマネージするのが私の仕事なのだけれど、なかなか難しい。旅もあと半分なのに、こんなことでいいんだろうか…。

昨日、私がPCを触りに帰っている間に、ゆみは有名な教会を見に行ったり、お土産屋のおじさんと2時間も話し込んだりしていたそうだ。最後には、夕食に誘われたけれど、私に電話をしてきて「でも、はあちゅう忙しいよね?お仕事終わらないよね?」と遠慮して断ってしまった。疲れたのもある、と言っていたけど私が一緒に行けたなら、この国のことについてもっと深い理解が出来たかもしれない。

ゆみみたいに、旅の間は旅だけに集中するほうが賢いのかな、と思う。時間を気にして相手に接するのは、向こうに対しても失礼だ。日本だったら、自分の睡眠時間を削ればなんとかなることでも、こちらでは、電気が止まる時間があったりインターネットや電話の電波が時間帯によってつながらなかったりということもあるのでなかなかそういうわけにはいかない。

締め切りを延ばしてもらおうか、と思う。でもそれも無責任だし…。このご時世に、-リストラをされている人がこれだけいる時に自分の懐を痛めずに旅をするという考えがそもそも甘いのだ。とにかく精神的絶不調にいた私の考えることはネガティブよりで、おまけに自己肯定的で考える傍から自己嫌悪だった。どうしたらこの悪いスパイラルから抜けられるだろう…この悶々とした状態にピリオドをうってくれたのが、翌日の人間らしいひと時―生身の人間と時間をとって会話をしたこと―だった。私の好きな言葉のひとつに「人は人と出会うことによって変わる」というのがあるのだけど、まさに翌日、それを実感した。

(イスラエル入国日)

朝に郵便局に行って、日本に荷物を送った。エアーだと早く着くけれども2000円高い。迷った挙句、船便にした。船便なら二か月かかるというから、ちょうど私が帰る頃に届くだろう。

一緒にイスラエルに入国すると昨日まで言っていた宿の日本人ヨシタカさんは、急に用事が出来たとイスラエル行きを伸ばしたので、ゆみと2人で国境を越えることになった。2人だと一人分の負担は増えるけれど、気心の知れた同士だから、それはそれで気楽で良かった。ヨルダン1日目の夜に初めてゆみとぶつかったのだけれど、結局その時にお互いがそれまでに不満に思っていたことをぶちまけることが出来て、私も、きっとゆみも心が軽くなったし、お互いにもっとお互いを好きになったと思う。他の旅人との出会いも楽しいけれど、大好きな人との何気ない会話もまた楽しい。

お世話になったサーメルさんにサヨナラを言って宿を出た。他のスタッフの方も良い人だった。だけど、そのうちの1人は旅人の「情報ノート」に女性に馴れ馴れしいので注意、と書いてある人物だ。彼は自分がそんな風に書かれていることも知っている。「日本人の間でサーメルは有名になったから、みんなサーメル、サーメルと言ってちやほやする。サーメルが女性の肩をちょっと叩いたり、隣に座っても何も言わないのに、僕が同じことをしたら、とがめるような目つきになる」と傷ついている胸のうちを、昨晩ゆみに明かしたらしい。私は部屋で日記を書いていたからその会話を聞いていなかったけれど、そんな彼の苦悩を聞いて、日本人ってそういうところがあるのかなぁ、とちょっと思ったりした。有名人を、特別扱いするようなところ、だ。サーメルさんは確かに良い人で、日本人を家族のように思ってくれて優しく接してくれる。でも、同じように優しくて気の利くホテルスタッフはたくさんいるのだ。いろいろな理由でサーメルさんはたまたま有名になって、私も噂の「超有名人」に会うつもりで行ったけれど、会ってみたらあたりまえだけれど「ただの優しい人」だった。良い意味で普通の人である。この言い方には語弊があるかもしれないけれど、本当に、他にも優しい人はたくさん会うから、なんでサーメルさんだけが特別有名になったのかは、私もよくわからない。

彼としても、いきなり日本人がサーメルサーメルと言い始めたので、もしかしたら当惑しているのかもしれない。それを確かめてはいないけれど。でも、他のスタッフの方が日本人がサーメルさんを特別扱いしているのを見て良い気分にはならないかもしれないし、そのことがサーメルさん自身を苦しめていることもあるのかなぁと思うと複雑だった。有名人は大変だ…。

バスターミナルまでタクシーで行って、そこから国境まで行く白いタクシーに乗り換える。普通のタクシーは黄色だけれど、白いタクシーでなければ国境のあるキングフセインブリッジまでは行けない。タクシーでは現地の人2人と4人でタクシーをシェアした。国境まできて降りたのは私とゆみの2人だけで、1人分の料金である5ディナールを私たちから徴集したドライバーは、もう2人をのせてどこかに走り去ってしまった。国境には国王と思われる人の写真がでかでかと飾ってあった。そして、見張りの、本物の銃を持った兵隊さんたちと、なんでいるかよくわからない私服の人たち。その場は、鼻をつまみたいくらい嫌な匂いがした。動物の糞の匂いがあたり一面たちこめている。この匂いは王様にも失礼じゃないだろうか…と頭上の額縁を仰ぎながら思った。この環境で一日見張りを努めなくてはならない兵隊さんにも頭が下がる。こういうものも、慣れたら大丈夫になるんだろうか。虫嫌いの私は、爪サイズの小さなゴキブリを前日に、初めて殺した。人間の環境適応能力ってすごい。

国境エリアで、まずは荷物をエックス線にかけて、そのあと出国税を支払ってパスポートにスタンプをもらう。このとき気をつけるのが、シリア、イエメンなどに今後入国したい場合は、スタンプを別紙に押してもらうことだ。イスラエルの入国スタンプがあると、一部の中東国への入国は拒否されてしまう。10年パスポートの私は、将来万が一それらの国に行く可能性がある場合を考えて、スタンプを別紙に押してもらうことにした。イスラエル入国のスタンプが押せないのは有名な話だけれど、ヨルダン出国のスタンプもNGなのを一部の旅人は知らない。ヨルダンからキングフセインブリッジを越えて陸路で行けるところと言えばイスラエルのみなので、イスラエル入国スタンプと同じことになってしまう。窓口で、印紙を買う時に「ノースタンプ!ノースタンプ!!」と連呼する。いたずらっけのありそうなおじさんが「ジャパン?」とのんきに言いながら、別紙にペンでハルカイトウと書いてその横に青い出国スタンプを押してくれた。これを持って、バスでイスラエル側国境に入る。途中、パスポートチェックを受けて、その後に建物に入る。その先には、再度の入念な荷物検査と、他国に入国する際よりも周到なイミグレーションが待ち構えていた。ベールで頭を覆ったお姉さんー顔立ちからしてきっと私と同い年くらいだと思うーはにこにこしながら、「日本のどこに住んでいるの?」「イスラエルには友人はいるの?」「誰ときたの?」「あなたはなんでこんなに旅をしているの?」「なんでそんなにお金があるの?」と矢継ぎ早に質問をしてくる。まさか「協賛企業にお金を出してもらって…」なんて言えもしないし、怪しまれるだけだと思うので「両親に借金をしているの」とだけ答えた。お姉さんは私の手荷物についているぐっぴょんをチラリと見て「あなたのテディベア、ナイスね。」と笑った。

「どこにこれから泊まるの?」という質問で、ホテルの名前を覚えておらず、昨晩ガイドブックから写させてもらったメモをそのまま渡した。渡した瞬間ちょっとドキっとした。私が泊まる予定のファイサルホテルは、ジャーナリストがよく使うホテルだから、他のホテルの名前をイミグレでは言ったほうが良いよという忠告を旅人の一人からされていたのだった。

けれどお姉さんはファイサルホテルとそのほかのホテル名が羅列されたメモを一瞥して、別紙にスタンプを押して手渡してくれた。「ユー、ゴー」。イミグレのゲートを超えるとはるか遠くでゆみが検査の終わった荷物を受け取っているのが見えた。彼女はどうやらあまり質問を受けなかったらしい。

その先では、街までの黄緑と黄色のミニバスが待ち構えていた。両替をしてから乗ろうとしたけれど「ヨルダンディナールで払ったらいい」と言われて、ヨルダンのお金で払ってバスに乗った。バス内はハエがすごくて、払っても払ってもハエが顔についた。もしかして、私はイスラエル人と違う匂いを放っているからこんなにもハエがよりつくのかと思っていたら、イスラエル人にはもっと寄っていたので安心した。ガタガタと揺れる道を行くこと1時間弱で、エルサレムのダマスカス門前に到着。そこから、道を尋ねながら十分ほど歩いたところに「ファイサルホテル」はあった。ファイサルはイスラエルで泊まれる最も安価な宿と有名な割に、一泊が日本円換算で1000円する。ドミトリーでこの値段だ。PCや高価なカメラが盗まれるのが怖いからシングルルームを取ろうと思ったけれども、1000円以上するのはちょっと躊躇してしまう。結局、ドミトリーに入ることにした。

私たちの部屋は長期滞在者だらけだった。パレスチナの人のためのボランティアを数年やっているという日本人のミエコさん、香港人の夫婦がひと組、韓国人の眼鏡をかけた女性が一人、そして国籍を聞いていないけれど白人の人が一人、私たちと一緒にチェックインしたおとなしそうなフランス人女性が一人。フランス人女性は、宿のマネージャーと折り合いが悪かったらしく、翌日に出て行ってしまった。

香港人夫婦はここでヘブライ語の語学学校に行っているらしい。そして韓国人の女性は、どうやら隣国でボランティアをしていて、ビザの問題でここに一時的に滞在している、ということが分かった。彼女たちには直接話しかけていないけれど、彼らの間の会話を盗み聞いていたら大体のことは分かった。香港人夫婦は、横の壁にくぼみがある二段ベッドを占領して、調味料やタライ、鍋、バナナなどを所狭しとベッド周りに並べていた。まるで、お店が開けそうだ。久しぶりに聞く広東語が懐かしくて、私、香港大学で学んでいたんです、と話しかけようと思ったけれどやめにした。そんなことをして何になるだろう。こういう宿に滞在している人には、あまり他の人との交流を楽しまない人もいる、長期滞在していると、入れ替わり立ち替わりやってくる旅人にいちいち同じような質問をし合うのが煩わしくなるのかもしれない。なんとなく、話しかけにくい雰囲気を感じて、結局最終日まで一言も話さないまま終わってしまった。それにしても、親子のような夫婦だった。おじいさんと、そのお世話をする婿嫁、というくらい見た目には年が離れているように見えたのに、宿の人の話では2人は夫婦らしい。

その夫婦よりももっと私の関心を持たざるを得なかったのが、メガネの韓国人女性だ。思い違いかもしれない、とい最初は思ったけれど、数日滞在して、確信した。彼女、ずっと私を観察している…。この発見はとても不気味だった。彼女はビザが発給されるまで特にやることもないらしく、発給されるかどうかわからないビザを待つために、日がな一日ベッドの中で過ごしていた。私が滞在中の彼女の行動パターンは朝8時頃起床、アボカドと食パン4枚の朝食をクチャクチャと部屋中に響き渡る音をたてて食べた後、またベッドに戻ってそのまま寝て、夕方まで過ごす。たまに夕方にプリングルスをパリパリと宙を見つめたまま食べていた。こんなふうに書くと私も観察し返していたことがまるわかりだけれど、向こうが穴が開くほど見つめてくるのだから、こちらも相手が気になってしょうがないではないか。

一度私が部屋の机でPCを使っていると、起きた彼女がクチャクチャクチャとアボカドを食べ始めた。書き物をしているときは私は神経質になるというか、音があると集中できないので彼女の咀嚼する音が気になってしょうがなかった。ちょうど、協賛企業に提出する急ぎの原稿を時間までに終えねばと躍起になっていたところなので、邪魔されたくない。

かといって部屋を移動したら、電気がつかえないからどうしようなぁと思っていたら、彼女が食べていたはずのアボカド片がぴゅうんと私の着ていたフリースの腕の部分に飛んだ。「は?」と思って相手を見ると、どうやらハエを追っ払う時に、食べているフォークで追っ払ったらしく、そのフォークについていたアボカドが私に飛んだのだった。「ソーリー」と言われて「はぁ」と言ったはいいものの、この人は…なんというか…不思議ちゃんだ、と思った。

彼女は、ベッドの中でシーツだけをかぶって歌を歌っていたり、キッチンで料理をしている人のところで「ワットアーユードゥイング!?」と変なテンションで聞いたりとにかく奇行が多く、他の滞在者からも距離を置かれていた。キッチンで彼女に「何をしているか」と聞かれた人は「包丁持って切ってるんだから、クッキングに決まってるじゃないか。トイレで何をしているかに聞かれるのと等しい」と言っていた。その例えがおかしくて笑いつつも、もしかして話のきっかけが欲しいのかなぁ、とも思った。彼女は唯一香港人夫婦とは話とよべる話をしていた。会話の内容は、お互いに不自由な英語なので何を食べたの、とか今日は何をしたの、とかばかりだったけれど。一度、香港人妻が「あなた、ビザが取れるかわからないんだから、ここでゴロゴロしているよりは(彼女はdoing nothingという表現を使った。香港人女性は優しそうに見えても、言うことはきちっと言う人が多い)エジプトにでも船で渡ったら?」というようなことを言っていたけれど、不思議なコリアさんはぶつぶつと口先で何かを言ったあと、シーツにもぐってしまった。

ファイサルホテルは、1泊1000円という高価格でも、良い宿だったと思う。広くて日当たりのよいティールームがあったし(食事を狙ったり、PCの電源と遊ぼうとする猫がいなければもっと良かった…)ワイヤレスのネットが使えたし、シャワーは熱いのが出た。サーメルさんのいた香田ホテルではシャワーは熱すぎて、水とお湯を交互に出して、交る瞬間の数秒を何度も作らなくてはならなかったし、(必然的に、シャワーの前で踊ることになる。一瞬使って、逃げて…と)お湯の出るシャワーすら安宿界では貴重なのだ。あまりに気持ちがよくて、初日は私は一時間近くもお湯を浴び続けてしまい、ゆみが心配して見に来たほどだ。

宿のマネージャーはあからさまに男女差別をする人で、女に、特に東洋人で若い私たちには特別待遇をしてくれて、男のバックパッカーには小さなことで怒鳴りつけていた。特に私は、着いた当日に「写真を一緒に撮らせてください」と言ったのが原因か、彼のお手製のランチ(キュウリ、トマトに塩を振ったものと、オリーブオイルで焼いた鶏のささみ)まで差し入れられてしまったし、トイレにまでついてきて困った。最初の日に私がシングルルームの値段と空室状況を聞いたのを覚えていて、「シングルルームに行く?」と滞在中にしつこく何度も聞いてきた。こうなると、「シングルに夜中にひとりでいるのは危ないのでは!?」と思ってきてかたくなに「ドミトリーが気に入ってしまった」と首を横に振るしかなかった。半額にしてやるといわれてもドミのほうがいい。イスラム圏では、東洋人女性の白い肌は刺激が強い上に、日本人女性は軽い上に、おとなしくて抵抗もあまりしないと思われているから何かあったら嫌だ。旅行中でスッピンで肌も荒れてきたとはいえ、どちらかというと女にまだ入るだろうし。

実際、私はドミトリーが気に入っていた。不思議なコリアさんが「11時消灯!!」と言って私には早すぎる時間にライトをクローズしてしまうのや、貴重品にいちいち鍵をかけるのは面倒だったけれど、出窓の横のベッドを陣取ったのが良かった。最初はコンセントに一番近い、ドアを入ってすぐのコリアさんのベッドの上を使おうと思ったのだけれど、20キロ近い荷物を2段ベッドの上部に上げるのが面倒で、窓側のベッドの下段を取った。そこには出窓があったので、ベッドと続く高さと同じそのくぼみにシャンプーだったりクリームだったりの生活用品を置けたし、朝起きて一番に窓の外を見れたから、意外に心地が良かった。

着いた時間が遅かったので、ペコペコのお腹をかかえて、まずは両替屋に両替に行った。バス代に取っておいたなけなしの3000円とゆみから借りた5000円を合わせて8000円の日本円を渡したら、なんと6000円分のお金しかもらえなかった。手数料が2000円というのは高すぎる。日本円がそんなに弱いというのだろうか。「レシート、レシート!!」と大騒ぎしても、両替屋の老人は何を騒がしく言っているんだというような眼で、てんで相手にしてくれない。あるいは、こんなものなのかもしれない。旅に予期せぬ出費はつきものだから、仕方ない、とレストラン探しにかかった。とにかく二人とも疲れていたし、お腹も減っていたから座って何か食べたかったのだ。宿の隣にたいそう賑わっているサンドイッチ屋があったけれど、ここまで来てサンドイッチはね、ということで歩き始めた。

しかし結局一時間後に、そのレストランに戻ってフィッシュサンドを注文する羽目になった。けれども行けどもレストランがなく、ようやくたどりついた地元の食堂は、なんとチキンが900円!宿一拍と同じ値段…飲み物を頼んだら1000円超える。そんなに出せない!ということでサンドイッチに落ち着いたのだ。9シュケル(×135が日本円換算の仕方だ)で魚のフリッターとたっぷりの野菜が入ったサンドイッチとつけあわせのフライドポテトが運ばれてきた。もう空腹のピークも過ぎて、食前に生搾りのザクロジュースまで飲んでしまった私は、正直そこまでお腹が減っている状態ではなかったのだけれど、それでもそのサンドイッチは歓声をあげてしまうほど美味しかった。魚のフリッターの衣がしっかり厚いのに、それでいてサクサクとした軽さもあって絶品なのだ。魚自体を食べるのも久しぶりかもしれない。やたらに美味しく感じる。お腹のたしになるように、テーブルに備わっているピクルス入りのチリソースを、スプーンに何杯もとってつけた。お腹がいっぱいになったところで会計を頼むとなぜか11シュケル。「看板には9シュケルと書いてあるのになんで?」と聞くと、テイクアウトは9、店内で食べると11だと言われる。なんだかひどく損した気分になって、次回からはテイクアウトにしてもらってから屋外のテーブル席で食べようと話した。

嘆きの壁を夜に見に行って、その後買い物をしていたら、またゆみと2人揃っていたずらされた。中東に入ってから何度目のセクハラだろう。もともと男の人というのは得体のしれない生物だと思っていたけれど、こんなに会う人会う人に痴漢されたらほとんど男性恐怖症になりそうだ。中東の男性なんて、みんな去勢したらいい、そんな言葉が口をついて出てくるほど悔しかった。こんにちは、と笑顔で挨拶するだけで「こいつはいたずらオッケーそうだ」と判断されて嫌な目に遭うこともある。旅をする以上、その国の人に「日本人」の悪いイメージを持たれたくないから、失礼にならない程度の、つまり普通に感じが良い程度の挨拶をするのは当たり前だと思っている。それがこんな風に返ってくるのは本当に嫌だ。スペインらへんまでオープンだった心がだんだん閉じているのが自分でも分かった。

モロッコとエジプトで嫌な目にあった私は、ケニアで空港までのタクシー運転手とは一言も言葉を交わさなかったことを思い出した。

ゆみはちゃんと「どこからきたの?」「ジャパン」「ジャパンのどこ?」「トーキョー」「兄弟は何人?」「弟がいるよ」…というふうに質問に笑顔で答えていたけれど、車に入る前にしつこくおれの分の飲み物を買えだのチップは前払いだのボーイフレンドはいるのかなどと厚かましく言ってくる運転手に私は腹を立てて、車では一切口を利かなかった。唯一、「なんであなたのシスターは話さない?」とゆみに聞いていた調子のよい運転手にむかって「疲れている」とぶすっとした口調で答えただけだ。

空港につく前に「日本の女性はとてもいい」「あなたはビューティフル」「ユミさんと結婚したい」などと軽口に拍車がかかる運転手を見ていて、冗談とわかっていても冷たい目で見てしまったし、こんなちゃらんぽらんな運転手に相手をしてあげるゆみはどれだけお人よしなのか、とゆみに対してまでイラっときてしまった。でも、ゆみは嫌な目に遭ってもオープンさをキープすることで、悪い人にひっかかる確率もあがってしまうかもしれない反面、良い人との出会いも多かった。閉じて自分を頑なに守るか、オープンになって、旅特有の奇跡や偶然を掴むか…この判断が、場面ごとに揺らいだ。イスラエル最終日までの私は、この葛藤でイライラしていた。

うちのホテルにジャーナリストがよく泊まるというのは、噂だけだったようで、目立った衝突もない今はドイツ人のフリージャーナリストが一人泊まっている以外に、他の報道関係者は滞在していなかった。普段はアンマン(ヨルダン)に暮らしているのかもしれない。イスラエルの物価はヨーロッパ並みに高いから、アンマンに住んだほうが同じお給料でも良い暮らしができる。

夜はネットを使おうとしたのだけれど、コンセントに誰かのPCが入っていて充電できない。それでもバッテリーを使ってネットに繋いでメールを返していると、滞在中のベルギー人が「コンピューター中毒なんだね」と言った。言外に「旅にきてまでPCを始終使うなんて、人生の楽しみ方を知らない、可哀そうなやつ」というニュアンスを含んでるような気がして居心地が悪かった。

「仕事をしているの」と言うと、「旅にきてまで仕事をするなんて奴隷のような生き方だ。仕事とお金の奴隷だよ」と言われてむっときた。「君はすごく可哀そうだ」。

カタカタとPCを打つ私の横で滞在中の白人たちが宴会を始めた。お酒やタバコを勧められても断る私に、さっきのベルギー人がやれやれといった感じで肩をすくめてみせた。君はなんでそんなに堅物なんだ、とでも言いたげに。もともと私はお酒もタバコも体が拒否をするのでしないだけなのだけれど、このときばかりは、お酒だけでもくうっと飲めたらこいつを見返せたかもしれないとちょっと残念だった。

その夜は、旅の最初から今までのいろいろなことを思い出した。寝れないでずっと窓の外の音と同室の人の寝息を聞いていると、確かに今日の私は、可哀そうだと思った。

(40日目:ヨルダン4日目)

私の机の引出しの奥には、小さなうさぎの絵の描いてある黒いハートの缶がある。中身は小学生の時に集めていたビーズだ。昔、小瓶に入ったビーズを集めて、ブレスレットなんかを作っていた。小学生の時だから、もう十年以上もたつんだ…と書いていてびっくりした。「10年前」なんていう単語を自分が使う年になるとは思わなかった。ビーズ遊びをやらなくなった今も捨てられないその缶を、私は今でもたまに開けて眺めてみたりする。そういえば、母は私が小さい頃、赤い裁縫箱を持っていて、その中には母が学生時代から集めていたボタンがたくさん入っていた。「大人になったらこれ、全部春香ちゃんにあげるね」と言われていた気がする。あの裁縫箱はどこに行ったんだろう。あの後何回も引っ越したから、もうどこかにいっちゃって、無いのかなぁ。

お土産マーケットの、とある一角では床の木製の樽にいっぱいビーズやビー玉をためて売っていた。シルバーの細工が施してある高級なものや、透きとおった飴のようなもの、手作りっぽいもの、光にかざすと虹色に光るもの…それらを1つ1つ手に取って眺めながら、昔の思い出にふけった。母がボタンを集めていたことなんて、もうすっかり忘れていたのに、どこから思い出したんだろう。

可愛いなぁ、買おうかなぁ、でも使わないしなぁ…と樽に手をつっこんでビーズの感触を楽しみながら「いつか子どもが出来たら、あげようかな」という考えにふけった。女の子だったらあげられるけれど、男の子だったら無駄になってしまう。自分がまだまだ子どもなのに、もう子どもを育てることを考えているなんておかしいけれど。

昔はビー玉1個でも宝物箱に入れて大事にしていたのに。手に持った重みを楽しんだり、光にかざしたり、袋から出してみたりするだけで半日遊べた。今ではビー玉1つの価値は格段に下がってしまって、眺めてぼーっとする心の余裕さえなくて…。そう思ったら、「大人になってしまった」と寂しい気持ちが湧きあがってきた。大人に「なった」ではなく「なってしまった」。ビー玉で遊んでいた時代に想像していた22歳はずっと大人だったのに、あの頃思い描いていた22歳の精神年齢にさえ私は到達していない。帰国して1か月たったらもう23歳なのに、気持ちだけ追いつかない。そういうことを考え始めたらとまらなくなって、買い物の途中なのに、「私はこの先何をしよう?」と延々と考えるはめになってしまった。ビーズもビー玉も結局買わなかった。

お土産はその分たくさん買った。試食をすすめられてつい断りきれなかったターキッシュディライト、アラビアの婚約指輪のネックレス、痛んだ髪に効果てきめんというキャビアオイル、昨日使い切ってしまったトリートメントの新しいの…見るたびに欲しくなってしまうトルコの目玉のお守りとチェ・ゲバラグッズも「誰かにあげたらいいし」という言い訳のもとに買った。ミッションである「各国で1つキーホルダー」も「各国で1つコスメ」も「各国で1つアクセサリー」も「各国で1つお守り」も達成。

それから、ジュース屋さんで、かさかさの肌にビタミンCを補給するためにグレープフルーツとりんごとオレンジを混ぜた100%ジュースをつくってもらって、ホテルに戻ってお土産を整理した後に郵便局へ。南米から買いためたお土産を日本に送る予定だった。ところが郵便局に行ってみると、2時までに来ないと、海外への小包は受け付けられないと言われた。仕方なく、明日のイスラエル行きの時間をずらして、郵便局があく8時にもう1度くることにした。安くあがるバスで行くつもりだったけれどバスは8時20分に出てしまうから、きっと間に合わない。タクシーで国境まで行くしかない。不便な郵便局を恨んだ。

その後はやることもなくなってしまって、食糧を買って帰宅する。夕食には、ごまとオイルつきの平たいパンと、チーズつきのパンとバクロバを買った。バクロバは中近東のお菓子で、バターで揚げたナッツ入りのパイをシロップ漬けにしてある。ダイエッターが真っ青になるようなこのお菓子、こちらでは老若男女問わず人気がある。ステイしている宿のほんの2つ先の通りには、このお菓子で有名な店があっていつも大混雑をしていた。不思議なことに、列をなしているのは皆男性。男性が連れ立って、紙皿に入ったバクロバをつつく姿は可愛く感じられる。私もその中に混じって、バクロバの小サイズを食べた。店の前でお金を払って食券を買う。小は約60円。そこのバクロバは他の場所で食べたのと違って、チーズがまだ熱くて美味しかった。もちろん、ちょっと甘すぎるのは変わらなかったけれど、慣れたら癖になる味だとは思う。

夜は宿で旅人の話を聞いた。イタリア、ミラノ在住のクリスティアンは、3日後に28歳になるパーマネントトラベラーだ。一年のうちの半分を自分の国で働き、あとの半分は好きなところを旅しているらしい。そんな生活を20歳からずっと続けているという。彼の口からはとめどなく言葉が溢れる。イタリア語、スペイン語、英語を流暢に話す彼。もちろん、私たちに話すときは英語だ。

昔は女の子やギャンブルや遊びにはまったけれど、今はもっと何か深いものを探して歩いているんだ。今回は中近東を周っている。今までで一番良かったところの1つ?ネパールのエベレストのふもとの村は本当に良かった。自然が雄大で美しくて、眺めているだけで時間が過ぎてしまった。人も優しかったし、腕の入れ墨に興味があるの?背中にもあるし、こちらの腕にもあるよ。好きな言葉を彫りつけている。背中の絵は自分でデザインしたんだ。トーキョーはまだ言ったことがないなぁ。アジアは実はあんまり周っていない。旅で一番楽しいこと…難しい質問だけれど、その瞬間を楽しむことかな。ジャスト・リラックス。そしてそれを楽しむ。旅の目的とかはそこまで考えないけれど、本を出版したい。ずっと旅の記録をつけているんだよ。小さいノートに毎日3ページ。でも、still searching for the goal. このまま人生を楽しんで生きていくけどね。人生って、楽しむためのものだから。楽しくないなら、僕はまだ死を選ぶな。だって、そんな人生、死んでいるのと一緒でしょう。安宿で旅をしているけれど、節約が旅の目標ではないから、欲しいものはちゃんと買うよ。ネパールでは、アンティークの本を買ったけれど、300ユーロくらいはした。でもそれだけの価値はあるよ。1つ1つの文字が美しくて、アートなんだ…言葉を大事に選びながら話す彼は、見かけよりもとても慎重で好印象を持った。こぼれるように後から後から数珠のように出てくる彼の経験談は映画のようにリアリティをもって想像できた。h成すことがたくさんある人生って、豊かだと思う。

人生は楽しむためにある、楽しくないなら死んだほうがいい、かぁと頭の中で反芻してみる。彼なら、どこにいたって、どんな状況だって楽しむ方法を考えるんじゃないだろうか。

昼間浮かんだ「この先何をしよう」という疑問にクリスティアンは自分の生き方を示すことで、「何でも好きなことをしたらいいんじゃない?」という答えをくれた。でも、じゃあ好きなことってなんだろう?自分のことなのになんでこんなにわからないんだろう、と歯がゆくなる。自分の物差しをもって迷いなく生きるクリスティアンは格好よかった。こういう大人になりたい、と思った。22歳も、世間的にはもう大人なんだけれどね。



こんなふうに売られてました。
甘酸っぱいフルーツで
ネパールにしかならないそう。

ウェブ上には
お漬け物としても食べるってかいてありました。

この日のいいめも↓

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インドのベビースターラーメンです。
おいしそう

食べなくて後悔したものの1つ。




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